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連載最終更新日:2023.06.14 公開日:2020.06.03

吉田 匠の『スポーツ&クラシックカー研究所』Vol.03 ヨーロッパを魅了した最初の 日本製スポーツカー「ホンダSシリーズ」。

モータージャーナリストの吉田 匠が、古今東西のスポーツカーとクラシックカーについて解説する連載コラム。第3回は、ホンダの4輪車が世界に羽ばたくきっかけとなった「ホンダSシリーズ」についてのお話。

文・吉田 匠

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スポーツ360。ただしこれは1962年東京ショーで発表されたクルマそのものではなく、2013年にホンダがリプロダクションしたレプリカ。

スポーツ360。ただしこれは1962年東京ショーで発表されたクルマそのものではなく、2013年にホンダがリプロダクションしたレプリカ。

ホンダの4輪参入の切り札

さて、2回続いたポルシェに代わって、今回は日本のスポーツカーの歴史の話。日本で最初の市販型スポーツカーは、すでに1950年代前半にホンダ以外のメーカーから発売されているが、これは当時のトラックやセダンのボディ後半部をオープンにしたクルマで、ほとんど見掛けだけのスポーツカーだったといえる。

では今回の主役ホンダSシリーズはというと、シャシーもボディもエンジンもこのクルマ専用に開発された小さいながら本格的なスポーツカーで、まずは1962年秋の東京モーターショーに、スポーツ360とスポーツ500の2モデルがプロトタイプとしてデビューした。その頃までには2輪の分野でレースの世界でも生産台数でも世界一になっていたホンダが、4輪の世界に乗り込むために生み出したのがSシリーズだったのだ。

全長3000×全幅1300mm以内という当時の軽自動車規格にしたがったため、リアオーバーハングが極端に短い。

全長3000×全幅1300mm以内という当時の軽自動車規格にしたがったため、リアオーバーハングが極端に短い。

F1エンジンのミニチュアのようだといわれたスポーツ360のDOHC4気筒4キャブレターエンジン。356ccから33ps以上/9000rpmのパワーを出すとされた。

F1エンジンのミニチュアのようだといわれたスポーツ360のDOHC4気筒4キャブレターエンジン。356ccから33ps以上/9000rpmのパワーを出すとされた。

 ホンダ=当時の本田技研工業が4輪の発売を急いだのには理由があった。当時の通産省が4輪車メーカーへの新参入を制限する「特振法」を発表。それが施行される前に発売しようと急遽開発したのが、当時の360cc軽自動車規格に収まるオープンスポーツカーのスポーツ360と、そのエンジンを使った軽トラック、T360だった。ただしスポーツ360の動力性能は本田宗一郎社長が望むレベルに達しなかったらしく結局市販はされず、1963年8月に発売されたT360がホンダ初の市販型4輪車となった。

待望のホンダスポーツはその2か月後の63年10月、ホンダS500として発売された。ただしそれは前年の東京ショーに360と一緒に展示されたスポーツ500とは別物で、軽自動車規格に合わせて全幅1295mmだったそのスポーツ500と違って、市販されたS500のボディは、ホイールベースこそ同じ2000mmのまま、全長3300×全幅1400×全高1200mmという、5ナンバー車サイズに拡大されていた。しかも、本田宗一郎御大が造形室を連日訪れてデザイナーに注文を出しながら仕上げたというそのボディやインテリアのデザインは、初めて4輪車を生み出したメーカーのものとは思えぬほど洗練されていて、魅力的だった。

エンジンはモーターサイクルで培ったオールアルミ製DOHC4気筒4キャブレターの超高回転型で、排気量531ccから44ps/8000rpmのパワーを発生、4段MTを介して675kgの車重を最高速130km/hで走らせた。サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン、リアがチェーン駆動用ケースを使ったトレーリングアームとコイルの独立という、いかにも2輪車メーカーのクルマらしい独特のものだった。しかも公表された価格は45.9万円と一般の予想を大きく下回るもので、S500は性能でもプライスでも当時のクルマ好きを驚かせた。

初の市販型ホンダスポーツ、S500。軽自動車規格に収める必要がないため、ボディサイズは3300×1400×1200㎜に拡大されている。

初の市販型ホンダスポーツ、S500。軽自動車規格に収める必要がないため、ボディサイズは3300×1400×1200mmに拡大されている。

S500とS600のテールランプはシンプルな丸形。シルバーのダッシュボードにウッドリムステアリングが標準装備。

S500とS600のテールランプはシンプルな丸形。シルバーのメーターパネルにウッドリムステアリングが標準装備。

大幅に性能が向上したS600は、上下方向に広がったフロントグリルと、それに沿って形状変更されたバンパーがS500との外観上の主な違い。

大幅に性能が向上したS600は、上下方向に広がったフロントグリルと、それに沿って形状変更されたバンパーがS500との外観上の主な違い。

サーキットでも無敵だったホンダS

ところがそれから半年も経たない1964年3月、S500はS600にモデルチェンジする。DOHC4気筒4キャブレターエンジンは排気量を606ccに拡大、パワーも57ps/8500rpmへと大幅に増強され、720kgの車重を145km/hの最高速に導くという、わずか600ccのクルマとしては世界最高水準のパフォーマンスを誇った。

しかもいかにも当時のホンダらしくS600は早速レースに送り込まれ、64年5月の第2回日本GP、1300cc以下のGTレースで上位を独占。さらに9月にドイツ、ニュルブルクリンクで開かれたこれも1300cc以下のGTによる500kmレースに、後にF1チャンピオンになるデニス・ハルムの操縦で出場し、600cc強の排気量ながら1000cc以下でクラス優勝してしまう。

65年2月には、オープンに加えてS600クーペが追加された。室内は2座だが、テールゲートを備えるクーペボディはシート後方に有効なラゲッジスペースがあって、ビジネスにも使えるスポーツカーと謳っていたホンダSの真価が一段と明確に発揮されることになる。しかもこのクーペは、オープンボディとは異なる独特のデザイン的な魅力を備えていたこともあって、日本よりもむしろヨーロッパで人気を得ることになる。

オープンモデルのおよそ1年後に追加されたS600クーペ。日常使いもできるS600のキャラクターを一段と明確にしたモデルだった。

オープンモデルのおよそ1年後に追加されたS600クーペ。日常使いもできるS600のキャラクターを一段と明確にしたモデルだった。

 さらに1966年1月になると、究極のホンダスポーツたるS800が発売される。それはDOHC4気筒4キャブレターエンジンを排気量791ccに拡大、パワーを70ps/8000rpmに増強したもので、オープンで720kg、クーペで735kgの車重を最高速160km/hで走らせると公表された。160km/hとは英米のマイル表示で時速100マイルに当たり、当時の小型スポーツカーの目標的数字だった。実際、当時のイギリスのスポーツカーの場合、160km/hの最高速を出すには優に1300cc以上の排気量が必要だったから、60年代半ばのライトウェイトスポーツカーとしては、いかにS800が高性能だったか分かる。しかもそれでいて、普段の足にも使える柔軟性を備えていたのも、ホンダSの大きな特徴のひとつだった。

S800は66年5月になると、リアサスペンションがS600と同様のチェーンケース独立型から、コイルで吊ったリジッドアクスルに変更される。その結果、乗り心地はやや硬くなった反面、コーナリングに独特の癖がなくなってハンドリング性能が向上。サーキットでも明らかに速さを増した。その結果、国内の1300cc以下GTクラスでは無敵になると同時に、ヨーロッパのGTレースでも1000cc以下でクラス優勝している。

S800はフロントグリル内側とウインカーのデザインがS600と換わり、ボンネットにパワーバルジが備わったのが外観上の特徴で、これは国内販売モデル。

S800はフロントグリル内側とウインカーのデザインがS600と換わり、ボンネットにパワーバルジが備わったのが外観上の特徴で、これは国内販売モデル。

これは左ハンドルの輸出仕様で、グリル内のウインカーが国内仕様より大きい他、ボディサイドの前後にリフレクターが追加され、ミラーの位置とサイズも異なる。

これは左ハンドルの輸出仕様で、グリル内のウインカーが国内仕様より大きい他、ボディサイドの前後にリフレクターが追加され、ミラーの位置とサイズも異なる。

輸出仕様S800クーペのリアスタイル。イギリスのスポーツクーペのようなテールゲートを備える。S800のテールランプはオープンもこういうデザイン。

輸出仕様S800クーペのリアスタイル。イギリスのスポーツクーペのようなテールゲートを備える。S800のテールランプはオープンもこういうデザイン。

国内販売仕様の最終モデルとなったS800M。前輪ディスクブレーキとラジアルタイヤが標準装備されるなど近代化され、価格は75万円。

国内販売仕様の最終モデルとなったS800M。前輪ディスクブレーキとラジアルタイヤが標準装備されるなど近代化され、価格は75万円だった。

スポーツカーの本場ヨーロッパでも人気に

ホンダSが600から800へと発展していく時期は、ホンダがF1に初挑戦して、ヨーロッパやアメリカで極東の日本から来た初の強力なチャレンジャーとして名声を獲得していく時期と重なっている。持ち前の魅力的なルックスと高度なスペックに象徴される高性能に、そういうバックグラウンドが加わって、S600やS800はスポーツカーの本場ヨーロッパで著名なカーマニアやセレブにその魅力が認められた初の日本車になった。

例えばモナコ公国レーニエ大公の御妃、グレース王妃がモナコのディーラーで数か月待ちの末にS800を購入、自らステアリングを握ってコートダジュールを走る姿が見られたという逸話からも、その人気ぶりが理解できるのではないだろうか!

S800Mはフェンンダー前後に輸出仕様と同様のリフレクターが備えられた。ソフトトップは脱着が用意で対候性も良好、オプションでハードトップも用意された。

S800Mはフェンンダー前後に輸出仕様と同様のリフレクターが備えられた。ソフトトップは脱着が用意で耐候性も良好、オプションでハードトップも用意された。

S800Mのエンジン。基本構成は360やS500から変わらず、オールアルミ製DOHC4気筒で、4基のCVキャブレターを備える。791cc、70ps/8000rpm。

S800Mのエンジン。基本構成は360やS500から変わらず、オールアルミ製DOHC4気筒で、4基のCVキャブレターを備える。791cc、70ps/8000rpm。

S800Mのメーターパネル。タコメーターは8500rpmからレッドゾーンだが、筆者が乗っていたS800エンジンはサーキットでは10000rpm+まで問題なく回った!

S800Mのメーターパネル。タコメーターは8500rpmからレッドゾーンだが、筆者が乗っていたS800エンジンはサーキットでは10000rpm超まで問題なく回った!

 輸出用S800の後期型には前輪ディスクブレーキが標準装備されていたが、国内でも1968年に登場したS800Mになって、初めて前輪ディスクブレーキとラジアルタイヤが装着された。やがて1970年、埼玉県狭山工場における生産を終了する。しかしその後もSは世界中のエンスージアスト=熱狂的なクルマ好きに愛され続け、今も日本のみならずヨーロッパやアメリカでも、多くのSマニアを魅了し続けている。

実をいうと筆者もそんなSマニアだったひとりで、15歳だった1962年の東京ショーで360と500のプロトタイプを目にしてひとめでファンになり、1970年代から80年代に掛けて、2台のS800Mと1台のレース用クーペを所有していたのだった。

かつて筆者が乗っていた1969年S800M。ホイールは他社製品だが、FRPハードトップは純正品。現在は他のオーナーの下にある。

かつて筆者が乗っていた1969年S800M。ホイールは他社製品だが、FRPハードトップは純正品。現在は他の愛好家の下にある。

1980年前半に筑波サーキットのヒストリックカーレースを筆者のドライビングで走る、レース仕様に仕立てた1967年S800クーペ。総合優勝経験もあり。

1980年前半に筑波サーキットのヒストリックカーレースを筆者のドライビングで走る、レース仕様に仕立てた1967年S800クーペ。総合優勝経験もあり。

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