『イタリア発 大矢アキオ ロレンツォの今日もクルマでアンディアーモ!』第48回── ITASHA(痛車)は僕の人生を変えた! イタリア版クラブのメンバーに聞く
イタリア・シエナ在住の人気コラムニスト、大矢アキオ ロレンツォがヨーロッパのクルマ事情をお届けする連載企画。第48回は、イタリア車がイタ車と呼ばれていた時代も今や昔。いまイタリアで人気沸騰中!?の「痛車=ITASHA」について。
その名も「ITASHA ITALY(痛車イタリー)」
「いたしゃ」と聞いてイタリア車の略ではなく、痛車を想像する人のほうが多数派になって久しい。痛車とはいうまでもなく、アニメやゲームなどに登場するキャラクターで外装を飾った自動車のことである。そのファンクラブがイタリアにも存在する。名前もずばり「ITASHA ITALY(痛車イタリー)」だ。見事に韻を踏んだネーミングである。
クラブの主要メンバー、アルベルト・ロデギエロさんは1994年生まれ。2024年で30歳を迎える。北部ヴェローナとヴェネツィアの間に位置する町ヴィチェンツァで、普段は工作機械のプログラマーとして働いている。
彼の場合、痛車以前に自動車への関心から始まった。「マンガ『頭文字D』を見てクルマに目覚めたんです」。2015年、21歳のときに2代目マツダMX-5(NB型)を3000ユーロで購入した。選んだ理由は? 「最も汎用性が高く、改造しやすいクルマだったからです」
筆者が補足すれば、イタリアで2代目MX-5は、純粋カーエンスージアストの間で引く手あまたの初代と比べ、人気が限定的だ。ゆえに今回紹介する写真のように、痛車ファンの間では格好の素材となっている。「モディファイする方法はインターネットを通じて学びました。塗装をはじめ、本当に何でもやってきました」と振り返る。
痛車を知ったきっかけは車両購入の翌年、22歳のときだった。「欧州最大の漫画&ゲームフェア『ルッカ・コミックス&ゲームズ』で初めて見ました。ただし、当時はあまりに高額な趣味に思えたので、あまり関心がありませんでした」
転機が訪れたのは2年後の2018年、日本旅行でのことだった。「秋葉原を訪れたとき、ステッカーでラッピングした痛車を目撃しました。以来、自分の予算内で痛車を実現する方法を考えました。結果として最初のデカールは、たった300ユーロでできました」。今日まで改造に使った金額は、前述の車両購入代金やデカール代を含め、合計約8千ユーロ(2024年4月の換算レートで約131万円)という。物価高が続く昨今、同じことを今やろうとしたら「倍の値段になるでしょう」とも語る。
ところで両親は、アルベルトさんの痛車を見てどんな反応を?
「大喜びしました。ガールフレンドは数分戸惑っていましたが、今では気に入ってくれています」
イタリアにおける痛車の評判
ITASHA ITALYには現在20名の会員がいて、車両数は4輪22台と2輪3台だ。日頃はどのような活動をしているのか?
まず、従来型自動車イベントへの参加は稀であるという。アルベルトさんいわく、チューニング、ドリフト、ドレスアップといった痛車ファンが好むアプローチが、しばしば旧来の自動車愛好家の趣向と相反するからだ。実際、ポルシェをベースにした痛車に乗るメンバーがポルシェのイベントに行ったところ、参加者から「なぜ栄光のブランドを汚すようなことをするんだ」と詰め寄られたという。イタリアでも痛車が市民権を得るのは、けっして容易ではない。
では、クラブとして出展するのは? 「主に北イタリアの都市で開催されるコミックフェアが多いですね。走行イベントは、ラリーよりもドリフト大会やグリップ走行会のようなサーキット・イベントが多めです」
2024年1月には、第1回「ITASHA ITALYジムカーナ」を開催した。実はここでも苦労もあった。いまだイタリアでドリフト主体のジムカーナは一般的ではないため、コースづくりの知識が皆無だったのだ。
危機を救ってくれたのは、イタリア最大の日本車イベント『ジャパニーズカー・ミーティング』で出会ったアメリカ兵だったという。「4年間の在日経験がある彼は沖縄駐留時代、毎週のようにジムカーナ大会に参加していました。その彼が日本流コースを伝授してくれたのです」。アルベルトさんは、イタリアでもこの種の大会が普及することを願っている。
イタリアの痛車ファンは、ベース車両をどう選んでいるのだろうか?
「僕たちは既存の車を使っているので、車を買う前に誰かに相談することはまだありません。実際、マツダ、日産、トヨタといった日本車もフィアット、アバルト、ポルシェなど欧州車もあります」
痛車のキャラクターは、どう選択しているのか?
「VTuberやガチャゲーのファンは自分のoshi(推し)を持っていて、それを神にする人が多いですね。いっぽうで『アサシン クリード』をテーマにしたフィアット・パンダや、『バットマン』のジョーカーをテーマにした500アバルトといったように、日本以外のものをテーマにした車を持っているメンバーもいます」と話す。
アルベルトさん自身に話を戻せば、彼は通勤用にレクサスIS200も所有している。「ある日、代わりにMX-5の痛車で出勤してみました。もちろん内心、何と言われるか恐れていました。しかし意外にも上司たちに大ウケでした。以来たびたび乗ってゆくようになりました!」
人生を豊かにしてくれた痛車との出会い
痛車の楽しさとは?
それに対してアルベルトさんは「常に新しいことを楽しみながら学べることです」と話す。「2015年のITASHA ITALY発足以来、多くの新しい人たちと出会い、自動車の仕組みやドライビングテクニックについて多くのことを吸収できました。間違いなく僕を豊かな人間にしてくれました」。その彼は今、マツダ・ロードスター専用のカーボンファイバー製リアスポイラーづくりに取り組んでいるという。「それはいつか、僕の新しい仕事になるかもしれません」
痛車のコミュニティは彼の日常を豊かに変え、モディファイは未来の彼に勇気を授けているのである。
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