ランボルギーニの創始者、フェルッチョ・ランボルギーニの故郷でもあるフェラーラ県チェントで。一番左は1990年代末の「ヴェクトラB」におけるスポーツ仕様「i500」。
2023年5月28日、イタリア北部エミリア・ロマーニャ州で催された第1回「オペル・クラシカ走行会」で。1969年「オペル1900GTクーペ」は、元GM欧州法人に勤務していたアウレリオ氏のお宝。
イタリア東部ゴリツィアからやってきた1972年「レコルトD 1700S リュクス」と、オーナーのパオロ氏。
1972年レコルトD 1700Sリュクスのインテリア。シートはレカロが奢られている。
後部ドアのウィンドウに貼られたステッカー。
「レコルト」は第二次大戦後のオペルにおける看板車種のひとつであった。これは最後のモデルである「レコルトE」の前期型。1980年式。
オペル・クラシカ会長のヴィットリオ・インブリアーニ氏と、ハッチバックをもつ1982年「アスコナC CC1.6SR」。
ヴィットリオ会長のアスコナは走行会当日、指揮車として活躍した。ドライバー側に湾曲させたダッシュボードの造形にも注目。
当日は、気合の入ったロードマップが用意された。表紙デザインはイタリア自動車クラブ(ACI)の公式まップを模したもの。
東部トリエステのステファノ氏が運転してきた美しいボルドー色の1991年「カデットEステーションワゴン1.9i GT」。
アグレッシヴなデサインのホイールが印象的な1996年「ヴェクトラB」。
1997年「コルサB 1.2ヴィヴァ」。児玉英雄氏による傑作のひとつである。コルサは日本で「ヴィータ」の名前で販売されていたので、ご記憶の方も多いだろう。オーナーはクラブで広報を担当するマッテオ氏。
この日のために制作されたプレート。
2000年「ティグラA」。コルサをベースにした小粋なクーペで、これも児玉氏の名作である。
2002年「アギラ(アジラ)A 1.0コンフォート」。当時GMと提携関係にあったスズキの「ワゴンR+」がベースである。
児玉英雄氏からのメッセージを手にするヴィットリオ会長。
解散時刻。別れを惜しみながらも、再会を約束し合うメンバーたち。
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