『サーキットの狼』はかくして誕生した!──ロータス ヨーロッパと漫画家・池沢早人師<後編>
「な、なんだあの車は?」。東京・新井薬師に現れた一台の車が、漫画家・池沢早人師の人生を変えた。自動車漫画の金字塔『サーキットの狼』の誕生へと繋がった愛車ヒストリーを語る新連載。今回は「ロータス ヨーロッパ<後編>」をお届けする。
1974年当時の新車価格
新井薬師の商店街でたまたま見かけた、白いボディに赤のストライプが入ったロータス ヨーロッパ S2に衝撃を受けて、夜中に漫画の仕事が終わるたびに飯倉片町にあったロータス代理店まで行って、ガラス越しにロータス ヨーロッパをしみじみ眺め続けました。そしてある日、ふと1974年製のロータス ヨーロッパ ツインカム スペシャルをその代理店で買ったのですが、買うためには「お金」を用意しなくちゃならないわけですよ。
当時、ロータス ヨーロッパは乗り出し価格で350万円ぐらいだったと思います。ポルシェ 911Sの新車価格が確か600万円台で、カレラRSが780万円ぐらいでしたから、ロータス ヨーロッパはその半額ぐらい──ということで安いは安いのですが、でも1975年の350万円はやっぱり大金です。その前に買ったトヨタ 2000GTの中古車が250万円でしたから、それの100万円プラスとなると「ううむ……」と逡巡してしまう部分はありました。
で、結局はトヨタ 2000GTを売却して、そのお金でロータス ヨーロッパを買おうということで売りに出したら、愛知県にお住まいのトヨタにお勤めの方が、僕の2000GTを買ってくれることになったんですよね。
そしてその方との間で売却額も決まったことで「よし、これでやっとロータス ヨーロッパが買えるぞ!」と思ったわけですが、よくよく考えてみると、僕のヨーロッパはトヨタ 2000GTを手放す1週間ぐらい前に納車されてるわけですよ。ということは「なんだ、2000GTを売らないでも買えたじゃないか!」と、今になって思うわけですが(笑)、まぁとにかくロータス ヨーロッパ ツインカム スペシャルとの素晴らしい日々が始まったわけです。
霧の中のロータス ヨーロッパ
1974年の7月4日に納車されると、すぐに箱根に行っちゃいましたね。御殿場から長尾峠に入ったんですけど、ロータス ヨーロッパは、あの細い長尾峠を本当にスイスイ行けちゃうんですよ。自分でもびっくりするぐらいスムーズに、「俺……運転上手くなったんじゃない?」って勘違いしてしまうほどに(笑)。
そしてそのままびゅーっと上がっていってね、当時は芦ノ湖スカイラインのほうにちょっとした広場があったんですけど、そこに買ったばかりのロータス ヨーロッパを停めて、車から降りて、ちょっと遠目から自分の車を眺めるわけですよ。あたり一面にガス(霧)が出てましたね。
で、その霧にけむったロータス ヨーロッパが本当に美しくてね、カッコよくてね。そして「でもカッコだけの車じゃない」ということをその日、身を持って知ったことで、しばらくその場から動けませんでした。……感動していたんですよ。「同じ”車”でも、こんなにも違うものなのか!」ということに。
その後はすぐにリアウイングを装着しました。当時、僕はグラチャン(富士グランチャンピオンレース)をよく観に行っていたのですが、グラチャン参戦車両のパーツを作っているファクトリーが川崎市のほうにあると聞いて、そこに行って「これこれこういうウイングを付けたいのですが?」と相談したんです。すると快く「じゃあワンオフで作ってあげるよ」とおっしゃってくれて。さすがはグラチャン関係の工場ということで、ロータス ヨーロッパのペナペナなトランクフードの特性をしっかり考慮した補強もしたうえで(笑)、素敵なリアウイングを付けていただけました。
出会いから広がった『サーキットの狼』の物語
ロータス ヨーロッパに乗っていたのは1974年から1975年まで、僕が24歳から25歳にかけての頃でしたね。とにかくあちこちを走りまくりましたよ。コクピットはレーシングカーのように狭いし、クーラーもないんだけど、若かったですから、そういった部分はまったく苦にならなかった。レーシングカーに憧れていた当時の自分としては、狭いのは「むしろ望むところだ!」ぐらいに思ってましたし、暑いのは、狭い運転席の横にうちわを置いて、渋滞のたびにパタパタあおぐことでしのいでました(笑)。
ロータス ヨーロッパを買ったときはすでに、のちの『サーキットの狼』になる自動車漫画を構想中でしたが、ヨーロッパを買ったことで、みるみるうちに「車の仲間」が増えていったんですよね。
まずはロータスディーラーで知り合ったロータス乗りたちと、毎週のようにツーリングへ行くようになって。そしてその人たちの一部はさらにいい車も持ってたりしますから、その横のつながりで、さまざまなスポーツカーやスーパーカーも知ることになって。『サーキットの狼』という作品の前半部分に出てくるような輸入車のほとんどを、そのときに見ることができたんです。
そのことによって、つまりロータス ヨーロッパという車を買ったことで、図らずも『サーキットの狼』の公道編の”物語”が膨らんでいったことは間違いありません。主人公が乗る車を決めるときも「俺が乗ってて、俺が大好きなロータス ヨーロッパしかないだろ?」という感じですんなり決まりましたしね。また「裕矢のライバルたちが乗っている車」の設定も、ロータス ヨーロッパという”軸”ができたことで、自然と決まっていきました。
ロータス ヨーロッパに乗っていた約2年間は、もちろん「大好きだから乗っていた」というのが大前提ではあります。でも今にして思えば、「素晴らしい取材活動でもあったんだな……」とも感じています。