君よ、何の記憶も残らないような運転をせよ!『モテるドライバーになるための100のこと』#04
令和男子だってクルマでモテたい! モテドライビング評論家・伊達軍曹が、モテるドライバーになるための心得やマナーをガイドする人気連載。第4回は「君よ、何の記憶も残らないような運転をせよ!」をテーマにお届けします。
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令和におけるモテドライビングとは何か?
筆者より少し上の世代、すなわちバブルのド真ん中を若者として生きた世代は、スペシャルティクーペなどを高速道路上で運転中に、助手席に同乗するボディコンシャスでワンレングスな女子大学生から「前のクルマ、全部抜いちゃって!」などと言われることもしばしばあったらしい。
スピードこそが正義であり、激しい走りこそがカッコいいという昭和の風潮は、今となってはなかなかイメージしにくいものではある。だがバブルの一番最後の頃を若者として生きた筆者は、その女子大学生の姿もなんとなくだがイメージできる。
しかし令和の今、「前のクルマを全部抜いてしまう」的なマナーと速度で走った日には、同乗者にモテるどころかブチ切れられ、ついでにSNSにも上げられてしまうのがオチだろう。
ならば令和の今、我々はどのような運転を行えば「モテ」につなげることができるのだろうか?
答えは「何の記憶も残らないような運転」である。
車内での会話の内容や、クルマで向かった先のことなどは覚えているが、「運転の様子はどうたった?」と聞かれても「なんとなくスムーズだった記憶はあるけど、細かいことはまったく覚えてない……」と同乗者に言わせる運転こそが、令和におけるモテドライビングなのである。
クルマの運転に限った話ではないが、人間は「普通にスムーズに運んだモノやコト」のことを、あまり記憶しない。会社へ通勤する際も、何のトラブルもなくいつもどおりに会社へ到着できた日の通勤風景の詳細など、ほとんどの人が個別には覚えていないはずだ。
しかし「電車内で変な奴にからまれた」「電車がどえらく遅延し、振替輸送もままならず、結局2時間以上も遅刻してしまった」みたいな“負の出来事”があった日のことは、けっこう覚えているものだ。
だがいつもどおりに家を出て、電車の遅延も車内トラブルもなく、つつがないまま会社に到着した日の通勤風景は、記憶からすぐに消えてしまうのである。
通勤の場合は、あまりにもスムーズな日々が長く続くと「……自分はこのまま、何十年もこれを繰り返すのだろうか? 俺の人生、それでいいのか?」というような根源的疑問を呼び起こしてしまうこともあるためやや微妙だが、クルマの運転の場合は「ドラマチックなことなど何ひとつ起きなかった」という平凡なこそがベリーベストであり、結果としてモテの可能性をアップさせることになる。
急ブレーキや急加速をすることのない運転。道を間違えたり、カーブでアンダーステア気味になってしまい、タイヤからスキール音が出てしまうようなこともない運転。そして飛ばすわけではないが、決してトロトロ走るわけでもないため、後方のクルマから煽られることもない運転。それは「何の起伏もない、面白みのない運転」であるとも言える。だが起伏がないからこそ、我々は車内でのカンバセーションなどに注力できる。その注力と負のイベントの不在が、結果として「モテ」を生むのだ(少なくとも「モテの可能性」を生むのだ)。
モテるための努力はたいていの場合、空振りに終わる。しかしそれでいいのだ

ということで「モテるドライバー」を目指さんとする諸君は、さっそく今日から「何の起伏もない、面白みのない運転」を実践していただきたいわけだが、いざそれを実践しようとすると、意外と簡単ではないことに気づくだろう。
例えば「今日は絶対に急ブレーキは踏まないぞ!」と決意していても、幹線道路の路肩に路上駐車していたクルマがウインカーをほぼ出さないまま急に本線上に出てきたことで、やむを得ず急ブレーキ気味のブレーキをかけてしまうことも、きっとあるはずだ。
そんなとき、貴殿はこう言うだろう。「なんだよあのクルマ、ちゃんとウインカー出せよ。ていうか、ちゃんと後ろ見ろよ!」と。
……おっしゃることはごもっともだが、モテドライビング評論家である筆者に言わせれば、貴殿にも非がある。
もちろん悪いのは相手方だが、真のモテドライバーは、路上ではそういったこともしばしば起きることを織り込み済みで「先読み運転」をしなければならないのだ。
すなわち「普通、路駐しているクルマがいきなり本線に飛び出てくることはあまりないが、絶対にないわけではない。それゆえ、路駐車両が飛び出てきたとしてもどうとでも対応できる速度と位置に、自車を調整していく」というのがこの場合の正解であり、モテる(可能性がある)ドライバーのテクニックだ。
しかしながら前述したとおり、たいていの路駐車両はウインカーなしで飛び出てくることなどないため、モテるドライバーの知られざる努力はたいていの場合、空振りに終わる。ドラマチックな出来事は、ほぼほぼ起こらない。
しかしそれでいいのだ。徒労に終わるかもしれない「先読み運転」という努力を、誰にもホメられないまま人知れず継続させることで、車内には「平凡な平穏」が訪れる。そして仮に何かがあった場合でも、「まるで何事もなかったかのように回避できた」という結果が残る。
令和のモテドライバーとはすなわち、パスが出てこない場合も多いことを承知で何度も何度もピッチを駆け上がる、サッカー競技におけるサイドバックのようなものなのだ。
