トヨタのル・マン24時間レース参戦を振り返る90年代編
90年代はレギュレーションの頻繁な変更があり、1995年と1996年は、プロトタイプ・スポーツカーではなく、GTカーでの参戦となった。全日本GT選手権に参戦していた「スープラGT」をル・マン24時間レースの車両規定に合致させた「スープラ GT-LM」で参戦した。MEGA WEBにて撮影。
6月16日(土)から17日(日)にかけて、フランスはル・マン市のサルト・サーキットで開催された、第86回ル・マン24時間レース。トヨタが初めて総合優勝を果たしたのはこちらでお伝えした通り。初優勝まで足かけ33年に及んだトヨタのル・マン24時間レースへの挑戦。ここでは、90年代に戦ったマシンたちを紹介しよう。
振り返れば、1985年当時のル・マン24時間レースは、エンジンの排気量が無制限の「グループC」といわれるプロトタイプ・スポーツカー(Cカー)車両で争われていた。しかし、トヨタは市販量産エンジンの排気量2.1Lの直列4気筒ターボ「4T-GT」をベースにしたレーシングエンジンを開発。そして、マシンは童夢とトムスに開発と製造を依頼し、「4T-GT」を搭載した。
36号車「童夢・85C」は中嶋悟、星野薫、関谷正徳という豪華な日本人トリオがドライブ。そして38号車「トムス・85C」は、エイエ・エリジュ、ジェフ・リース、鈴木利男のトリオがドライブした。第53回ル・マン24時間レースにおいて、38号車はリタイアしたものの、36号車は12位という結果を残した。
ここからトヨタのル・マン24時間レースへの挑戦は始まったのである。
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次は1990年に登場したマシン!
初優勝が期待されたCカー「90C-V」(1990年)
「90C-V」。全長4795×全幅1995×全高1000mm、ホイールベース2725mm。車両重量900kg。V型8気筒DOHCツインターボエンジン「R32V」、排気量3169cc、最高出力800ps。MEGA WEBにて撮影。
1986年は前年とほぼ同じ構成の「86C」、1987年からは排気量がわずかに多い市販エンジンの2.14L・直4ターボ「3S-GT」をベースとしたレーシングエンジンを搭載した「87C」、翌年は同じエンジンの「88C」で参戦。その一方で、トヨタは87年から社内でCカーおよびレース専用エンジンの開発にも入る。
そして完成したのが、カーボンモノコックのCカー「88C-V」。同車に搭載されたエンジンは、トップレベルの動力性能を目標として開発された3.2L・V型8気筒DOHCツインターボエンジン「R32V」だ。実際にレースに参戦したのは1989年の第57回大会で、発展型の「89C-V」での参戦となった。この時は「89C-V」2台と、前年モデルの「88C」の3台態勢で参戦したが、3台ともリタイアとなっている。
トヨタ初のCカーは年度が進んで熟成され、1990年の「90C-V」は国内レースで優勝するなど、ル・マン24時間レースでの初優勝が期待された。しかし3台態勢で挑んで1台が6位入賞を果たしたが、残り2台はリタイアとなった。
「90C-V」を後方から。今回展示されたCカーはみなリアウィングが巨大である。
「90C-V」のコックピットは右側に寄っているが、れっきとしたシングルシーターである。
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スポーツカー世界選手権で初めて優勝した日本車!
スポーツカー世界選手権で日本車初勝利の「TS010」(1992年)
「TS010」。全長4800×全幅2000×全高1030mm、ホイールベース2750mm、車両重量750kg、V型10気筒DOHC自然吸気エンジン「RV-10」、排気量3497cc、最高出力700ps。MEGA WEBにて撮影。
スポーツカー世界選手権は1953年から開催される伝統のレースだが、80年代から90年代にかけては車両規定などのレギュレーションが頻繁に変更された。1991年からは、グループCカーのエンジンは自然吸気の排気量3.5Lに統一ということになった(トヨタは1991年はル・マン24時間レースに参戦せず)。
これに対し、トヨタはV型10気筒の3.5L自然吸気エンジン「RV-10」を開発。そして新型Cカー「TS010」に搭載した。スポーツカー世界選手権1992年シーズンの開幕戦イタリア・モンツァでは、故・小河等/ジェフ・リース組の紅白のDENSO(デンソー)カラーのマシンが優勝。スポーツカー世界選手権で日本車初、日本人初となる優勝を遂げた。
それを受けてトヨタは、スポーツカー世界選手権第3戦として開催された第60回ル・マン24時間レースに、「TS010」を3台投入。画像のCASIO(カシオ)カラーの「TS010」はそのうちの1台で、関谷正徳、ピエール=アンリ・ラファネル、ケニー・アチソンのトリオが駆った33号車。惜しくも2位だった。
「90C-V」をさらに超える巨大なリア・ウィング。「TS010」はカシオ・カラーの33号車、デンソー・カラーの7号車、そして同じく紅白系のZENT(ゼント)・カラーの8号車という布陣。さらに、2台の「88C-V」の系譜の「92C-V」も投入され、5台態勢で臨んだ。
一般車のようにドアを開けてもすぐに社内に乗り込めない。乗り込むまでも大変なのがこうしたクローズドボディのレーシングカーである。
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ル・マンの混乱期、GTカーで参戦!
GTカーで参戦!「スープラ GT-LM」(1995年)
「スープラ GT-LM」。全長4500×全幅1910mm(全高未公表)、ホイールベース2550mm、車両重量1245kg、直列4気筒DOHCシングルターボエンジン「3S-GT」、排気量2140cc、最高出力650ps。MEGA WEBにて撮影。
スポーツカー世界選手権が1992年で長い歴史に幕を下ろすこととなり、ル・マン24時間レースだけはそのまま続けられたが、1995年からCカーでの参加が不可能となった。市販車ベースのGTカーを中心とするレースに移行したのである。
しかし実際のところはレギュレーション変更がたびたび行われ、結局GTカー中心というルールは有名無実となり、怪物的マシンが徐々に参戦していくことになる。
そうした混乱期ともいえる90年代半ばのル・マン24時間レースにおいて、トヨタは1995年に全日本GT選手権に参戦していた「スープラGT」をル・マン24時間レースのレギュレーションに合致させた「スープラGT-LM」の1台態勢で第63回大会に参戦。14位という結果を残した。
これまで、市販車からは大きくかけ離れたプロポーションとスペックを持ったCカーの世界だったル・マン24時間レースが、第63回大会からGTカー中心となった。1996年の第64回大会もトヨタはGTカー「スープラ LM」で参戦した。
ロールバーに囲まれたコックピット。乗り込むのが大変なCカーに比べればだいぶ楽ではあるが、下にロールバーがあるだけでも、意外と乗り込むのが大変。下手なところに足を載せて体重をかけるとパーツが壊れてしまうようなこともある。
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蘇るCカー! GT1マシン
Cカー的外見と性能のGT1マシン「TS020」(1998年)
「TS020」。全長4840×全幅2000×全高1125mm、ホイールベース2800mm、車両重量900kg、V型8気筒DOHCツインターボエンジン「R36V」、排気量3600cc、最高出力600ps。MEGA WEBにて撮影。
1997年の第65回ル・マン24時間レースに参加しなかったトヨタは、翌1998年の第66回大会に「TS010」の後継的な、かつてのCカーの外見を持った「TS020」を投入する。しかし、こんな外観だがGT規格に則ったマシンで、トヨタ・チーム・ヨーロッパが開発した。
エンジンの3.6L・V8DOHCツインターボエンジン「R36V」は、かつてのCカー用V8エンジンを改良したものである。
「TS020」はデビューイヤーの1998年は3台態勢で臨み、2台がリタイア、1台がマシントラブルを抱えつつも9位となる。そして1999年第67回大会は同じく3台態勢で臨み、2台がリタイアとなるが、片山右京、鈴木利男、土屋圭一の日本人トリオの27号車が2位でゴールした。
ここまでの時点で、2位までは行けたがポディウムの頂点に立てないのがトヨタだったのである。
その後、トヨタはしばらくル・マン24時間レースから遠ざかるが、「TS」+3桁数字のマシン名を引き継いだ「TS030 HYBRID」が2012年に登場。
この年からル・マン24時間レース(第80回大会)はWEC世界耐久選手権の1戦に組み込まれており、トヨタはWECに参戦している。そしてWECの2018-19シーズンにも「TS050 HYBRID(2018年仕様)」で参戦し、第86回大会で遂にル・マン24時間レース総合優勝を成し遂げたのである。2019年開催の第87回大会もトヨタは参戦することが決定している。
「TS020」はGT1クラスに参戦。GT1とはいうものの、もはや外見も性能もプロトタイプ・スポーツカーである。GT1はすでに消滅しており、その下位にあったGT2が後を引き継ぐが、それも消滅。現在は、より市販車に近いGT3の車両規定に則ったレーシングカーが世界的に人気を博しており、日本でもスーパーGTやスーパー耐久などに参戦している。
コックピット。数多くのスイッチやダイヤルがあり、現代のレースは単にクルマを操る術に長けているだけでは勝利できないことがわかる。