【フリフリ人生相談】第414話「クライアントの要求にストレスが溜まる」
登場人物たちは、いいかげんな人間ばかり。そんな彼らに、仕事のこと人生のこと、愛のこと恋のこと、あれこれ相談してみる「フリフリ人生相談」。人生の達人じゃない彼らの回答は、馬鹿馬鹿しい意見ばかりかもしれません。でも、間違いなく、未来がちょっぴり明るく思えてくる。さて、今回のお悩みは?インテリアデザインの仕事をする30代が嘆きます。「クライアントの要求にストレスが溜まる」。答えるのは、埼玉の実業家、高橋純一です。
客にストレス?
インテリアデザインの仕事をする30代男性からのお悩みです。
「仕事柄、クライアントさんからの要求が『それ、おかしいだろ?』というものが多いです。ホームメーカーでも個人顧客でも同様ですが、予算もないのに奇妙な豪華さを求めてきたり、シンプルな雰囲気がいいと言いながら凝った内装にしたがったり。こちらとしては、5年後10年後を考えて素材やデザインを提案しているのに『いまはこういうのが流行りだから』とか『こっちのほうが安価だから』『私はこれが好きだから』という感覚で決められてしまいます。クライアントのほうが立場が上で、彼らの意向に沿うしかないのはわかっていますが、ストレスが溜まります。クライアントとうまくつきあうコツを教えていただけますか?」
「クライアント」という言葉を見た瞬間に、回答者は高橋純一にやってもらおうと決めていました。クライアントとの関係っていうのはビジネスの基本で、ビジネスの基本と言えば、そりゃもう高橋純一、です。
と、このところ、私のなかで高橋純一の株があがっているわけですが、大宮のあの小さな取調室のような部屋でふたりきりになるのはつらいなぁと思っていたら、たまたま別件で東京にいるから、そのときにどうだ? と、提案を受けました。そりゃあ大歓迎です。
と、待ち合わせに指定されたのは、丸の内にある高級ホテルのラウンジです。ここは毎回、髙橋純一の妻である由佳理と会っている場所です。ちょいと困惑しつつゴージャスなホテルのラウンジに向かうと、奥のほうの席に高橋純一が座っていました。
私の顔を見るなり、彼は照れたように言いました。
「いや、すみません。きょうは由佳理をエステに連れて行きつつ、こっちでいくつか仕事を済ませたもので……松尾さん、ここでよく由佳理と会われるようなので、わかりやすいかなぁと思ったのです」
「こちらこそ……もしかして、夫婦水入らずの時間を邪魔しちゃいました?」
なんて、自分でもよくわからな言いわけをする私です。
「いえいえ、由佳理はいまエステ中で……終わったら食事でもして帰るつもりなんです」
と、彼はうれしそうに言います。
いつもの取調室とは真逆の空間で見る高橋純一……貧相このうえない顔なのですが、どういうわけか、このゴージャスなカフェラウンジを背景にして、まったく見劣りしないというか……なんだかすっかり馴染んだ落ち着きさえ感じます。本物の金持ちは醸し出す雰囲気が本物ってことなのでしょうか。
「実はですね、今回はこんな内容のお悩みなんですよ」
と、気おくれすら感じながら、私はバッグからiPadを取り出して、画面をオンにして彼に渡しました。
熱心にiPadに視線を落とす髙橋純一をそっと観察します。着ているのはいつもと同じ地味な紺色のスーツ。でも、ここで見ると、仕立てのよさが目につきます。袖口から覗く腕時計もパティック・フィリップではないか、と、はじめて気づいてしまったわけです。香港系の高級ホテルで見かけたものすごく地味で貧相な男が、実は大富豪だった、という、ありがちな「金持ちあるある」ってことかもしれません。
「なるほど、なるほど」
と、顔をあげて、髙橋純一はゆっくりと笑いかけてきました。
「この人、インテリアデザイナーって言いつつ、きっとどこかのデザイン会社に勤めてるんでしょうね」
「え、そうなんですか? なんでわかります?」
「だって、お客さんにストレスを感じてるなんて、従業員の感覚でしょう?」
わかってないのは、どっち?
「そ、そうかぁ」
考えもしなかったことを指摘されて、思わず、うなってしまいました。うなりつつ、なぜか、弁解する気持ちになっていました。
「でも、ぼくは、わかる気もするなって思ったんですよ。インテリアの話って、きっと、お客さんはわがままに言いたいことばっかり言いそうですよね……これが好きとか、こういうのが理想とか。そのときの感覚で決めても、あとあと、飽きちゃうなんてことも多そうだし……」
「そりゃあ、そうでしょうね」
髙橋純一はおだやかな微笑を浮かべました。
「でも、お客さんの要望にストレスを感じる必要はないですよね」
「…………」
「クライアントはつねにそうやって自分たちの要望を口にするわけですからね。それを聞かないことには、なにもはじまらない」
「でも、きっと、この相談者には理想というかビジョンがあって、こっちのほうが美しいとか、10年先にはトレンドはこっちに行ってるのに、とか、わかってるわけですよね。だから、クライアントの要望にストレスを感じてる」
少しばかり熱く語る私に対して、髙橋純一はごく落ち着いた様子で、軽くうなずいたりしています。私が小さく息をつくと、微笑みながらゆっくりと言いました。
「ラーメン屋さんが、客に対して、こいつら、ほんとに味覚音痴でうまいものがわかってないな、なんて苛立つと思います?」
「は?」
「文句言ってたら、客は来ませんよ。というか、そんなラーメン屋は、すぐにつぶれます。うまいはずないんだから」
「…………」
「うまいから、客は来る。店主のラーメンの理想がどうした、なんてことより、味がいいか悪いか、それだけですよね」
「…………」
「こういう悩みは、社長とか店主なら、ぜったいにないんですよ。全部の責任を背負って仕事をしているわけですから。うまいものを提供して売り上げになってる自負があるわけです。ところが、従業員は、食いかたがよくないとか、もっと早く食えとか、カウンターを汚すな、ティッシュを無駄にするなとか、そういうことで文句を言いがちです。だから、この人も……」
と、言葉を切って、私を楽しそうに見つめたあと、そっと言いました。
「クライアントの要望にストレスが溜まる、なんて言っちゃうんでしょうね」
「…………」
「クライアントに対して、啓蒙してやろうとか教えてやろうとか、まったくダメな思考パターンなんですよ」
「…………」
「まずは、的確にクライアントの要望に応える。100パーセントを超えて、120パーセントも150パーセントも満足してもらって、それが数年続いて、そこからですよ、クライアントが、つぎはどうしたらいいでしょうなんて相談を持ちかけてくるのは……」
チャンネルを意識する
「ってことは」
私は、たぶん、驚いていたと思うのです。貧相なはずの髙橋純一が、やたらパワーのある経営者の顔つきで、おだやかに、仕事の本質を実にさりげなく語っているのです。
どういうこと? と、思いつつ、これがいくつもの会社を所有する男の哲学ってことか、と、打ちひしがれたように納得するしかありません。
「どうしたら、いいんですかね」
つい、私の声は低くなります。
「チャンネルを意識するといいと思うんですよ」
ためらうことなく、髙橋純一は言います。
「ものごとの見かたには、いろいろあるじゃないですか。自分が理想とする内装の仕上げとか、かっこいいと思うインテリアとか……それって、ひとつのチャンネルなんですよ。ものごとの理解とか見かたのチャンネル、ですね」
「…………」
「こちらの理想を語る前に、まずはクライアントの要望っていうチャンネルがあります。相手の好みとか事情ですね。コストのチャンネルもあるし、納期のチャンネルもある。いろいろなチャンネルを合わせながら、クライアントと打ち合わせを重ねるわけですね」
「なるほど」
と、うなずくしかありません。
「自分のデザイナーとしての理想っていうチャンネルばかりで考えてると、そりゃあ、ストレスを感じますよ。ほかにもチャンネルはたくさんあるのに、ひとつのチャンネルでしか向き合わないっていうのはダメです。これが理想の太麺だって言ったところで、スープがぬるいのはダメだし、チャーシューがまずいのもダメ。そのあたりがうまくいって、ラーメンそのものはうまくても、店が不潔なのはダメ……でしょう?」
「確かに」
私は、くっきりとうなずいてしまいました。
「まさに、総合力ってことですね」
勢いこむ私に、高橋純一は、どこまでもやさしく笑いかけてきます。
「総合力……っていうと、わかりやすそうだけど、実はほんとにむずかしいんです。でも、ひとつひとつの局面をチャンネルとして考える……顧客と意思疎通すべきチャンネルがいくつかある、それを素速く、的確に、カチャカチャと合わせていく……そんなふうにイメージすると、いいと思うんですよねぇ」
まさに「髙橋純一ビジネス講座」です。
「チャンネルをカチャカチャ合わせる」という表現に時代を感じないわけではないですが、がっつり納得です。
「すっごくよくわかりました」
と、私は、力強い声で叫んでいました。
「そうですか、それは、よかった」
目の前でゆったりと微笑む髙橋純一が、アジアの大富豪に見えてきて、私は一瞬、どこか異国で夢を見ているような気がしていたのでした。