バイクや車より売れている!? 知られざる、もうひとつのホンダパワーに迫る<前編>
ホンダには、バイクでも車でもましてや飛行機でもない、もうひとつの柱となる事業がある。人々の生活をより豊かに便利したい、と創業者・本田宗一郎氏がはじめたユニークなプロダクトはいかにして生まれたのか。知られざるもうひとつのホンダパワーにスポットを当ててみたい。
その販売台数は車を遥かに凌ぐ
ホンダといえば日本が世界に誇るメーカーのひとつだが、バイクや車以外の製品も数多く手掛けているのをご存じだろうか。最近は、世界的にヒットを見せている小型ジェット機の「ホンダジェット」が大きな話題となっているが、実はもっと身近な場所にホンダの製品は溢れている。今回は、私たちの日々の暮らしを支える、もうひとつのホンダついて迫ってみたい。
ホンダでは、生活を支える製品群を「パワープロダクツ」と呼ぶ。その中でも、もっとも代表的な製品のひとつが、小型建設機械や農業機械などの動力源として使用される「汎用エンジン」だ。発電機をはじめ、耕運機、芝刈り機、除雪機、草刈り機、ブロアーなど、汎用エンジンが搭載される同社製品は多岐にわたる。
驚くべきことに、パワープロダクツのグローバルでの販売台数(マリン製品を含むライフクリエーション全体)は、自動車全体の454.6万台を軽く上回るのだという(2020年の同社データより)。その数562.3万台! なんと100万台以上も多いのだ。
しかし、それはあくまで台数での話。同社ライフクリエーション事業本部の中島茂弘さんによれば、全売上金額の僅か2%ほどに過ぎないという。売上額が小さいのは理由がある。どの製品も生活の基盤を支える製品ゆえ、バイクや車などと比べると、ずっと手頃なのだ。
「たしかに売上金額だけでいえば、些細なものかもしれません。しかし、ホンダにとってパワープロダクツの製品群は、ホンダがこれまで歩んできた歴史の原点のひとつとして、重要な意味を持つ製品なのです」と中島さんは語る。
汎用エンジンは、ホンダの原点
ホンダの誕生のきっかけとなったのは、自転車用の補助エンジンだった。終戦直後の1946年に創業者である本田宗一郎氏は、旧陸軍で使われていた無線機用の小型発電用エンジンと偶然出会い、それを自転車の補助動力として活用することを思いつく。自転車がまだ主な移動手段だった時代、「これができたらどんなに楽か、どれほど役に立つか」という、氏自身の思いやりから生まれたアイデアだった。
手に入れた約500基の発電エンジンを自転車用補助エンジンに作り変えて売り出すと、飛ぶように売れた。そのニーズの高さに確信を得た本田宗一郎は、今度は自転車用補助エンジン向けの自社製エンジンの開発に着手。1947年に「Honda」の名を記した最初の商品として「A型エンジン」を完成させ、1948年に静岡県浜松市に本田技研工業を創業することとなる。ホンダの原点は、汎用エンジン(現在のパワープロダクツ)にある、といっても過言ではないのだ。
その後ホンダは、1949年に100㏄の軽自動二輪車「ドリーム号D型」の生産を開始。今日に続く「ホンダ」=「バイクメーカー」としてその地位を確固たるものとしていくのだが、本田宗一郎氏の汎用エンジンへの熱意は留まるところを知らない。
1952年には、初の汎用エンジンを開発しOEM供給も始める。「H型エンジン」と名付けられたそれは、ホンダ初のカブに搭載された自転車用汎用エンジン「カブ号F型」を改良したものだった。
「ホンダはバイクや車メーカーである以前に、エンジンメーカーなのです」と中島さんは語る。
世のため人のため、自分たちが何かできること
自転車用補助エンジンにはじまり、2輪車、4輪車と事業を拡大し急成長を遂げた当時のホンダ。そのいっぽうで本田宗一郎は、汎用エンジンの技術こそが、人々の生活をより豊かに便利にするという信念を持ってパワープロダクツの事業を推し進めた。
ホンダ初の汎用エンジン「H型」が生まれてから70年。「世のため人のため、自分たちが何かできることはないか」という氏の志は、いまも変わらず受け継がれ、世界中の役立つ喜びにつながっている。
さて後編では、汎用エンジンを利用したユニークなプロダクツから、ホンダが新たに挑む宇宙ビジネスについて紹介したい。