「トヨタ初代セルシオ(10系)/レクサス初代LS400」──日本が世界に挑戦した名車たち(第2回)
日本の自動車メーカーが世界に挑戦した名車たちを紹介する新連載。第2回は王者メルセデス・ベンツやBMWに代表される、世界レベルの高級車に挑んだ「トヨタ初代セルシオ(10系)/レクサス初代LS400」を特集。モータージャーナリストの武田公実が解説する。
今や全世界で確たる地位を築いている日本の自動車産業だが、ほんの数十年前までは挑戦者の立場にあったことは、誰もが知る事実であろう。
国内市場における成功だけに満足するのではなく、世界最大の自動車マーケットであるアメリカや、自動車発祥の地、ある意味本場でもあるヨーロッパにおいても、その正味の実力で真っ向勝負を挑もうとしたチャレンジャー的なモデルは数多いのだが、そんな名車たちの伝説に触れるのがこの特集企画。
初代S30系フェアレディZ/ダットサン240Zに続く第二回は、トヨタ初代セルシオ(10系)/レクサス初代LS400である。
静粛性への徹底したこだわりが花開く
コストパフォーマンスが高い上に、頑丈で信頼性も高い。でも、あくまで大衆向けの量産実用車。そんな企業イメージが大方を占めていたトヨタが、現在でいうところの「プレミアムブランド」。付加価値、そして利益率の高い上級ブランドとして「レクサス」を発足させたのは、1989年1月のこと。まずは世界最大の自動車マーケットであるアメリカから、販売ネットワークの構築に着手した。
そして新生レクサス・ブランドのプロダクト第一弾となったのが、同じ1989年の8月に発売されたレクサスLS400。生産拠点は愛知県の田原工場とされた。いっぽう日本では、レクサス販売網が展開される以前だったことから、LS400発売の二か月後となる89年10月に、トヨタの新たなフラッグシップカー「セルシオ(CELSIOR)」として国内デビューを果たした。
LS400/セルシオでは、エンジン・シャシーとも既存のトヨタ車からの流用はなく、すべてが新規の設計。世界トップレベルの静粛性や乗り心地を目指していた。
エンジンは、ブロック/ヘッドともアルミ軽合金製3968ccV型8気筒の1UZ-FE型。シザースギアを用いた狭角バルブ配置を持ち、当時のトヨタでは「ハイメカツインカム」と銘打っていた気筒当たり4バルブのDOHCヘッドを組み合わせ、260psの最高出力と36.0kgmの最大トルクを発生(ともに国内版セルシオのデータ)。トヨタ傘下のアイシンとの共同開発による、電子制御式の4速ATと組み合わされた。
走行性能については、250km/h級の最高速度をマークするなど、それまでの日本製サルーンでは未知の領域に到達。そのかたわら、当時の高級車としてはまさしく異次元的ともいうべき静粛性を確保した。当時のデータによると100km/h走行時のLS 400 のキャビンは、同じ市場でライバルとなるメルセデス・ベンツ W126系420 SEやBMW E32系735i に対して大幅に静かな、58デシベルに過ぎなかったという。
それは同じくアイシンとの共同開発により、プロペラシャフトの第1/第3ジョイントにフレキシブルカップリングを採用する。あるいは振動騒音の源流対策として、エンジンからデフまでを直線配置し、ジョイント角を0度に設定するとともに、回転アンバランスを徹底的に低減するなどの地道な努力を積み重ねた成果と言えるだろう。
また、当時のトヨタではクラウンにもペリメーター式セパレートフレームを採用していたが、LS400/セルシオではシャシー・ボディを一体化したモノコック式を選んだ。ただしトヨタは、最高級車のセンチュリーでは初代からモノコックを採用しており、モノコック構造での高級車づくりには確たる自信があったものと思われる。
ホイールベースは2815mm。全長4995mm×全幅1820mm×全高1400mmの4ドアセダンボディは、サイドウィンドー面とサッシの段差を最小限に抑えることで空力面や風切り音の低減に有利なプレス式のドアを採用した。また、車体下面を流れる空気の流れにまで細心の注意を払った結果、Cd値(空気抵抗係数)は、スポーツカーにも匹敵する0.29をマークした。
サスペンションは4輪ともダブルウィシュボーン独立式を採用し、日本向けのセルシオA仕様とB仕様はコンヴェンショナルなコイルスプリングを組み合わせた。ただしB仕様には、路面の状況によりダンパーの減衰力が通常走行時の「ハード」の設定から瞬時に「ソフト」に切り替わる電子制御サスペンション「ピエゾTEMS」を世界で初めて採用。さらにC仕様には乗り心地がさらにスムーズになるとともに、ロードノイズの軽減も可能とする電子制御エアサスペンションを装備した。
トヨタが残した偉業
こうして誕生した初代LS400の海外、ことにアメリカにおける成功は目覚ましいものとなった。1990 年までに北米マーケットで販売された台数は、競合するメルセデス・ベンツSクラスやBMW 7シリーズ、およびジャガーXJシリーズの販売台数を上回り、総生産台数は 16万5000 台を超えたとも言われている。
国産車が得意としてきた小型車や、キャラクターとコストパフォーマンスの対比を際立てやすいスポーツカーなどではなく、それまで日本車にとっては苦手分野だったはずの高級車。しかも王者メルセデス・ベンツ SクラスやBMW 7シリーズに代表される、世界レベルのプレステージセダンを成功させたことは、特筆すべきトピックであろう。
中でも静粛性や、トヨタ持ち前の信頼性への評価は圧倒的なもので、そののち誕生したメルセデス・ベンツW140系SクラスやジャガーX300系XJでも、レクサスLS400を研究課題としたことが明確に謳われていた。
それは、日本車が初めて到達したグローバルスタンダードの証だったのかもしれない。