2021年06月17日 13:50 掲載

ライフスタイル 1964年のオリンピックを前に、東京の道路整備は246と環七から始まった。

1964年に開催された前回の東京オリンピックに合わせ、東京の建物、交通網などの社会インフラは急速に整備された。道路では、羽田空港から国立競技場や選手村、駒沢公園などへアクセスする幹線道の舗装や片側2車線などの整備が急務だった。その中でも特に急がれた国道246と環七の整備を当時の写真を交えて紹介。

くるくら編集部 小林 祐史

国立競技場と駒沢公園を結ぶ国道246号の整備

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1963年9月に建設中の国道246号の青山一丁目付近 写真提供:東京都

 1964年、東京オリンピックに向けてインフラ整備が急ピッチで行われていた。道路整備もその1つで、特に急務とされていたのがメイン会場である国立競技場のある神宮外苑と、開会式を行う駒沢公園(世田谷区)を結ぶ国道246号の整備である現在、青山通り、玉川通りと呼ばれる区間だ。また246号には、拡幅の余地が少ない国道1号のバイパス路線としての期待もあった。

 1960年ころの世田谷区の玉川通りの写真を見ると、現在とは大きく違うところがある。それは、現在は玉川通りの真上を覆う、首都高速3号渋谷線の高架がないことだ。3号渋谷線の渋谷から用賀間の着工は1968年のためで、オリンピック開催時にはまだ高架が存在していない。現在の幹線道路といえば、沿道にはロードサイド型のチェーン店や商業施設の立ち並ぶ光景だが、この写真では住居、それも戸建てばかりであることがとても興味深い。

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1960年9月の世田谷区の玉川通り 写真提供:東京都

東京の道路整備はオリンピックで加速された

 国道246号以外の整備では、官庁街である霞が関と青山をつなぐ六本木通りや、代々木体育館・選手村と、青山通りの表参道交差点をつなぐ都道413号(井の頭通り、表参道)、環状2号線(外堀通りなど)、環状3号線(外苑東通りなど)、環状4号線(外苑西通りなど)などといった都内各所から神宮へとつながる道が整備された。その環状線のなかでも大掛かりな整備となったのは都道318号(環状7号線)、通称「環七(かんなな)」だ。

 現在の環七は平和島(大田区)から臨海町(江戸川区)を結んでいるが、1964年のオリンピックでは、大田区の羽田空港とボート競技会場となる戸田競艇場(埼玉県戸田市)を結ぶために、松原交差点(大田区)から新神谷橋(足立区)までの区間がまずは整備された。その区間内では駒沢公園へのアクセスも可能で、当初は選手村が埼玉県朝霞市という案もあったため、急務の工事として進められた(のちに選手村は代々木に変更)。

 そもそも環七は1927年に策定された都市整備計画に盛り込まれていた道路である。オリンピックで整備されたのは本来の計画の一部であった。そのためオリンピック後も重要な幹線道路として延伸工事が続けられた。全線開通したのは、オリンピックから21年後の1985年。実に完成まで58年もかかっている。

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1961年1月に工事中の世田谷区の環七 写真提供:東京都

 環七工事中の世田谷区の写真を見ると、雑木林が見え、電柱の数も少ないなど、牧歌的な雰囲気に包まれている。環七が整備される以前の世田谷、杉並区、練馬区、北区、足立区では未舗装の道路も見られ、車が運転しやすい道路は少なかった。そんななかで、片側2車線で舗装された環七は、世田谷区、杉並区などの車社会化を大きく進める根幹となったのである。

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