クルマのある暮らしをもっと豊かに、もっと楽しく
最終更新日:2024.04.10 公開日:2023.05.09
文・写真=宮本 奈々(KURU KURA編集部)
資料=首都高速道路・東京都建設局
新富町出口の横に伸びる道路らしきもの。このまままっすぐいけば都心環状線とぶつかる。(写真:筆者撮影)
新富町出口の横に伸びる道路はどこにつながっている……?(写真:筆者撮影)
新富町の入船橋の下に謎の道路が……。(写真:筆者撮影)
築地川公園と多目的広場の間にある謎のスロープ。(写真:筆者撮影)
築地川公園は築地川の支流を埋め立てたところにつくられた。(写真:筆者撮影)
築地側の備前橋跡に設けられた中央区の案内板では「備前橋の上流部分の水路は1965年(昭和40年)1月に埋め立てられ、1989年(平成元年)4月に築地川公園として開園。下流部分も1987年(昭和62年)に埋め立てられ、区営駐車場と駐車場となった」と説明されている。(写真:筆者撮影)
築地川公園の中央部に位置する堺橋跡に設けられた中央区の案内板では「1971年(昭和46年)、首都高速道路の建設のため、築地川の埋め立てに伴い撤去された」と書かれている。(写真:筆者撮影)
築地川公園の新富町側にある暁橋跡に設けられた中央区の案内板には「戦後、首都高速道路の建設のために、築地川が埋め立てられ、橋は1985年(昭和60年)に撤去された」と書かれている。(写真:筆者撮影)
築地川公園と築地川駐車場と、もともと計画されていた晴海線延伸計画の下り線部分は一致する。(画像:(c) show-m - stock.adobe.comを元に作成)
首都高速晴海線の当初の延伸計画。都心環状線と晴海線が接続されることで都心部と湾岸部の豊洲や有明のアクセスが向上する。
もともとの晴海線の延伸計画は上りは銀座あたり、下りは新富町を経由して京橋あたりで接続するかたちとなっていた。(画像:首都高速道路と東京都のパンフレットより抜粋)
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