『イタリア発 大矢アキオの今日もクルマでアンディアーモ!』第40回 BMWを倒産から救い、自ら消えていったブランド「イソ」
小さなクルマ「イセッタ」の大きな功績とは? イタリア・シエナ在住のコラムニスト、大矢アキオがヨーロッパのクルマ事情についてアレコレ語る人気連載。第40回はイタリアの往年のブランド「Iso(イソ)」について。
さまざまな“顔”をもつブランド「Iso」とは?
毎年初夏に開催されるイタリア縦断のヒストリックカー・ラリー「ミッレミリア」。その健気な姿に、フェラーリやマセラティ以上に沿道の観衆から声援と拍手が湧き起こる参加車がある。イタリアにおける往年のブランド「Iso(イソ)」のマイクロカー「イセッタ」である。
ただしイソと聞いて、真っ先に思い浮かべるものは各自さまざまだ。ある人はモーターサイクルやスクーターを想像し、ある人はグラン・トゥズモ「イソ・グリフォ」を思いだす。その全貌を回顧する企画展「イソの冒険」が、トリノ自動車博物館(MAUTO)で2023年9月24日まで開催されている。
イソは、企業家レンツォ・リヴォルタ(1908-1966)が1939年にジェノヴァで創業した冷蔵庫工場「イソテルモス」に由来する。第二次世界大戦中にミラノ北郊ブレッソに移転。モータリゼーションの到来を予感したレンツォは、戦後に2輪車「イソモト」「イソスクーター」の生産を開始する。エンジンには1つの燃焼室を2つのシリンダーで共有することにより、同じ2ストロークでもさらなる低燃費を実現できるスプリット・シングル方式を採用した。
続いてイソは、本格的な4輪車時代を見据えて、マイクロカーの開発に着手する。エンジニアのエルメネジルド・プレティと、彼の仕事を引き継いだピエール-ルイージ・ラッジは、2輪車のように天候に左右されず、移動できる軽便な2人乗りコミューターを目指した。やがて到達した形状は、小さくも強固、かつ空力的形状なものだった。前部に設けられたドアは、路上にたいして直角に駐車することで、乗員が安全に乗降できるというアイディアだった。エンジンは2輪「イソ250」用のスプリット・シングル方式エンジンが流用された。
イソ・イセッタは1953年トリノ・モーターショーで発表された。1954年と55年には、公道スピードレース「ミッレミリア」にも参戦。性能指数賞を獲得する。
しかしイソ・イセッタはイタリア市場で大ヒットには恵まれなかった。理由は2年後の1955年にフィアットから発売された「600」だった。それは、より多くの人々に理解されやすいエクステリアデザインをまとい、かつ4人乗りであった。時代は戦後ベビーブーム。とくに乗車定員は、2人乗りのイセッタでは到底太刀打ちできなかったのだ。そこでイソはイセッタのビジネスモデルを自社生産からライセンス供与へと切り替えてゆく。結果としてフランスではヴェラム社、ドイツではBMW社がそれを取得。後者は独自の4サイクルエンジンに換装されて生産された。“本家”イセッタが1400台にとどまったのに対して、BMWイセッタは16万台を売るヒットとなった。
ライセンス供与は、1961年の多目的車「イソ100.000」でも試みられた。このときは、大胆にもフィアット社に提案した。しかし、受け取ったのは意外な返答だった。フィアットはイソに傘下入りを条件として提示したのだ。社主レンツォ・リヴォルタがそれを拒否すると、結果として破談となった。安定よりも独立を求めた、ソウルあるメーカーであったことがわかる。
未来の一流デザイナーたちが活躍!
やがて「ミラーコロ(奇跡)」といわれた高度経済成長のなか、イソは高級グラン・トゥリズモの市場を窺う。目指したのは、従来のスパルタンなものではなく、レンツォ・リヴォルタいわく「帽子を被って乗れる」ルーミーなものであった。彼の要望に、当時カロッツェリア・ベルトーネでチーフデザイナーを務めていたジョルジェット・ジウジアーロは見事に応えた。その成果がイソ「300」「グリフォ」であった。
レンツォ・リヴォルタ自身は1966年でこの世を去るが、息子のピエロが会社を継承。彼のもとで1967年には高速4ドアセダン「フィディア」、72年にはベルトーネでチーフを務めていたマルチェッロ・ガンディーニのデザインによるクーペ「レーレ」がリリースされる。
しかし前述の100.000試作車にみられた孤高の精神は仇となった。1973年の石油危機の影響は、小さなイソにとってあまりに甚大だった。そのためリヴォルタ家は会社を手放さざるを得なくなり、継承した企業も再生は成し得なかった。1974年のことだった。
最後にふたたびイセッタにまつわるエピソードを紹介しよう。第二次大戦後、BMWは旧態依然とした高級車のラインナップしか持ち合わせていなかった。そうしたなか、BMWイセッタは同社の復興におおいに貢献した。学芸員のフェデリコ・シニョレッリ氏は語る。「旧イソ経営陣の証言によると、倒産の危機から救ってくれたことに対するBMWからの感謝状が社内に保管されていたといいます」。イソが無ければ、今日世界屈指のプレミアムブランドであるBMWは存在しなかった。それだけでも、イソの自動車史における存在価値は十分あるのだ。
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