ホモロゲの先輩たち、1990-2000年代のWRCホモロゲモデルPart2セリカ&ファミリア編
東京オートサロン2020で発表されたGRヤリスは、トヨタがWRC出場に必要なホモロゲーションを取得するために販売するハイスペックなクルマだ。このようなクルマが、1990年-2000年代は各社から販売されていた。Part2では、この時代に発売されたトヨタ セリカとマツダ ファミリアのホモロゲーションモデルを紹介。
日本車初のWRCチャンピオンマシン、セリカGT-FOUR
トヨタがWRCのシリーズチャンピオンを目標とした参戦を始めたのは、グループA時代からだった。ベース車には4代目セリカ(ST165)が選ばれた。
その4代目セリカに、トヨタ初の2リットル4気筒エンジンターボチャージャー+4WDを備えたGT-FOURというグレードが設定された。このGT-FOURをベースにしたラリーカーで、1990年にカルロス・サインツが日本車初のドライバーズチャンピオンを獲得。
チャンピオン獲得の裏では次期WRCのベースマシンがすでに販売されていた。それが1989年に登場した5代目セリカ(ST185)。その5代目のGT-FOURに、大型インタークーラーや、機械式LSDなどの装備でさらに戦闘力を高めたホモロゲーションモデルが「GT-FOUR RC」。1991年9月に販売されたもので、RCは「ラリー・コンペティション」の略。海外ではGT-FOUR カルロス・サインツ リミテッドエディションとう車名だった。
RCは1992年シーズンからWRCに投入され、同年から3年連続のドライバーズチャンピオン、そして1993、1994年には自動車メーカーに与えられるチャンピオンであるマニファクチャラーチャンピオンの連覇を果たす。
トヨタ セリカGT-FOUR RC主要諸元
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もう1台のホモロゲーションモデル、セリカ「WRC仕様」
もう1台のホモロゲーションモデル、セリカ「WRC仕様」
大成功を収めたST165の後継者として、1993年10月にセリカはST205へとモデルチェンジ。1994年2月にホモロゲーションモデルであるGT-FOUR「WRC仕様」が2500台限定で販売された。
WRC仕様の外装は、エンジンフードやフロントバンパーなどの形状が変更され、ワイドボディーになっていることは先代のST165型のホモロゲーションモデルと同じだが、エンジンフードを軽量なアルミへと材質変更し、リアウイングを大型化していることが特徴。
トヨタ セリカGT-FOUR WRC仕様主要諸元
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グループNからAの過程で生まれたファミリアGT-R
グループNからAの過程で生まれたファミリアGT-R
マツダのWRC参戦のきっかけは、ヨーロッパ各国のインポーター(輸入代理店)からの要望だった。1981年からWRCに参戦したが、その体制は日本が統括するワークスチームを組織するのでなく、インポーターが組織したプライベートチームを、日本から支援するというものだった。
そのベース車には、「323」という名で輸出されていたファミリアが選ばれた。ファミリアには4WDを装備したグレード「GT-X」が存在し、これでグループAよりも改造範囲の狭い下位カテゴリーであるグループNに出場していた。
1989年にフルモデルチェンジした7代目ファミリアとなってから、マツダのWRC参戦は大きな節目を迎える。グループNで1989年にマニファクチャラーチャンピオン、1991年にドライバーズチャンピオンとなり、GT-Xの性能の高さが証明された。それならファミリアでグループAに参戦、という構想が持ち上がった。しかしグループAのトヨタ、三菱、スバルのクルマが2リットルエンジンなのに対して、ファミリアは1.8リットルという排気量だった。排気量差はエンジンパワーの優劣につながる。
そこで1992年に登場したのが「GT-R」だ。ターボチャージャーやインタークーラーを大型化し、チタン製コンロッドを採用するなどして、1.6リットルエンジンながら210PSというハイパワーを達成した。また駆動系も4WDにビスカスLSDで強化。ブレーキディスクの大型化や、ステアリングのギア比変更などといった強化も行っている。
マツダ ファミリアGT-R主要諸元
ファミリアGT-Rは1993年からグループAへのワークス参戦を計画していたが、バブル崩壊の時期と重なってしまった。会社の経営状況からワークス参戦の計画は中止となる。しかしプライベーターたちがGT-Rを1993年のグループNに参戦させ、同クラスのドライバーズチャンピオンを獲得した。
次回、Part3はランサーエボリューション編