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最終更新日:2022.11.11 公開日:2022.11.11

燃費なんて気にしないぜ! 懐かしのアメリカンマッスルカー「フォード・マスタング(初代)」

これぞアメ車の醍醐味。大排気量のビッグブロックV8エンジンを小さなボディに詰め込み、獰猛なスタイリングと強烈なパワーで人気を博したアメリカンマッスルカー。特集の第一回はフォード初代マスタングを紹介したい。

文=武田公実

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1964年に開催された「ニューヨーク万国博覧会」で披露されたフォード初代マスタング。

 今から半世紀前、1970年代以前のアメリカ車は、自動車に燃焼効率や二酸化炭素軽減などの命題が課され、ハイブリッドやBEVなどが多勢を占めつつある現代の風潮とは対極にあるクルマたちばかりだった。しかしその天衣無縫な魅力は、ほかの何物にも代えがたいこともまた事実であろう。

 そんな古き良きアメリカ製「マッスルカー」の数々をご紹介する特集。第一回に選んだのは、名車中の名車として知られるフォード初代マスタングである。

 ちなみにアメリカ車に造詣の深い筋によると、厳密には「マッスルカー」はビッグブロックの大型V8エンジンを、より小型な車体に詰め込んだモデルのことを指すそうで、他方マスタングは「ポニーカー」と呼ばれるジャンルに属するとの由である。

 でも「アメリカン」と「マッスル」というキーワードを象徴する傑作車として、まずご紹介すべきはマスタングと考えたのだ。

社会現象を巻き起こした元祖ポニーカーとは?

 1964年4月17日から開催された「ニューヨーク万国博覧会」の大会初日に発表されたフォード・マスタングは、当時のフォード社長、リー・アイアコッカの企画によって生まれ、現在にも至るスポーティなスペシャルティカーという新しいジャンルの開拓者となった。

 スタイリッシュなフォルムはスポーツカーのようにも映るが、その実は開発期間とコストを削減するため、当時のフォードの最廉価大衆車「ファルコン」からコンポーネンツの流用したクルマだった。

 アイアコッカは「アメリカの民衆が好むのはスポーツカーではなく、スポーツカーのように見えるクルマ。」という持論をもとに、「ホイールベースを詰め、タイトな後席を持ったファルコン」をコンセプトとしたという。さらに「トリノで見たスポーツカーは、みな口が尖っていた」というリクエストに応え、イタリアのスポーツカーを思わせる迫力あるフロントエンドを持たせた。

マスタングの開発は、当時のフォード社長、リー・アイアコッカが率いたシークレットプロジェクトだった。写真はフォード・スタイリングセンターでクレイモデルを使って造形をしているところ(1962年)。

当時の大衆車であったファルコンをベースに開発された初代マスタング。写真はそのプロトタイプ。ヘッドランプ回りのデザインが市販モデルとは大きく異なる。

名前の由来のひとつにもなった迎撃戦闘機「ノースアメリカンP-51マスタング」を背に並ぶ歴代モデルたち。中央は初代マスタング・コンバーチブル。両サイドは4代目。

 マスタングとは野性馬を意味する。また、第二次世界大戦後期に活躍した迎撃戦闘機「ノースアメリカンP-51マスタング」にあやかったとも言われている。この名称自体は、1962年にフォード開発部門が製作し、かのフォード「GT40」にも影響を及ぼしたとされる同名のミッドシップ小型プロトタイプから拝借したもので、名前のみならず、そのデザインエッセンスも生産型のマスタングにも引用された。

 蛇足ながら「マスタング」と決まる前には、イタリア北部の古都からとった「トリノ」と命名されることが内定していたという。しかし、フォード会長であるヘンリー・フォード2世が、時悪しくもさるイタリア女性と不倫中。パパラッチの標的となっていたことから、スキャンダルの報道に油を注ぐようなイタリア風の名前を避けたとのこと。

 そこで、広告代理店のJ.ウォルター・トンプソン社らと再考した結果「クーガー(アメリカライオン)」と「マスタング」の2つの名が残り、最終的にマスタングに決定したと言われている。

 フォードはこの直後に、イタリアの象徴フェラーリと、サーキットを舞台にまさしく血で血を洗うような死闘を繰り広げることを思えば、賢明な選択だったかもしれない。また「クーガー」の名は、のちにマスタングのマーキュリー・ブランド版姉妹モデルに命名されることになった。

マスタングはなぜ大ヒットしたのか?

初代マスタング・コンバーチブルのインテリア。

 こうして誕生したマスタングは、ノッチバックスタイルのクーペとコンバーチブルの二本立てのボディを持つ。また、標準装備を簡素にして本体価格を抑える代わりに、「フルチョイスシステム」の名のもと、オプションの組み合わせでバリエーションを構成する販売方式を採用。エンジンはスタンダードの2.8リッター直6 OHVから4.2リッターV8 OHVまでが選択できた。

 さらに、オートマチック・トランスミッションやビニールレザー張りシート、ホワイトリボンの入ったタイヤなど多彩なオプションを用意したことで、V8エンジンを搭載したバージョンはスポーツカー顔負けのパフォーマンスを得るいっぽうで、おしゃれな街乗りパーソナルカーに仕立てることも可能だった。

誕生から54年が経過した2018年、マスタングは生産1000万台を達成した。フォード公式トリビア情報によれば、クルマを端から端まで一列に並べた場合、その距離は2万9545マイル(約4万7548km)に達し、地球一周の距離を優に超える長さだという。

 これは、アイアコッカによるマーケットリサーチの賜物であったのだが、彼らの目論見はみごと功を奏した。この選択肢の広さやスタイリッシュなデザインは大好評で、ベースとなった人気小型車ファルコンをも上回る大ヒットを獲得する。

 発売1週間で、全米のフォードディーラーには400万人以上が来店し、特にシカゴでは警察が出動するほどのパニックになったというエピソードも残る。そして10万台と設定された年間目標販売台数に対して、発売初日だけで2万2千台を受注。発売1カ月で10万台以上を販売。さらに発売後わずか1年11カ月で100万台を販売するまでに至った。

 加えて1967年モデルとして、現代に至るマスタングのアイコンである「ファストバック」クーペも追加設定され、この大ヒットに拍車をかけることになったのだ。

時代を超越した存在に

スティーブ・マックイーンが1968年に主演を務めた映画「ブリット」で、サンフランシスコの街を駆け回ったマスタングがこの一台だ。2020年のオークションに登場し340万ドル(当時3億7000万円)で落札され、史上最高額のマスタングとして話題になった。

 量産小型車のコンポーネンツを流用したスポーツクーペというアイデアは、1964年、マスタング発表のわずか2週間前にライバルのクライスラー・グループがデビューさせていた「プリマス・バラクーダ」が先達とも言われながらも、結果として歴史的な大成功を博し、マスタングはのちに起こった「ポニーカー」ブームの火付け役となった。

 そして、同じフォードが英独で開発・販売した「カプリ」や、フルチョイスシステムまでをそっくり持ち込んだトヨタの初代「セリカ」をはじめ、そののち全世界で「スペシャリティカー」と呼ばれるジャンルの先駆者となった。

 また『ブリッド』や『60セカンズ』などの映画にも登場し、今なお時代を超えたアメリカの文化的アイコンとなっていることも、特筆すべき事実であろう。

 そして初代マスタングのデビューから60年。2022年9月に7代目がデビュー。内外装とも初代マスタングを現代化したかのような、オマージュ的なスタイリングが印象的だ。それは、初代マスタングが時代を超えた存在であることを示す、何よりの証左と言えるのではないだろうか……。

最新の7代目を先頭に、反時計回りで初代〜6代目と続く新旧マスタング。これぞアメ車という出で立ちに惚れ惚れしてしまう。

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