「GT-R」と「Z」、2019年はおめでとう50歳!【オートモビルカウンシル2019】日産編
4月5日から7日まで開催された、旧車・ヒストリックカーの祭典「オートモビルカウンシル2019」(幕張メッセ)。国内メーカーや海外メーカーの日本法人・正規輸入代理店も参加して、数多くの名車が出展されているのが特徴だ。日産ブースの3台を紹介。
3代目となるC10型「スカイライン」の中に設定されたのが、ツーリングカーレースで勝つことだけを目的に開発された高性能車、初代「スカイラインGT-R」。
そして、オープンスポーツカーの「フェアレディ」からクローズドボディのGTカーへと大きくスタイリングを変え、サブネーム”Z”を末尾につけて誕生したのが、初代・S30型「フェアレディZ」。
日産のスポーツカーとして、アイコン的存在である「スカイラインGT-R」と「フェアレディZ」はどちらも1969年の誕生であり、2019年は生誕50周年。それを記念して、日産は「GT-R & Z 50th Anniversary」を出展テーマとした。
展示されたのは、S30型の上級グレード「フェアレディZ-L」1970年式、4ドアのPGC10型「スカイライン2000GT-R」1969年式・JAFグランプリ優勝仕様レプリカ車(39号車)、そして2013年9月に独・ニュルブルクリンクサーキットの北コースで当時の量産車世界最速周回タイム7分8秒679を記録したR35型「GT-R NISMO N-Attack Package」の3台だ。誕生した順に紹介していく。
記念すべき第1回JAFグランプリで優勝!PGC10型「スカイライン2000GT-R」1969年式39号車(レプリカ)
「スカイライン」は、かつて存在したプリンスが1957年に初代を発売したクルマだ。そのプリンスが1966年に日産に吸収合併され、3代目C10型は1968年7月に日産から発売された。その翌年2月に追加されたのが、4ドアセダンのPGC10型「スカイライン2000GT-R」だった。「GT-R」の”GT”は長距離移動用の高性能とらラグジュアリー性を兼ね備えた”グランドツーリングカー”を意味し、”R”はレーシングを意味する。
3代目「スカイライン」は旧プリンスの開発陣が引き続き担当しており、PGC10型は特にその色合いが強かった。打倒ポルシェを掲げてプリンスが開発してきた、プロトタイプ・レーシングカー「R380」のノウハウが各所に詰め込まれた高性能車だったのである。国内のツーリングカーレースに投入され、狙い通りの大活躍をした。
1970年になると、初代「GT-R」に2ドアハードトップモデルKPGC10型が追加。PGC10型と、より戦闘力のアップしたKPGC10型と合わせて、日産が1972年10月にワークス活動を中止するまでに国内レースで49連勝を含む52勝を達成した。
今回の展示車両は、PGC10型「スカイライン2000GT-R」1969年式・JAFグランプリ優勝仕様(39号車)。1969年5月に富士スピードウェイで開催された、第1回JAFグランプリに出場した篠原孝道選手のレプリカ車である。同レースでの勝利は52勝への第1歩だったが、実は薄氷の勝利だったという。あまりにも高性能だったため、多くのドライバーが乗りこせずに脱落してしまったのだそうだ。
S30型最初期の上級グレード「フェアレディZ-L」1970年式
それまで全長で4m弱、全幅で1.5m弱というコンパクトなオープンスポーツカーだった「フェアレディ」は、1969年10月に大きく生まれ変わる。全長4115mm、全幅で1630mmと大型化し、なおかつクローズドボディに。未知への可能性と夢を意味するサブネーム”Z”を末尾につけて、「フェアレディZ」というGTカーとして再誕したのである。
上写真の「フェアレディZ-L」は1970年式であり、初代S30型のうちでも初期型に属する。当初、北米向け輸出仕様として開発され、北米などで大ヒットした「フェアレディ 240Z」が日本に逆上陸したのは1971年のことで、「フェアレディZ-L」はその前から存在した上級グレードだ。
S30型はその後、排気ガス規制に適合するため、電子制御燃料供給装置(EGI)を搭載したエンジン「L20E型」を1976年に搭載し、S31型へと進化。1978年に2代目S130型(※1)にフルモデルチェンジするまで、S30型とS31型合計で、初代は世界で52万台を販売した。世界で最も売れたスポーツカーとして、現在でも記録を保持し続けている。
当時のニュルブルクリンク量産車最速タイムをマーク!R35型「GT-R NISMO N Attack Package」2013年式
R35型「GT-R」は「スカイライン」の名を外されてはいるが、「スカイラインGT-R」の系譜で、通算で6代目となる。2002年に5代目・R34型「スカイラインGT-R」が排気ガス規制の適合問題で生産を終了した後、5年ほどの間を開けて2007年に登場した。現在、日産の市販車において最も高い走行性能を有し、同社では”マルチパフォーマンス・スーパーカー”と呼んでいる。
上写真の「GT-R NISMO N Attack Package」は、実は”罪作り”な1台だ。ドイツに、全長約20kmという世界最長のサーキットであるニュルブルクリンク(以下、ニュル)がある。現在、ここでは世界中の自動車メーカーがスーパーカーやGTカーなどを持ち込み、最速タイムのアタック合戦を展開している。それが始まったきっかけを作ったのが、この「GT-R NISMO N Attack Package」といわれている。
ニュルは全長も長くてコーナー数も170以上。公道区間も多いのでコース幅もエスケープゾーンも狭くて荒れており、タイムを出すためには文字通り命をかける必要があるという世界最難関のサーキットだ。そんな過酷なコースでベストタイムを出せれば、世界のどこであっても速い・乗りやすいといった証明になる。そのため、多くのメーカーが”ニュルで世界最速の何秒を記録!”と宣伝したくてタイムアタック合戦を行っているし、近年では乗り心地を鍛えるために高級セダンなどのテストもここで行っている。
「GT-R」は、3代目のR32型の頃からニュルで鍛えており、R35型も同様だ。先代のR34型にはモデル末期に”ニュルスペック”という限定車を出していたが、R35型も同様にさらに上のレベルを目指すことになったのである。日産のモータースポーツ兼ハイパフォーマンス・チューニング部門であるNISMOが、同社製のロードカーのフラッグシップモデルとして「GT-R NISMO」を開発することにしたのだ。
そして、2013年9月にニュルを貸し切って、公道走行も可能な専用オプションパックを装着してタイムアタックを敢行。その際の実車がこの「GT-R NISMO N Attack Package」であり、ナンバープレートも当時のまま。記録された周回タイム7分8秒679は、2012年に記録されたノーマルのR35型から10秒近く上回るものだった。
現在、「N Attack Package」はオプションパーツとして、2017・18年式「GT-R NISMO」用が販売中だ(2019年4月17日に発表された「GT-R NISMO」2020年式に装着可能かどうかは未発表)。「N Attack Package」は税込みで1000万円近くするため、「GT-R NISMO」に装着するとトータルで3000万円近い価格になる。「GT-R」の中で最も高性能かつ最も高額なのが、この「GT-R NISMO N Attack Package」なのだ。
50年という時間はとても長い。同じ1960年代に誕生し、かつてはベストセラーを記録したようなクルマであっても、その多くが生産を終了して歴史上の存在となっていった。「GT-R」も「フェアレディZ」も、いつかは手にしたい憧れのクルマという人は多いはずだ。しかし価格はもちろんだが、普段使いの利便性なども考慮するとなかなか購入できないのが現実だ。
それにもかかわらず、半世紀もの長い間、その系譜が続いてきた。それは、それだけどの代の「GT-R」も「フェアレディZ」も魅力があったという証だろう。日産には、これまでの両車に恥じない魅力のあるクルマを開発し続け、7代目、8代目と続けていってほしい。