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最終更新日:2022.05.13 公開日:2022.05.13

【再掲記事】人の流れを新たな復興の力に/宮城県石巻市|東日本大震災、震災後の記事を振り返る

東日本大震災から11年。次の大震災に備えて、この経験をしっかり覚えておくために、「くるくら」では震災3年後の被災地の状況を伝えた記事を再掲することにしました。9回目は「人の流れを新たな復興の力に/宮城県石巻市」です。

文・写真=高橋由季

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本記事は2014年2月に「メイトパーク」(「くるくら」の元サイト)に掲載した内容の再掲です。現状を伝える記事ではありませんのでご注意ください。


日和山公園より被災地域を眺める人々。

人の流れを新たな復興の力に

 東日本大震災の津波の被害により、市内の平野部の約30%が浸水、被災住宅数は76.6%と、市町村単位では最も大きな被害を受けた宮城県石巻市。未曾有の津波は海からだけでなく川を遡上して街を襲い、多くの尊い命を奪った。石巻市の死者・行方不明者は3,600名に及ぶ。(※数字データ=平成25年12月末のもの、石巻市HPより)

 石巻市へは、仙台から車でおよそ1時間。

 三陸自動車道の石巻河南ICを降りてまず目に飛び込んでくるのは、意外にも賑やかな街の様子だ。大型ショッピングモールを中心に飲食店や大手電気店が立ち並び、平日にも関わらず多くの車が行き交う。その姿に、「ここが最大の被災都市なのだろうか?」と、一瞬戸惑いを覚えるかもしれない。

 石巻の中心部に近く、被害の大きかった場所のひとつである門脇地区に向けて車を走らせていくと、資材を積んだダンプカーと何台もすれ違った。目的地が近づくに連れ、賑やかだった街の表情は影を落とし、次第に被災地としての顔を見せ始める。草に覆われ、更地にしか見えない場所も、よく見てみると家の基礎があり、それがあちらこちらにあることから、この場所一帯が住宅地であったのかと、ようやく気が付いたりする。コンビ二に立ち寄れば、お盆でもお彼岸でもないのにレジの脇に仏花が並び、いたる場所で丁寧に手向けられた花束や飲み物を見かけた。

 門脇地区は海に近く、津波が襲った直後に大規模な火災が起こった場所だ。黒焦げとなった門脇小学校の建物が話題となり、見学にやって来る人も多い。現在、小学校の建物は幕で覆われており、震災遺構として残すかどうかを問われている。ほとんどの被災家屋が解体されたため、点滅信号の光が離れた場所からでもよく見えるほど、見渡す限りが更地だ。建物が無くなって初めて、「こんなに海が近かったのか」と驚いた人もいたという。もの悲しい雰囲気が漂う中、見学者を乗せて走る大型バスもまた、「非日常」を示す異質な存在として目に付いた。

 「少し離れれば賑やかな場所があって、震災なんかなかったみたいでしょ? でもここを見ると、『やっぱり夢じゃなかった、被災地になってしまったんだ』って思い知るのよね。ここ一面にびっしり家があったのよ。信じられる? だからね、時々、気持ちが疲れるの。同じ街の中に、きらきらした賑やかな場所と、あの日の傷が癒えない部分が混在していて」。

 門脇地区を見渡せる日和山公園で出会った地元の女性がそんなことを話してくれた。

更地となった門脇地区。見学に来たバスや車が行き交う

バスで視察にやって来た人々。奥に見える建物が門脇小学校

バスで視察にやって来た人々。奥に見える建物が門脇小学校

平成23年6月撮影=同地区

平成25年11月撮影=同地区

 石巻市に「震災を学びたい」と訪れる人は後を絶たない。

 この”人の流れ”を復興の支援の輪につなげようと、車を止める場所の確保や、ガイドの育成、新たな名物の考案など、少しずつ受け入れ体制作りも進められている。

 「訪れた人が、ただ眺めて終わるんじゃなくて、被災状況をきちんと理解した上で、見てきたこと感じたことを、いろんな人に伝えていってほしい」

 そう話すのは、「石巻・大震災まなびの案内」を行う石巻観光ボランティア協会の齋藤敏子会長。ボランティア協会では、バスで訪れる団体に対して、被災地ガイドを行っている。震災の翌年から毎年3万人もの人を案内してきた。去年は修学旅行でやって来る子供たちが多かったそうだ。

 齋藤会長らの活動に対して、はじめは地元の人から「見世物にするな!」という厳しい声もあったという。しかし、「震災を学んでもらい、防災に役立ててほしい」という思いが伝わり、今では地域の人から「ご苦労様」と声をかけられるようになった。

 「3年経ちますからね。風化というか、忘れられてしまうことが、みんな怖いんです」。

津波到達点を記す看板に驚く親子連れ=門脇地区

献花台に手を合わせる人=門脇地区

平成23年6月撮影=中瀬地区

平成25年11月撮影=中瀬地区

 ガイドを行うことで、最低限のマナーが守られるというメリットもある。

 残念ながら、被災地域の前でピースをして記念写真を撮ったり、飲酒をしながら見学をしたり、立ち入り禁止の場所へ勝手に入ったりするなど、配慮に欠ける行為が今でも見られる。齋藤会長は、あくまでも被災者の気持ちを配慮した案内を続けていきたいと話す。

 「外から来てもらえることは、被災地で暮らす私たちにとっても刺激になるんです。この中だけだと、どうしても閉鎖的になりますからね。以前、ご案内したある高齢の方が、『瓦礫の処理や力仕事は私たちにはできないけれど、こうして石巻のものを買ったり、食べたり、地元の人とお話をするということも、復興の力になるかもしれないね』と言ってくださったことがあって。そうだよなぁって、私自身が気付かされたんです。これからは来ていただいた方に、石巻の大変な部分だけじゃなくて、いいところとか、立ち直ってきたところを見せていけたらいいですね」

 震災を語り続けることは、過去を振り返って後ろ向きになるということではない。前へ進むために、人々は辛い過去と向き合い、そして未来へと語り継いでいくのだ。

 人が動けば、風が起こる。被災地に吹き始めた新しい風が、力強く復興を後押しする。

【取材協力】石巻観光協会 http://www.i-kanko.com/

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