【再掲記事】祭りでできた人の絆が、震災後の復興を後押し/岩手県陸前高田市(1)|東日本大震災、震災後の記事を振り返る
東日本大震災から11年。次の大震災に備えて、この経験をしっかり覚えておくために、「くるくら」では震災3年後の被災地の状況を伝えた記事を再掲することにしました。10回目は「祭りでできた人の絆が、震災後の復興を後押し/岩手県陸前高田市」です。
本記事は2014年2月に「メイトパーク」(「くるくら」の元サイト)に掲載した内容の再掲です。現状を伝える記事ではありませんのでご注意ください。
米崎小学校仮設住宅・自治会長 佐藤一男さん
陸前高田市は岩手県南部の海に面した地域。市街地のほとんどが平坦な土地にあったため、津波の被害が大きく、県内で最も死者数が多かった地域だ(平成25年末現在、死者1599人、行方不明者215人)。
そんな陸前高田市の仮設住宅に住む佐藤一男さん(47歳)から、「正月に祭りがあり、獅子舞が仮設住宅も回ります」と聞き、1月2日に現地に入った。佐藤さんは米崎小学校仮設住宅の自治会長を務めており、獅子舞踊りの祭りを取り仕切っている人である。
当日は寒波の影響で朝から大雪。海が近く、あまり雪が降らないこの地域では珍しいと言う。雪の降る中、獅子舞は2つのグループに分かれ、米崎小学校仮設住宅をはじめ、合わせて100軒近い家を回って厄を祓った。
震災後から減っていない仮設住宅の数
獅子舞踊りを終えた佐藤さんに仮設住宅や復興の現状を聞くと、佐藤さんはやるせなさそうにこう語った。
「実は、仮設の数は減っていません」「ここは小学校のグランドを使っているので、本当なら早く仮設を撤去して、子供達に返したいんですけど」。平成23年10月の調査では、市内には53か所、2148戸数の仮設住宅があるが、それぞれの仮設住宅に若干の空きはあっても、仮設住宅そのものはまったく減っていないのである。高台の宅地化が進まないうえ、高齢者も多く、仮設を出られない人が多いのだ。
「そんな話こそ、マスコミには伝えてもらいたいです」と、佐藤さん。3年経つと、被災地の情報は以前と比べて少なくなる。被災した建物が再建したり、新たな建造物が造られたという話はニュースになりやすいが、”変わらない部分”はニュースにならないからだ。「埼玉に住む妹でさえ、断片的な報道を見て『だいぶ直ったんでしょ。けっこう復興しているんじゃない?』って言うくらいですから」と嘆く。
「”一年経てばなんとかなる” ”遅れたけど、もう1年経てばなんとかなる”」と、自分にも回りにも言い聞かせて来ましたが、いつまで踏ん張っていられるのか」「3年経っても、仮設に住む人間にとっては何も進んでいない状態です」と話す姿が、被災地の現状を物語っていた。
進まない高台の宅地化の原因に、土地の売買価格に関するいろいろな情報が飛び交い、土地所有者が疑心暗鬼になり、行政が提示する価格では手放さないケースがある。しかし、祭りを通して人と人とのつながりが深くなっていれば、「申し訳ないけど、この値段で頼むよ」と言うことができる。祭りによる人の絆は、震災直後にも役立ったそうだ。祭りを通して、地域に住む人の職業などが分かっていたので、震災直後の人手や物資が不足しているときに「看護婦さんなら、あの人」「大工仕事なら、彼に」と、ピンポイントで声をかけて、いろいろな問題に対処することができたと言う。
使いやすい、自由度の高い補助金が必要
復興を妨げる原因のひとつに、復興交付金などの助成金が使いづらい点もあると言う。「必ず枠が付いていて、枠から外れると、助成が受けられないというケースが多いです」と佐藤さんは話す。助成を受けるには、基本的に”元に戻す”のが前提。ただし、漁港なら加工場を造ったり、大型漁船が横付けできるように港のサイズを延長するなど、最初の状態からかなり改良されている。それを元の状態に戻さないといけない。つまり、助成金を受けるには、”現状にそぐわないものを造る”ことになってしまうのだ。陸前高田に限らず、多くの被災地でも指摘されているように、”もっと自由度の高い助成金”が必要とされている。