なぜ救急車は消防署に待機しているのか? 救急車を呼んだら消防車も来る納得の理由とは。
消防署には赤い消防車と白い救急車が並んでいる。見慣れたものだが、そもそも、なぜ火事を消し、延焼を防ぐ消防で、傷病者の応急処置をしながら医療施設に搬送する救急も担っているのだろうか。
救急車の誕生は昭和初期
日本初の救急車は、1932年(昭和7年)、交通事故の相次いでいた大阪で誕生した。日本赤十字社大阪支部の救急所に配備されたものだ。病院所有の救急車として、交通事故の負傷者の路上救護に貢献した。
翌年の1933年(昭和8年)に、神奈川県警察部の管理する横浜の山下消防署にキャデラック(アメリカ製)を改造した救急車を配備。以降、全国で消防署に救急車を配備するようになった。なぜ、警察の管理する消防署に救急車を配備するようになったのだろうか?
消防署に救急車のあるワケ
消防とは、火事を消し延焼を防ぐ業務。対して、救急とは、傷病者の応急処置をしながら病院に搬送する業務。広い目で見れば「人命」という共通点はあるが、消防署に消防と救急の業務、車両、人員などをまとめているのは、不思議といえば不思議だ。
その理由は、近代の消防・救急組織の変遷をみるとわかる。今日では、警察と消防はそれぞれ独立した組織であるが、昭和初期までは警察(警視庁・警察部)組織に消防の業務が組み込まれていた。
当時は、交通量の増加で事故も相次ぎ、社会問題となったことで、負傷者を搬送する救急車の必要性が取りざたされた頃だった。通信設備が整備されており、24時間体制で出動できる組織は、警察署に限られていたことから、消防署に救急車を配備することになったといわれている。
当時は警察の権力が強かったうえ、多忙な警察が時間に余裕のある消防に救急業務を押し付けたといった理由もあったらしい。
その後、1948年(昭和23年)の「消防組織法」で、消防の業務は警視庁と警察部ではなく、市町村の管理・運営するものとなった。このとき、市町村に依頼されるかたちで、消防の業務だけでなく救急の業務も引き継がれたといわれる。その後、救急業務も法制化され、現在に至るわけだ。
ここで、1948年(昭和23年)の「消防組織法」で、病院に救急車と救命士を配備しなかったのか? という意見もあるかもしれないが、病院に救急車と救命士を配備した場合、病院で費用を賄なうため、患者に費用を請求しなければならない。当然、金銭的に厳しい状況の患者は、すぐには支払えず、病院の経営を圧迫することから、税金で救急の業務にあたれる消防署に配備したという事情もあるだろう。
なお、現在、消防署の救急車の他、病院の救急車(主に患者の転院のために運用している)、日本赤十字社の所有する救急車、民間の有料救急車などもあり、公的サービスとともに日本の医療を支えている。
救急車を呼んだら消防車まで来た!?
「救急車を呼んだのに、救急車だけでなく消防車まで来た!」ということがある。消防隊と救急隊が連携して救急・救護活動する「PA連携(消防車Pumperと救急車Ambulanceの略)」というもので、通報の内容により、救急隊だけでは対応できないとき、消防隊も同時に出動するシステムである。
- 傷病者の重症の度合いが高い
- 交通量の多い道路で安全を確保する必要がある
- 救急隊だけでは傷病者の救出や搬送が困難と思われる
ちなみに、消防車のサイレンだが、「ウーカンカン」というサイレン×鐘の音のときは火災、「ウーウー」というサイレン音のみのときはPA連携など火災以外で出動したものと区別できる。
私たちの命を守る消防車と救急車は、歴史的な変遷から、警察組織に組み込まれ、現在の消防署に消防車も救急車もいる体制になったことがわかった。火災、事故、急病で命を脅かされた人々を救うため、今日も消防車と救急車が全国で活動していることに敬意を表したい。
記事の画像ギャラリーを見る