山下達郎の名曲『クリスマス・イブ』は、どうやって生まれたのか?
山下達郎の『クリスマス・イブ』は、この時期に必ずと言っていいほど耳にするクリスマスソングの大定番。言わずと知れた名曲だが、ヒットを狙って作ったわけではなく、本人はミュージシャンとしての大きな転換期を意識して曲作りをしていたという。ギネスブックに載るほどのロングセラーを続けているヒット曲の舞台裏とは?
今や、山下達郎を代表する1曲となった『クリスマス・イブ』だが、元々は1983年6月8日に発売された7枚目のアルバム『MELODIES』に収録された曲だ。この曲がシングルでリリースされたのは、アルバム発売の半年後となる1983年12月14日。クリスマスを目前に彼の通算12作目のシングルとして発売された。なお、このアルバムからは『クリスマス・イブ』の他に『高気圧ガール』もシングルカットされている。
30歳を迎えた山下達郎が考えていたこと
この曲がリリースされた1983年に30歳を迎えた山下達郎。彼はそれまでも商業的に成功し、ライブの動員成績も良かった。だが、1983年当時は30歳を過ぎてもヒット曲を飛ばし続けられるミュージシャンはわずか一握り。「浮き沈みの激しい音楽業界で、そう何年も続けて活動していけるはずがない」というのが、山下やスタッフの一致した見解だったという。
「ならば、これから先は自分のやりたいことをやろう。ともかくこの頃は元に戻りたいというか、シュガー・ベイブ(山下がメジャーデビューした際に組んでいたバンド)に戻りたかった。要するに『流行りものじゃない音楽』がやりたかった。自分の中のオタク願望を実現させたかったというか、自分が思春期に憧れていたものとか、そういう音楽をやりたかったんだ。ここから2~3年でダーッと売るだけ売って、パっと散るという道もあったけど、それはミュージシャンとしての僕が許さなかった」
山下は、当時の心境をそう語っている。
こうして発売されたアルバム『MELODIES』はリリース当時、「夏っぽくない」「これまでの曲のような開放感に欠ける」といった類の批判も多かったというが、確信犯的な狙いだったので全く気にならなかったそうだ。むしろ、その後も活動を続けられたのは、本作での路線変更のおかげだという。なお、このアルバムに収録された『クリスマス・イブ』がまさかの大ヒットを飛ばすのは、もう少し先の話となる。
『クリスマス・イブ』が山下達郎の代表曲になるまで
冒頭で記したように『クリスマス・イブ』は、1983年に発売されたアルバム『MELODIES』に収録された曲。当初はアルバムの締めの1曲であったものが、レコード会社の社長からの提案で同年12月に3万枚限定のピクチャー・レコードとしてシングルカットされた。以降、毎年末に季節限定商品としてカラー・ヴィニール、ピクチャー・レーベルと趣向を変えてリリースされ続けることになる。
しかし、この曲が本当のブレイクを果たすのは、リリースから5年後となる1988年のクリスマスシーズン。JR東海「ホームタウン・エクスプレス(X’mas編)」のCMソングに使用されたことで、爆発的に知名度が上昇した。翌1989年の12月にはオリコンシングルチャートで、30週目のランクインにして1位を獲得。発売から1位を獲得するまでの当時の最長記録(6年6か月)、ヒットランキングに再チャートされた回数の最多記録など、一風変わった記録を多数持つ曲となった。
また、オリコン調べでは、1980年代に日本で発売された楽曲で「売上が最も多いシングル曲」となっている。1991年にミリオンを突破し、2013年の時点で累計185.1万枚の売上を記録。また、2015年時点でオリコンチャートに30年連続でトップ100入りしたことで「日本のシングルチャートに、連続で最も長くチャートインした曲」としてギネス世界記録に認定された。2019年も「クリスマス・イブ(2019 Version)」が週間7千枚を売り上げ、オリコン週間シングルランキングで、トップ100圏外から一気に17位まで上昇。34年連続でのオリコントップ100入りを果たし、ギネス記録を更新し続けている。
名曲『クリスマス・イブ』誕生秘話
ここからは、名曲『クリスマス・イブ』がどのように生み出されたかを紐解いてみたい。
意外なことに、この曲の制作時には「商業的なヒットを狙おう」という目論見は一切なかったとのこと。山下によると「曲はバロック音楽でよく聴かれるコード進行なので、何かその種の風味を入れたいと考え、ふと”クリスマス”というテーマが思い付いた」という。クリスマスソングとなったのは、ある意味たまたまのことだったのだ。
歌詞については、シュガー・ベイブ時代にトライしたものの未完だった曲「雨は夜更け過ぎに」の歌い出しが突然よみがえり、あっという間に仕上がったとのこと。さらに「どうせなら間奏に本物のバロックを引用しよう」ということになり、ヨハン・パッヘルベルの「カノン」をチョイス。パリのヴォーカルグループ、スウィングル・シンガーズのスタイルを一人アカペラでやろうとしたことから、8小節に48テイクを要したそうだ。ちなみにエンディングのコーラスは、当時一世を風靡していたバンド、オフコースへの対抗意識から出たアイデアだというからおもしろい。
「間違いなく私の代名詞となって残るであろう一曲。自分の全作品中、詞・曲・編曲・演奏・歌唱・ミックス、すべての要素がバランスよく仕上がった数曲のひとつ」。後に山下は、この曲についてそう語っている。
毎年、クリスマスが近づくと必ずといっていいほど街中に流れるこの曲。今年のクリスマスは、生み出した本人も自画自賛するほどのクオリティを改めて感じつつ、じっくり耳を澄ませてみてはいかがだろうか。