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最終更新日:2024.11.29 公開日:2024.11.29

時が止まった町「ヴォルテッラ」で、カタツムリと格闘す──イタリア・トスカーナ州をドライブする。【特集|クルマで旅しよう!】

まだ見たことのない景色を求めて、クルマで世界を旅しよう!イタリア・トスカーナ州のヴォルテッラは中世ルネサンス時代そのままの街並みが続く、時が止まった町。人気コラムニストの大矢アキオ ロレンツォが、思い出の味を求めてドライブに出かけた。

文・写真=大矢アキオ ロレンツォ(Akio Lorenzo OYA)

ヴォルテッラを囲む丘陵地。鉱物資源に恵まれていたことから、いにしえから人々が住み始めた。雄大な風景に「天地が創られたときは、こういった感じに違いない」と考えるのは筆者だけではあるまい。

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古代ローマ以前から人々が

ヴォルテッラ(Volterra)は、イタリア中部トスカーナ州ピサ県の町である。2009年には、吸血鬼と少女を描いたストーリー映画『ニュームーン トワイライト・サーガ』の舞台として設定されたことでも人気となった。遡れば、イタリア映画界の巨匠ルキノ・ヴィスコンティによる1965年のサスペンス『熊座の淡き星影』も、ヴォルテッラで物語が展開された。

州都フィレンツェからは、いくつかの行き方がある。おすすめは一旦シエナ方面に向かって南下し、コッレ・ヴァル・デルサの町から国道SS68を辿るルートである。なぜなら途中、あっという間に通り過ぎてしまう、まるで撮影用セットのような村をいくつも経由すること、直後にまるで地球の始まりのような壮大な丘陵を楽しめるからである。

ドライブ旅行を強く勧めるのは、事実上唯一の公共交通機関である路線バスが1日数本ときわめて少ないことだ。加えていえばバスの車上で、ひたすら連続するカーブと、あまり補修されていない舗装に身をまかせるのは、人によってあまり快適ではない。しかしそうしたアクセス環境のおかげで、極度なオーバーツーリズムに陥っていないのもこれまた事実である。

SS68は、ほとんどが対面通行だ。飼料用の藁束を山積みしたトラクターや、自家製ワインの瓶を大量に積んだ三輪トラックが前方を阻んだら、風景を楽しみながら大人しくついていこう。

国道SS68は、内陸であるシエナ県のポッジボンシからティレニア海に面したチェチナまで、71.5キロメートルにわたるルート。対面通行の道がえんえんと続く。地元ライダーにも人気のコースだ。

ヴォルテッラに至る途中、ポッジョ・ディ・サンマルティーノ地区で。マウロ・スタッチョリ作《指環 1997-2005》は、直径6メートル。“映え”という言葉が生まれる前から人気の撮影ポイントである。

幾重ものワインディングを辿ってゆくと、やがて標高531メートルのヴォルテッラが丘の彼方に見えてくる。

ヴォルテッラは標高531メートルの丘の上。これは、ティレニア海のチェチナ側から向かっていたときの風景。エトルリア時代にVelathriと呼ばれていたものがVolterraとなった。

旧市街の入口から丘に突き出していることから、ラ・スパレッタ(la spalletta 欄干)と地元の人が呼ぶ広場。最も町中に徒歩アクセス容易な地下駐車場もここにある。

旧市街の石畳には、貝の化石を頻繁に発見できる。観光案内所のロベルタさんは、説明する。「はるか昔、わずか10キロメートル離れた地点まで、一帯は海だったのです」。採石すると、おのずと化石が含まれているのである。景色も壮大だが、歴史のスケールも大きい。

市役所前の広場で。石畳の中に貝の化石が無数にあるのは、周辺が海だった証である。

ヴォルテッラ-ヴァル・ディ・チェチナ-ヴァルデラ観光協会のクラウディア・ボロニェーゼさん(左)と、ロベルタ・ヴィーキさん(右)。

ヴォルテッラは、さらに3つの時代の面影を今日に伝えている。ひとつは郊外の墳墓で、紀元前10世紀頃(諸説あり)からローマに先立ち文明を築いたエトルリア人によるものである。

もうひとつは、現在の旧市街のすぐ外を見渡せばわかる。紀元前1世紀末期に富裕市民の寄進で建てられたローマ劇場だ。その脇には紀元3〜4世紀に追加された浴場も。なんと、これらの遺跡は1950年代まで土に埋もれたままだったという。

旧市街の眼下にあるローマ劇場と浴場跡。古代ヴォルテッラ人の優雅な暮らしがうかがえる。

そして旧市街には中世・ルネッサンスの館が軒を連ねる。メインストリートのウィンドーを飾る白い彫刻やオブジェは、かつてヴォルテッラに莫大な富をもたらしたアラバスター石によるものだ。内部を見学できる「パラッツォ・ヴィーティ(Palazzo Viti)」は、19世紀にアラバスターで財を成した一家の館である。

アラバスター石は、長年ヴォルテッラの繁栄を支えた。今も近郊の1カ所で採掘が行われている。

旧市街で。中世ルネサンス時代そのままの街並みが続く。

つのだせ、やりだせ

ヴォルテッラ名物のひとつに、カタツムリ料理がある。個人的な述懐をお許しいただければ、これには思い出がある。約30年近く前、まだイタリアに住み始めた頃のことだ。知人の紹介でヴォルテッラに住むお年寄りと知り合った。そのおじさんはすでに年金生活者だったが、現役時代は石工をしていた。まさに前述の石畳を切って街路に埋めたりしていたのである。

おじさんは「今度は昼を一緒に食べよう」と誘ってくれた。彼は夫人と住んでいたが、趣味で料理を得意としているらしい。ただし、朝早くに来いという。当日行ってみたら、おじさんは筆者にボウルを渡し、庭に出た。そしてカタツムリを探し始めた。筆者も彼にならって、見つけてはボウルに入れていった。それを長時間かけて煮て、当日のランチにした。当時筆者はまだイタリアで学生をしていたが、「こんなに不思議な体験ができる国なのだから、何か書けば日々のメシ代くらいにはなるのではないか」と、ぼんやりと物書きになることを考え始めたのだった。

おじさんは惜しくも数年前、天国の人となった。だから今回ヴォルテッラを訪ねるにあたり、あの懐かしい味が食べられる店がないかと考えた。 地元出身の知己を頼って尋ねたところ、1件のトラットリア、つまり大衆食堂を教えてくれた。念のため電話をすると、「なるべく早くに来たほうがいい」と勧める。あまり寒くなると、カタツムリがいなくなるからだという。そこで慌てて翌日行ってみることにした。

店はイタリアの大衆食堂の例にもれず、入口にバールが併設されていて、地元の人がバリスタと話に興じている。その声が天然BGMになっている。「カタツムリを食べに来た」と告げると奥へと案内された。外からは想像できないくらい中は広い。椅子に座って開いたメニューにカタツムリ料理は載っていない。なぜなら今や養殖物とはいえ、期間が特定できないからである。そればかりか、ウェイターの若者さえあることを知らず、彼に厨房に聞いてもらい、やっとオーダー完了となった。

ヴォルテッラ名物のひとつ、カタツムリ料理。濃厚なソースは、トスカーナの塩なしパンとの相性が良い。

食べるために出された唯一の“食器”は、洒落たエスカルゴフォークなどではない。普通の楊枝(ようじ)である。素朴このうえないが、やはり殻から具を掘り出しにくい。気がつけば童謡『でんでんむしむし・かたつむり』の歌詞「つのだせ やりだせ あたまだせ」を歌っていた。

具がもつ弾力と、濃厚な香草ソースの絶妙な調和。食べたあとは殻を口につけ、中に入っているソースをチュッと吸い込む楽しみもある。それをひたすら繰り返す。向かいの一人客も同様に掘ってはチュッを続けている。トスカーナ伝統の塩無しパンで皿に残ったソースをすくって食べ終わるまで、およそ1時間半を要した。

カタツムリを殻から掘り出すことに集中する筆者。手はベトべトになり、ソースは服まで飛び散るので、初めてのデートには不向きだろう。だが、そうやって豪快に食べるのも楽しみのうちだ。

ヴォルテッラ「トラットリア・ダ・バド」は、第二次大戦後間もなくから続く老舗。厨房に立つルチアさんは、現オーナーのお母さんである。

帰路、今度はヴォルテッラを背にしてSS68の下り坂を辿っていると、若者が運転するクルマが後方から迫ってくるのをミラー越しに確認できた。錆の浮いた初代フィアット・パンダだ。

だが、地元在住者で日頃から走り慣れているのだろう。明らかにコーナーひとつひとつを体得していて速い。普段なら「パンダごときに抜かれるか」と思う筆者だが、素直に追い越させた。なぜなら腹の中で、昼に食べたカタツムリが「おい、俺みたいにゆっくり行こうぜ」と呟いたからだった。

フレグランス店のウインドウを飾るのも、アラバスター石の中に電球を入れた照明である。

INFORMATION
おすすめルート: フィレンツェ・アメリゴ・ヴェスプッチ空港から高速道路A1号線Firenze Impruneta インターチェンジ下車。そこから自動車専用道路フィレンツェ-シエナ線でColle Val d’Elsa インターチェンジで降り、国道SS68で約1時間。

ヴォルテッラ-ヴァル・ディ・チェチナ-ヴァルデラ観光協会ウェブサイト
www.volterratur.it

トラットリア・ダ・ヴァド|Trattoria da Badò
住所:Borgo San Lazzero, 9 56048 Volterra (Pisa)
営業時間・定休日など詳細はTripadvisor参照

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