水平対向エンジンでWRCを席捲したスバル。トヨタ博物館「激走!!2.5次元 ヴゥオオーン!! WRC」より
愛知県長久手市のトヨタ博物館で、2022年4月17日まで、企画展「激走!!2.5次元 ヴゥオオーン!! - WRC 日本車挑戦の軌跡」が開催されている。同企画展から、90年代にWRC黄金時代を築き、三菱、トヨタなどのライバルと鎬を削ったスバルのラリーカーを紹介。
4WDの老舗としてサファリに挑戦
愛知県長久手市にあるトヨタ博物館は、2021年10月30日から2022年4月17日まで、企画展「激走!!2.5次元 ヴゥオオーン!! – WRC 日本車挑戦の軌跡」を開催している。同展は、公道で競技が行われるFIA世界ラリー選手権(WRC)で活躍した、日本のラリーカーを展示するものだ。同展で展示中のスバル車を紹介する。
スバルは、富士重工業だった1970年代から水平対向エンジンと4WDシステムを組み合わせた車の開発を進めていた。それらの車を鍛え上げ、アピールするため、スバルは1980年代にサファリラリーなどの国際ラリーにスポット参戦。この時代のラリーカーには4WDを装備する車は少なく、悪路のサファリラリーではクラス優勝も果たした。
1980年代後半になるとトヨタ、三菱がフル参戦し、日産やマツダもスポット参戦するなど、日本車がWRCで活躍するようになった。それに続くようにスバルも、1990年からイギリスのレーシングカーコンストラクターであるプロドライブと提携し、同年の第4戦サファリラリーからWRCへの本格的な参戦を開始。レガシィをラリーカーに仕立てて、トヨタ、三菱そして海外のランチア、フォードへ挑んだ。
レガシィは1990年に5つのラリーに参戦し、最高順位は4位だった。サファリラリーで経験値を積んでいたスバルだったが、ライバルたちと肩を並べるまでに4シーズンを要した。このころはフォード、ランチア、トヨタ、三菱といった強豪ワークスチームが群雄割拠している時代で、新参者がすぐに優勝できるような時代ではなかった。その中でレガシィを鍛え上げたスバルは、1993年の第8戦ニュージーランドラリーでようやくWRC初優勝を掴んだ。
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1996年サンレモラリー出場の
インプレッサを紹介
インプレッサでWRCスバル黄金時代が到来
1992年10月、WRCの次期ベース車両となるインプレッサが発売された。インプレッサは、レガシィで培った水平対向エンジンや4WDを継承しつつ、運動性能を高めるためにボディをダウンサイジングするなど、ラリーを強く意識した車だった。
インプレッサは、発売から約10か月後の1993年8月に行われた第9戦1000湖ラリーでWRCにデビュー。そのデビュー戦でアリ・バタネンがドライブしたインプレッサが2位を獲得。1994年シーズンからフル参戦となったインプレッサは3勝し、ドライバーランキングでカルロス・サインツが2位となり、マニュファクチャラーズランキングでも2位を獲得した。
万を持した1995年シーズンは全8戦中5勝をあげて、ドライバーズランキングでマクレー、サインツが1、2位を獲得し、マニュファクチャラーズランキングでも1位となりダブルチャンピオンを獲得する。
1996年は中盤まで苦戦したが、後半戦で巻き返して全9戦中3勝をあげた。3勝したマクレーだが、ドライバーズチャンピオンは三菱のトミ・マキネンに奪われてしまう。しかしスバルはマニュファクチャラーズランキングを死守。
そして翌1997年は全14戦中8勝をあげ、3年連続チャンピオンを達成。ただ、スバルドライバー同士で勝ち星を分散する形となり、ドライバーズチャンピオンは逃した。
レガシィ、インプレッサの詳細な写真は
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