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クルマ最終更新日:2018.06.27 公開日:2018.06.27

ホンダモータースポーツの礎、ベンリィCB92SS

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「HONDA ベンリィCB92スーパースポーツ」日本製(1959-64年)全長×全幅×全高:1915×595×930mm 軸距:1260mm 車重:110 kg エンジン:空冷並列2気筒SOHC 44.0×41.0×2=124cc 圧縮比:9.5 潤滑:ウェットサンプ 最大出力:15PS/10500rpm 最大トルク:1.06kgm/9000rpm 最高速度:130km/h 変速機:4速リターン クラッチ:湿式多板 始動:セル&キック タンク容量:15L サスペンションF:ボトムリンク R:スウィングアーム 価格:155,000円 延生産台数15,500台

モータースポーツに多大な影響、CB92

 もしホンダがモータースポーツから撤退したら、世界のモータースポーツの火は、2輪も4輪も小さくなってしまう。それほどに、ホンダはモータースポーツに貢献してきた。この偉大なるホンダモータースポーツの歴史のひとつは、1950年代後半からの浅間高原自動車テストコースを舞台にしたレースから始まった。その後、マン島TT、そして世界GPへと挑戦していった。

 ホンダはアサマ参戦のわずか3か月前にCB92を発売した。その目的は、ヤマハYA-1を倒すことだった。YA-1は、富士登山レースで優勝。続いて第1回全日本クラブマンレースでは1位から4位までを独占した。ホンダはこれに対抗すべく、CB92を作ったのだ。考えてみると「H・Y戦争」は、このときから始まったと言える。

 CB92はとてつもない性能だった。まだ2サイクルエンジンが多い中、時計のように緻密に組まれた125㏄ SOHC2気筒は、1万500回転で15馬力を発揮。他車の2倍ほどの回転数と出力を発揮したのだ。さらに驚くことは、この時代にセルが付いていたことだ。大卒の初任給が1万5000円以下の時代に15万5000円もしたが、この先進的なメカニズムは世界からも驚嘆の眼で見られた。レース用のモデルもあり、生産台数は明らかではないが40~50台だった。それをレース対象者、いわゆるホンダスピードのメンバーと一般の出場者に販売した。当時、私はその中の1台をなんとか手に入れることができた。バイクにはレース用の排気系とスプロケットが付いてきた。

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その佇まいはまるで武士のようだった

その佇まいはまるで武士のようだった

 125㏄クラスのエントリー台数は40台。うち24台をCB92が占め、12台がYA-1。まさにホンダ対ヤマハである。その中の一人に無名の新人・北野 元がいた。彼は比類なき才能を発揮し、CB92で優勝。続けて耐久レース、さらに250㏄クラスではCR71を駆かって、なんとファクトリー勢を抑えて3タイトルを手中にした。

 浅間高原自動車テストコースは、日本最初のサーキットとして56年に誕生。全長は9351メートルである。設立目的が振るっていて、「二輪車工業の発展のためにオートバイの信頼性を高め、国際レースへの足掛かりとし輸出を拡大する」とある。ところが路面は火山灰だったので、ブロックタイヤにセミアップハンドルが主流だった。ここで練習して59年のマン島TTで6位に入ったホンダの谷口尚己氏は、ダートの癖が付き、マン島のコーナーではついつい足を出してしまったと語っていた。

 私はCB92でアサマには出場しなかったものの、これをモトクロッサーに改造し、各地を転戦した。ボトムリンクのフロントサスといい、高回転型のエンジンはモトクロスには不利だった。その後、ブリヂストンから声を掛けていただき、第3回の浅間クラブマンレースに、BSチャンピオンで出場した。

 この時代、多くのメーカーが海外ものをコピーするなか、ホンダは独自の道を歩み、エンジンはもとより、神社仏閣の意匠を参考に生まれたという端正な車体構成を継承、四角いライトの上にはアクリルの風防が付き、ドクロ型のアルミタンクを積んだ。そのいでたちは武士のような毅然とした姿に映った。

 その後、ベンリィシリーズの中で、レースはCR93にバトンタッチし、CB92はスポーツモデルに役目を変えた。初期のレース用のみが抜きん出た性能で、その後のCB92は、高性能ながら一般的なモデルという位置付けになった。64年までの5年間に1万5500台が作られ、今でも熱狂的な愛好家に可愛がられている。

 私の人生で最も後悔していることは何と聞かれたときには、アサマ用のCB92とその後に手に入れたCR71を2台とも手放してしまったことだ、と答えている。

文=立花啓毅
1942年生まれ。ブリヂストンサイクル工業を経て、68年東洋工業(現マツダ)入社。在籍時は初代FFファミリアや初代FFカペラ、2代目RXー7やユーノス・ロードスターといった幾多の名車を開発。

(この記事はJAFMateNeo2014年10月号掲載「哲学車」を再構成したものです。記事内容は公開当時のものです)

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