2019年03月04日 00:56 掲載

ライフスタイル 人々から愛されるクルマには哲学がある。オースティン・ミニ【魂の技術屋、立花啓毅のウィークリーコラム10】

「名車と言われるにはそれ相応の理由がある」とかつてマツダに在籍し、ユーノス ロードスターやRX-7などを手掛けてきた技術者の立花啓毅氏はいう。どういうクルマが名車と呼ばれるのだろうか。

立花啓毅

「名車と呼ばれ、人々から愛されるクルマには必ず哲学がある」かつてマツダに在籍し、ユーノス ロードスターやRX-7など数々の名車を手掛けてきた技術者の立花啓毅氏はいう。どういう哲学がクルマに必要だと言うのだろうか。今回はオースティン・ミニについて解説する。

 作り手の哲学が感じられるクルマ、オースティン・ミニについてお話しよう。ADO15という開発コードのミニは、「最小の外寸に最大の室内」というコンセプトで開発がスタートした。コンセプトは技術者のアレックス・イシゴニスの哲学で、これを可能にしたのが画期的なフロントホイールドライブであった。エンジンのオイルパンの中にギアボックスとデフを入れて2階建てにした。さらに10インチの小さなタイヤをボディの四隅に置き、スペースを犠牲にしないラバー・サスペンションを採用した。サスの設計は、これも以前「作り手が使い手であることが、魅力あるモノを作り上げる」で紹介したアレックス・モールトン博士である。1959年のことだった。

 その結果、全長がわずか3050mmで、現在の軽より350mmも短く、全幅は70mmも狭いサイズだった。にも関わらず、広い室内を持ち、低重心かつ広いトレッドにより、卓越した運動性能を実現した。そこに着目したのが技術者のジョン・クーパーで、ミニ・クーパーを誕生させた。チューンナップされたクーパーSは、雪のモンテカルロ・ラリーで3度の優勝を飾り、ラリーでは無敵の存在となった。サーキットでもすこぶる元気で、多くのクラブマンから愛され、モータースポーツの発展に多大なる貢献をもたらした。

ミニの功績は道路の上だけではなかった

 それだけではない。ミニというポップカルチャーを世界中に広めた。あのミニスカートもそのひとつで、小枝のように細い英国人モデル、ツイッギーによって広まり、ミニは小さくて可愛いというイメージを作り上げた。そして60年代のビートルズと共に英国の新しいカルチャーを全世界に発信したのだ。

 ミニは、オースティン・セヴンとモーリス・ミニ・マイナーという二つ名で発売され、多くのバリエーションが作られた。ミニ・クーパー以外にもトラベラーや商用バン、後ろにトランクを付けたサルーン、さらにはピックアップトラック、また開放的なミニ・モークまでもが揃い、どれもが魅力的で大人気だった。

 当時の前輪駆動車は、かなり癖が強く、スロットルを開けると強力なトルクステアとかなりのアンダーステアが重なりアウト側にはらむ。戻すとタックインで一気にインに喰い込む。だがこの特性を上手く使うと、これまた速く屈曲した峠道ではまさに水を得た魚であった。

 ミニはちっぽけなクルマにも関わらず独特の存在感を放ち、誰もが胸を張って乗れるクルマとして世界中で愛された。ミニを手に入れると、夢も一緒に付いてくるように思えてしまう。

 かのエリザベス女王が愛車として使っていたことでも有名な同車。イシゴニスの哲学を具現化したこのクルマに、多くのユーザーは共感した。そして、単一モデルが32年間も生産されたのだ。生みの親、イシゴニスのどこか人間臭い哲学が、機能や造形として表れている。ここが日本の「軽」との決定的な違いであり、名車と呼ばれる所以である。

立花 啓毅 (たちばな ひろたか):1942生まれ。商品開発コンサルタント、自動車ジャーナリスト。ブリヂストン350GTR(1967)などのスポーツバイク、マツダ ユーノスロードスター(1989)、RX-7(1985)などの開発に深く携わってきた職人的技術屋。乗り継いだ2輪、4輪は100台を数え、現在は50年代、60年代のGPマシンと同機種を数台所有し、クラシックレースに参戦中。著書に『なぜ、日本車は愛されないのか』(ネコ・パブリッシング)、『愛されるクルマの条件』(二玄社)などがある。