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最終更新日:2025.08.15 公開日:2025.08.15

『イタリア発 大矢アキオ ロレンツォの今日もクルマでアンディアーモ!』第59回【Movie】━━華やかな舞台を支える情熱<コンコルソ・ヴィラ・デステ2025・レポート>

コンコルソ・ヴィラ・デステ2025の会場で。これは80年代から2000年代初頭の車両カテゴリーのコーナー。左から1996年「フェラーリF50」、2005年「メルセデス・ベンツCLK GTR」、そして「2007年マセラティMC12コルサ」。

イタリア・シエナ在住のコラムニスト、大矢アキオ ロレンツォの連載コラム第59回は、イタリア北部コモ湖畔チェルノッビオで開催された世界最古の自動車コンクール・デレガンス「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」の模様をお届けします。

コンコルソ・ヴィラ・デステ2025の会場で。これは80年代から2000年代初頭の車両カテゴリーのコーナー。左から1996年「フェラーリF50」、2005年「メルセデス・ベンツCLK GTR」、そして「2007年マセラティMC12コルサ」。

文と写真=大矢アキオ ロレンツォ(Akio Lorenzo OYA)

写真=大矢麻里(Mari OYA)

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古典車以外も多彩

現存する世界最古の自動車コンクール・デレガンス「コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ」が、2025年5月23日から25日までイタリア北部コモ湖畔チェルノッビオで開催された。

コンクール・デレガンスについて説明しておくと、自動車発明よりはるか以前の17世紀パリで、貴族や富裕層が特注の馬車でパレードしたのが起源とされる。1920年代になると、それに類似したことが自動車で行われるようになった。クルマだけでなく、オーナーやそのパートナーのファッション、さらにはペットまでを愛でる催しだった。

1929年9月、コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステも現在と同じグランドホテルで始まった。当時は主にミラノの富裕層たちが、自分好みの車体をカロッツェリア(ボディ製造業者)に造らせたクルマを持ち寄り、美しさを競った。

現在、ヨーロッパと米国で行われている主要コンクールの数は10にのぼり、ヴィラ・デステは現存する世界最古のものである。

審査員は自動車歴史家など構成された13名。カテゴリーごとに分かれてジャッジにあたる。

審査員は自動車歴史家など構成された13名。カテゴリーごとに分かれてジャッジにあたる。

2025年のヴィラ・デステには、54台の古典車が8つのカテゴリーに分けられて参加。13名の専門家によって審査された。さらにコンセプトカー/フォーリセーリエ(一品製作車)部門には5台がエントリーした。

招待者投票によるコッパ・ドーロ賞には1957年「BMW 507ロードスター」が選ばれた。洗練された3.2リッターV8エンジンと、アルブレヒト・フォン・ゲルツによる卓越したデザインを備えていたものの高コストが祟り、当時BMWの経営を傾けてしまったモデルである。

コッパ・ドーロ賞に輝いた1957年「BMW 507ロードスター」。

コッパ・ドーロ賞に輝いた1957年「BMW 507ロードスター」。

いっぽう審査員によるベスト・オブ・ショーには1934年「アルファ・ロメオ・ティーポB(P3)」が選ばれた。名設計者ヴィットリオ・ヤーノが設計したグランプリカーの傑作で、当時の名ドライバーたちに優勝をもたらしたという、輝かしいストーリーが評価されたのは明らかだ。

ベスト・オブ・ショーとなった1934年「アルファ・ロメオ・ティーポB(P3)」。

ベスト・オブ・ショーとなった1934年「アルファ・ロメオ・ティーポB(P3)」。

いっぽう、一般公開日の会場であるヴィラ・エルバで一般来場者が投票するコンセプトカー賞には、「8Cドッピアコーダ・ザガート」が選ばれた。名門カロッツェリア「ザガート」が、ある顧客のためにデザインしたクーペである。

動画内の社主アンドレア・ザガート氏のコメントとは別に、チーフデザイナーの原田則彦氏によれば「(ベースとなった)8Cコンペティツィオーネは車高が高めです。ザガートらしい伸びやかさを実現するため、フロントのオーバーハングを延長するなどの工夫を重ねました。10回以上描き直しました」と苦労を振り返る。

「アルファ・ロメオ8Cドッピアコーダ・ザガート(左)は、「8Cコンペティツィオーネ」をベースとしている。

「アルファ・ロメオ8Cドッピアコーダ・ザガート(左)は、「8Cコンペティツィオーネ」をベースとしている。

アルファ・ロメオ8Cドッピアコーダ・ザガート(右)。後部は断ち落とし(コーダ・トロンカ)と、丸みを帯びた形の絶妙な融合が試みられている。

アルファ・ロメオ8Cドッピアコーダ・ザガート(右)。後部は断ち落とし(コーダ・トロンカ)と、丸みを帯びた形の絶妙な融合が試みられている。

そのコンセプトカー部門には、「グリッケンハウス007S LMH」も参加した。ル・マンカーの公道版で、24台の生産を予定している。自動車愛好家で、自らのレーシングチームも所有する映画監督/プロデューサーのジェームズ・グリッケンハウス氏によるものだ。彼自身の熱い語りは動画をご覧いただこう。

同じくコンセプトカー部門に参加した2025年「グリッケンハウス007S LMH」。

同じくコンセプトカー部門に参加した2025年「グリッケンハウス007S LMH」。

プロデュースした映画監督のジェームズ・グリッケンハウス氏。

プロデュースした映画監督のジェームズ・グリッケンハウス氏。

コンクールとは別のお楽しみも数々あった。たとえば、主催者のBMWは「コンセプト・スピードトップ」を世界初公開した。エンジンは4.4リッターV8ツインターボ・エンジンで、70台が限定生産される。欧州メディアによると価格は50万ユーロ(約8470万円)と噂されている。

BMWコンセプト・スピードトップ。

BMWコンセプト・スピードトップ。

BMWグループのロールス・ロイスは、現行「ファンタム」をベースにした「ゴールドフィンガー」を展示した。こちらは1964年のアクション映画『007ゴールドフィンガー』の劇中車のイメージを現代に再現したものだ。

ある英国の顧客の要望に応じたものといい、車両の解説をしてくれたジョーズ・ホプキンス氏は、「ロールス・ロイスは、お客様のあらゆる望みを叶えます」と胸を張った。

「ロールス・ロイス・ファンタム・ゴールドフィンガー」。2024年10月に発表された。

「ロールス・ロイス・ファンタム・ゴールドフィンガー」。2024年10月に発表された。

『007ゴールドフィンガー』の劇中車である1937年ロールス・ロイス「セダンカ・ドヴィル」も一緒に展示された。

『007ゴールドフィンガー』の劇中車である1937年ロールス・ロイス「セダンカ・ドヴィル」も一緒に展示された。

幻のスペイン車とともに

ところで、なかなか紹介されることは少ないが、こうしたコンクールには出展車やオーナーたちを陰でサポートする仕事がある。

アメリカからやってきたショーン・オドネールさんもそのひとりである。1990生まれの35歳。勤務先はニューヨークの北東約300キロメートル、ロードアイランド州ポートランドにある「オードレーン・モータースポーツ」という会社だ。

業務範囲は幅広い。ヒストリックカーの購入相談、販売、保管、メンテナンス、さらに宿泊手配や提携会社と連携した運搬まで、コンクールやイベントに出場するためのすべてを手掛けている。要は依頼主であるオーナーが完璧な状態で参加できるように、ほぼすべてを代行する。

コンクール出場車のメインテナンスは、きわめて重要だ。審査タイムでは車両の外見的な美しさや歴史的意義と同様に、コンディションがチェックされるからである。審査員たちは、ヒストリーを示す書類をチェックしたあと、「ではエンジンを掛けてみてください」と、オーナーに声をかける。すぐに掛からないと彼らの印象を悪くする。そのために、ショーンさんのような仕事の人たちは、審査直前まで最高のコンディションに整えておく。

今回、ショーンさんの会社がサポートしたのは、1952年「ペガソZ-102B」というモデルである。そもそもペガソとは、スペイン政府が第二次大戦後に設立したENASA(エナサ)というトラック・バス製造会社の商標だった。

しかし、アルファ・ロメオからやってきたチーフエンジニアのウィフレド・リカルトはブランドの存在感を示すため、スポーツカーの開発計画を立てる。その成果として1951年パリ・モーターショーで公開したのがZ-102であった。最高速は240km/h(150mph)を超える、世界最速レベルの量産車とされた。

1952年「ペガソZ-102B」(右から2番目)は、1964年イソ・リヴォルタ・グリフォ(右から1番目)などとともに、幻のブランドを集めたカテゴリーに参加した。コンクール参加としては、2023年の米国ペブルビーチに続くものだ。

1952年「ペガソZ-102B」(右から2番目)は、1964年イソ・リヴォルタ・グリフォ(右から1番目)などとともに、幻のブランドを集めたカテゴリーに参加した。コンクール参加としては、2023年の米国ペブルビーチに続くものだ。

今回ヴィラ・デステに運び込んだZ-102Bは、当時ペガソが(フォーミュラカーではなくスポーツカー・レースだった)1952年のモナコ・グランプリのため製作した3台のうちの1台だった。

物語はさらに波乱万丈となる。予選を通過した唯一のクルマだったが、ブレーキと冷却システムの問題を受けて本戦には参加できなかった。クルマはその後、公道用のGTに改造され、1954年にバルセロナで最初の所有者に売却された。

続いて1960年代になるとアメリカへ運ばれ、修復が始められたが断念され放置されてしまった。ショーンさんの会社がモナコ仕様に忠実に戻すことを目的にレストレーションを開始したのは、2020年のことだった。

ショーン・オドネールさん。

ショーン・オドネールさん。

今回は、消滅したブランドのクルマが集められた「去りゆくもの──消滅してもその誇りは忘れない」と題したカテゴリーに参加した。パレードでショーンさんは、オーナーに代わってステアリングを握った。

結果を記せば、クラス賞と次点である選外佳作賞を獲得することは叶わなかった。しかし、ショーンさんは自身を語ってくれた。

大学を卒業後、地元の自動車販売店店長を経て、今の仕事に就いた。現在は会長・社長に次ぐナンバー3のポジションとして働いている。ちなみに、彼の会社は2019年から地元で、自前のコンクール・デレガンスもオーガナイズしている。

「子ども時代、学校の成績は良くありませんでした。教科書よりも『カー&ドライバー』など自動車雑誌を読み漁って育ちました」と笑うが、彼が浮かべた笑顔は、好きを仕事にした人のものだった。とかくコンクールというと、熟年の著名コレクターにスポットが当てられるが、実は彼のような若い世代によって支えられているのである。

ショーのパレードで。助手席のオーナーが、司会を務める古典車スペシャリスト、サイモン・キッドストン氏からインタビューを受ける。

ショーのパレードで。助手席のオーナーが、司会を務める古典車スペシャリスト、サイモン・キッドストン氏からインタビューを受ける。

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