新京橋連結路の事業化で期待高まる首都高晴海線の都心環状線延伸。かつての計画の名残を新富町で発見!【いま気になる道路計画】
2024年6月に都市計画事業認可を受けた「新京橋連結路」。この計画によって晴海線の延伸計画が再び注目を集めることとなった。従来の計画では、下り線は新富町を経由して京橋あたりに接続する予定だったが、新京橋連結路の設置により大幅に変更されるようだ。実は、新富町周辺には計画の痕跡も残されているが、今後どのように進展するのだろうか。
首都高晴海線の延伸計画が大幅に変更の見込み
首都高速10号晴海線は、湾岸線と晴海線を結ぶ東雲JCTから晴海出入口まで開通している。しかし、晴海側は他のどの路線とも接続していない。この、晴海線の晴海側を都心環状線と接続する計画はあるものの、いまだ延伸には至っていない。
当初、晴海線の延伸部は地下化を前提に都心環状線との接続を想定していた。このルートは、晴海線の晴海出入口から築地市場跡地のあたりまでは有明通りと晴海通りに沿っており、築地市場跡地のあたりで上り線と下り線で分かれるかたちとなっている。上り線はそのまままっすぐ銀座と、下り線は築地本願寺方面(北東)に逸れ、新富町出口の南側で直角に曲がり京橋でそれぞれ接続するはずだった。
しかし、2023年12月の都市計画変更、2024年6月の都市計画事業認可で、都心環状線の日本橋付近の地下化に伴う「新京橋連結路(地下化)」の建設に関連して、新富町の出口は外回り方面への入口となり、晴海線への接続を廃止することに。そのため、晴海線の下り線は上り線とともに、銀座あたりで接続する方向で計画を見直している。
なお、新京橋連結路については「さらばKK線! 都心環状線C1と八重洲線を地下トンネルでつなげる「新京橋連結路」の事業がはじまる。2035年度完成予定。」で詳しく説明している。新京橋連結路ができることで渋滞の緩和や安全性の向上につながるとしており、こちらの事業の進捗も気になるところだ。
築地川の埋め立て地に見る延伸計画の名残
では、晴海線への接続が廃止された新富町出口付近は、今後どうなるのであろうか? 現在、かつて計画ルート上にあった築地川の支流である「築地川南支川」の埋立地は、「築地川駐車場(第二・第三)」と「築地川公園」として利用されている。往時の橋は撤去されているものの、保管された橋の欄干に川辺の記憶を見てとれる。
公園の北側の堺橋と暁橋は、それぞれ首都高速建設のために築地川を埋め立て、それに伴い撤去されたことから、晴海線延伸の計画自体は水面下で着々と進められていたとみられる。
築地川公園の暁橋跡から新富町まで向かうと、地下につながるスロープがある。このスロープは、その先の築地川公園多目的広場につながっている。都心の真ん中の凹んだところにある築地川公園。その光景は不自然といえば不自然だ。
しかも、入船橋の下には道路構造物のようなものが見える。この道路はどことつながっているのか。その答えは入船橋の上から都心環状線側を見るとわかる。入船橋の下を潜り抜け、新富町出口の横から、さらに先の築地橋の方まで道路らしきものが伸びているのだ。
ここまでを晴海線の延伸計画上の下り線の経路にあてはめると、晴海通りの築地市場跡地から築地川駐車場(第二)、築地川公園、築地川駐車場(第三)、スロープはこのあたりで、築地川公園多目的広場、ここで南側に直角に曲がり、都心環状線と接続することがわかる。
もともと築地は江戸時代初期に明暦の大火後復興計画で隅田川の河口部を埋め立ててできた歴史がある。その後、関東大震災の復興をきっかけに、日本橋魚河岸が移転してきたことで、現在の築地となっていった。
戦後の復興で活気を取り戻しつつある築地で、高度経済成長期に交通インフラの整備を急いだ結果、築地川を埋め立て首都高に転用。それが今の京橋あたりから汐留あたりまでの築地川区間である。
この築地川区間は擁壁の老朽化も著しく、新京橋連結路(地下化)を設けるにあたり、大規模更新をすることになっており、計画は晴海線の延伸計画も視野に入れている。
築地川公園、築地川公園多目的広場、築地川駐車場(第二・第三)は、このまま駐車場や公園として活用していくのか、それはわからないが、少なくとも晴海線の延伸は現実味を帯びてきており、今後の進捗にも期待したいところだ。
記事の画像ギャラリーを見る