『イタリア発大矢アキオの今日もクルマでアンディアーモ!』第16回 プロドライバーも信じていた! 謎の流行り物とは
イタリア在住のコラムニスト、大矢アキオがヨーロッパのクルマ事情についてアレコレ語る人気連載コラム。第16回は、イタリアで「流行った・流行らなかった」自動車グッズについて。
イタリア人は、みんなが同じ歌を歌える!?
イタリアで驚くのは、「年代を問わず、人々が歌える曲の数が多い」ことである。
おじいちゃん・おばあちゃんが若い頃聴いていた曲を、若者も口ずさんでいるのだ。祭りになると、参加者全員で歌っていることもある。たとえていえば、若大将こと加山雄三の歌を、若者も知っていて合唱していると考えていただければよい。
理由の第一は、新人歌手が日本よりも少ないことがある。ゆえに流行り廃りが日本より少ない。蛇足ながら、日本でいう女性アイドルグループの類は、イタリアに存在しない。
第二は、若者が家族やコミュニティでお年寄りと交流する機会が多いことがある。一緒にいるうち、古い曲も自然と覚えてしまうのである。
そして第三は、1950-60年代に生まれた、俗にカンツォーネといわれるポップスの完成度・知名度があまりに高いことだ。それを超える永続性をもつ楽曲がなかなか誕生しないのだ。
したがって、イタリアで1年を象徴するような流行歌は、昨今なかなか誕生しないのである。
あの和製キャラクターがイタリアで大人気?
いっぽう、在住25年の筆者が観察し続けたイタリアの路上では、少なからず流行が確認できた。2007年頃から今日まで続いているものといえば、リアウィンドーに貼る「家族の名前入りイラスト・ステッカー」である。
インターネットで注文すると、家族構成に準じた人物イラストレーションとともに、各自の名前をプリントしたステッカーを作成してくれるサービスがある。初期はイラストと名前のみだったが、たちまちバージョンアップ。現在ではペット(猫、犬、魚、亀など)、趣味や職業(バーベキュー、料理人)なども反映できるようになったサイトが多くみられる。価格は円換算で1枚約300〜1000円といったところだ。
日本人の感覚からすると「家族、とくに子どもの名前を路上で晒すことに抵抗はないのか?」と考えてしまう。しかし、そうした議論が聞かれないのは、人名の多くがキリスト教の聖人にあやかっていることがある。たとえば「マルコ」君が同じ学級内に3人、などということが実際にあるのだ。
いっぽう「車内にヒマワリの造花」が流行したのは、2008年前後のことである。その起源はフォルクスワーゲン社製ニュー・ビートル(1998年-2011年)のダッシュボードに、初代のアクセサリーを模した一輪差しがデフォルト装着されていたことだと考えられる。
そこに2007年、ニュー・ビートル同様レトロ風情を強調した現行フィアット500が発売された。それによって、一気に造花ブームが開花した。
造花とほぼ同時期にイタリア半島で流行したものといえば、日本のグッズ用キャラクター「ハローキティ」だ。国内ライセンスを取得した企業により、ミラノではハローキティのラッピング市電も出現し、2008年10月から2009年3月に営業運転されていた。
そうした”キティちゃんブーム”はカーグッズにまで及んだ。当時後部にステッカーを貼り付けた車両のほか、写真のようなサンシェードを付けたクルマも多数みられたものである。小学生時代ハローキティのデビュー期を知る筆者である。異国の地でその長い歴史を知らない一般人のクルマに貼られているたび、不思議な感覚に包まれたものだ。
不発に終わった誓いのブレスレットとは?
いっぽうで”滑ってしまった”、つまり全然流行らなかった企画もあった。
『クアトロルオーテ』誌はイタリアを代表する月刊自動車誌である。創刊は1956年に遡り、刊行元はサーキットも所有している。そのため新型コロナの移動制限がもっとも厳しかった2020年においても、新車試乗企画はほぼ滞りなく続けられた。
その自動車メディア界の優等生が2007年11月、付録として企画したのが、あるゴム製ブレスレットだった。表面には「GUIDO IO? NON BEVO(私が運転する? 飲みません)」と彫られていた。
当時イタリアでは若者が週末ナイトスポットで飲酒したあと運転することによる交通事故が社会問題化。「サタデーナイトの犠牲者」という言葉が誕生したほどだった。背景には、ディスコなど遊興施設の多くが郊外に立地していることがあった。そのため、自治体によっては臨時バスを運行するなど、さまざまな対策が立てられた。
そうしたなかクアトロルオーテ誌が考案したのが、そのブレスレットだった。仲間うちで運転手役の人が酒類を勧められることを防ぎ、かつ自身も自覚をもってもらうことを期待したのである。
かくも崇高な目的をもって誕生した付録だったが、筆者が知る限りそれを装着してパーティに臨んでいた人物をついぞ見かけなかったし、類似企画も登場しなかった。筆者が考えるに、地味な催しの入場証のようで、スタイリッシュさに欠けるところもまずかった。
イタリアにはアクセサリーのブランドが星の数ほどあるのだから、億劫がらずコラボレーションすれば良かったのに、と悔やまれる。洋の東西を問わず、自動車誌が単独で企画したグッズはどうも垢抜けない。
CDで眩ませるって、一体どういうこと?
突如降って湧いたようにブームとなり、気がつけば消えていたものといえば「クルマにCD」である。
それは1990年代末、筆者がイタリアでクルマの運転を始めた頃であった。ダッシュボードやリアウィンドーに、CDつまりコンパクトディスクを置いたり貼り付けたクルマが増えたのだ。真ん中の穴に糸を通し、ルームミラーのステーにぶら下げているトライバーもよく見かけた。
気がつけば、当時我が家の隣にあったバール店主、つまりバリスタが所有するオペルのワゴンにも貼り付けられていた。その不思議な流行を一眼レフカメラで筆者が撮影していると、バリスタが店から飛び出してきた。不審に思われたのかと思い身構えると、本人は逆に「撮ってみろ、撮ってみろ!」と言う。それもストロボを使って撮影してみろというのだ。
理由を彼に聞けば「スピード違反自動取締機のカメラで撮影されたとき、CDの反射でナンバープレートやドライバーの顔が映らないらしい」と真剣に教えてくれた。結果は?というと案の定、しっかりオペルのナンバーは写っていた。CDの効果は皆無だった。
そのCDブーム、当時のニュースを記した筆者のメモによると、最初に広まったのはミラノのタクシードライバーたちだった。そればかりかフロントウィンドーに「オートチェンジャーかよ」と突っ込みを入れたいくらいCDを並べた大型トラックを目撃したこともあった。つまりプロさえ本気で信じていたのだ。
思えばあの頃、CDやDVDは音楽・映像だけでなく大容量データ記録媒体としても花形的存在だった。そこから発せられる虹色の光と、ドライブ装置が起動する際の「ウィーン!」という音に、なんだかわからないけど無限の未来と可能性を信じた人は少なくなかったはずだ。
いっぽう当時からイタリアの速度取締機には数種類が存在したが、まだフィルムが装填されている方式もあった。多くのドライバーが「新時代の媒体であるCDで、古い取締機の目を眩ませることができる」と、強く意識しないまでも期待したのだろう。
ついでにいえば例のバリスタに頼まれたとき筆者が撮影に使っていた一眼レフカメラも、まだフィルム式であった。
今回「クルマにCD」を回想しながら筆者に浮かんだのは、馬鹿馬鹿しさからくる苦笑ではない。デジタル時代の先駆け(CD)と20世紀のレガシー(フィルム)という、二媒体が交錯した瞬間だったからこそ生まれた都市伝説を目の当たりにした喜びである。