戦前から80年代までの内外のバイクを紹介!
左上がホンダ「カブF型」エンジンを搭載した自転車で、右がヤマハ「YA1」。どちらも1950年代に誕生した。どちらも、5月24~26日に開催された「人とくるまのテクノロジー展2017」の特別展で展示された。
日本でもクルマよりも前に市民の足としてバイクが普及したが、最盛期の1950年代には全国に大小さまざまなバイクメーカーが200社以上もひしめいていたという。
ここでは、そんな50年代から若者の間でブームが起きた80年代までの車種と、海外からはBMWモトラッドの戦前~戦後のバイクなどを紹介する。
1952年:ホンダ「カブF型(エンジン)」
「カブF型」とは、正確にはこの原動機付き自転車を指すのではなく、右下に見える補助エンジンを指す。エンジンで走る際は、まず一度手動レバーで湿式コーンクラッチを切って、ペダルをこいで勢いをつけて惰性で走り、そのときにクラッチをつないでエンジンを始動させたそうである。
本田宗一郎が、遠くまで買い出しに行く妻への思いやりから生まれたのが、旧陸軍が使っていた無線機の発電用小型エンジンを自転車用補助エンジンとして使用するアイディアだったという。そのため、「カブ F型」とは厳密には「原動機付き自転車」のことを指すのではなく、自転車の後部に取りつけられた重量6kgの補助エンジンのことを指す。
カブF型エンジンは空冷4サイクル単気筒50ccで、1速固定。自転車の後輪左側下部に取り付け、ドライブチェーンを介して後輪を駆動する仕組みだ。最高出力は0.74kW(1.0PS)/3600rpm、最大トルクは2N・m/3000rpm。
なおカブとは、自由奔放に走り回るクマの子を意味する英語に由来しており、後に業務用バイクの代名詞的存在となる「スーパーカブ」(58年に発売開始)に引き継がれた。当時の価格で、2万5000円だ。
エンジン。「白いタンク、赤いエンジン」の愛称で親しまれた。関係書類や取り付け金具などを含めたエンジン一式を33×33×60cmの段ボール箱に収めて自転車店に直販するという方法で、瞬く間に全国にホンダ販売網を築き上げたという。この販売方法にも本田宗一郎の独創性がうかがえる。
白いタンクは燃料タンク。容量は2L。
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ヤマハは国内バイクメーカー200社の最後発だった!?
1955年:ヤマハ「YA1」
ヤマハ「YA1」。ヤマハが市販した第1号バイクだ。このカラーリングから「赤トンボ」と呼ばれたが、実際には茶褐色。「栗毛の駿馬」をイメージした色合いとのことで、クリーム色とのツートンカラーが斬新と評された。
46年10月の設立となるホンダ(本田技術研究所)から遅れること約10年、楽器を手がけるヤマハの前身である日本楽器が54年にモーターサイクル事業への参入を試み、55年7月に分社化してヤマハ発動機は誕生した。場所はホンダと同じ現在の静岡県浜松市である。当時はすでに全国に大小さまざまな204社ものバイクメーカーがひしめき合っており、淘汰が始まっている時期だったが、その後、ヤマハは世界に名だたるバイクメーカーとして成長していったのは誰もが知るところである。
分社化した55年に、独DKW社の「RT125」をベースとしつつも、独自の技術も盛り込んだ125ccバイク「YA1」を開発。「赤トンボ」の愛称で呼ばれた同車は、同年の第3回富士登山レース125ccクラスで優勝、第1回全日本オートバイ耐久ロードレース(浅間高原レース)のウルトラライト級(125cc)で表彰台を独占し、脚光を浴びたのである。
【スペック】
全長×全幅×全高:1980×660×925mm
車重:94kg
エンジン型式:空冷2ストローク単気筒
排気量:123cc
最高出力:4.1kW/5000rpm
最大トルク:9.4N・m/3300rpm
性能面だけでなくデザインや仕上げにも力を入れられていたことが当時としては斬新だった。さらに、現在ではポピュラーな機構となっているプライマリー始動方式を、日本車としては初めて採用した。当時の販売価格は13万8000円。
MCS2017で展示された往年の名車たち
4月24~26日に開催された、「モーターサイクルショー2017」。JAFブースを初め、いくつかのブースで往年の名車たちが展示されていたので、それらを紹介しよう。
ヤマハ「RZ350」。1979年の第23回東京モーターショーで発表され、1981年に発売、ベストセラーとなった。エンジンは同社の市販レーサー「TZ350」の水冷2気筒がベースとなっており、45馬力を絞り出した。エンジン、フレーム、さらには外装部品まで徹底的に軽量化が図られ、パワーウェイトレシオは3.17kg/psを達成したという。その結果、「ナナハンキラー」と呼ばれる運動性能を獲得した。JAFブースで展示された1台。
バイクのフェラーリと呼ばれるドゥカティの「900MHR」。MHRとは、Mike Hailwood Replicaの略で、伝説的なレーサーであるマイク・ヘイルウッドが78年のマン島TT(フォーミュラ・ワン)レースに参戦して優勝したことを記念して、79年に限定のレプリカモデルが発売された。80年代に入ってからはあまりにも人気が高かったことから量産販売もされた。こちらもJAFブースで展示された1台。
スズキが81年に当初は海外向けに発売を開始した「GSX1100Sカタナ」。ホンダ「CB750 FOUR」、カワサキ「Z1」、同「Z2」などと並んで日本製バイクの名車として数えられている1台。カタナは、インダストリアル・デザイナーのハンス・ムートが描いたイメージスケッチを基に、日本刀の持つ剛柔性と鋭利性、そして完成された機能美をバイクの形に具現したとして、この名称が付けられたという。画像は、カタナ専門店のユニコーンジャパンのブースで撮影した4台のカタナシリーズ。排気量は750~1100cc。
上の画像の4台の内、カタナらしい銀色の左上の1台が「GSX1100Sカタナ ULTIMATE」。ユニコーンジャパンでは、「新車以上の美しさとコンディション」を狙うレストアスタイルとして「BESPOKE(ビスポーク:「仕立てる」という意味合い)」というコンセプトをユーザーに提案しているが、同車はその究極モデルとして製作された。
82年式のスズキ「GSX750S カタナ」をベースに、イタリアのバイクメーカー・MVアグスタが1954年に発表した「175CC CSS」(通称「ディスコ・ボランテ」)風に、KGWorksが3次元計測などの技術を駆使して改造して展示した1台。タンクの形状などが、ディスコ・ボランテ風になっている。
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最後はBMWモトラッドの戦前から80年代までの4台
BMWモトラッドの歴史的遺産たち!
2016年7月に、お台場のBMW Group Tokyo Bayでのグランドオープン記念イベントでは、BMWの2輪・4輪の旧車が集められて展示が行われた(BMWの歴史的な4輪車の記事はこちら)。最後は、その際に展示された戦前から80年代までの歴史的なバイクたちを紹介。
BMWの最初のバイクである「R32」。1923年から26年まで生産された。全長2100mm×全幅800mm×全高950mm、ホイールベース1380mm。車重122kg。エンジンは空冷水平対向2気筒(ボクサー)OHV、494cc。最高出力6.3kW/3200rpm。ギアは3速だった。軽量のため、時速90kmを出せたという。なお、ボクサーエンジンとシャフトドライブ搭載という機構は、現代のBMWモトラッドまで続く代名詞となっている。
1950年から51年まで短期間だけ製造された「R25」。BMWモトラッドの代表的なシングルエンジンバイクといわれる。サイドカーも取り付け可能。全長2073mm×全幅750mm×全高710mm、ホイールベース1350mm。車重140kg。エンジンは空冷単気筒OHV、排気量は247cc。最高出力は8.8kW/5600rpm。ギアは4速。
「R69S」は「R69」をチューンしたモデルで、名車といわれる1台。1960年から69年まで、10年間生産された。ただし、改良は常に続けられ初期モデルと最終モデルでは性能的にも異なる。全長2125mm×全幅722mm×全高980mm、ホイールベース1415mm。車重202kg。空冷水平対向2気筒OHV、排気量594cc。最高出力は30.9kW/7000rpm。ギアは4速。最高速は時速175kmを記録。
76年から84年まで生産された当時のフラッグシップモデルである「R100RS」(87年には新型R100RSが誕生)。RSとは「Renne Sprt(レンネ・シュポルト)」の略で、レーサー、スポーツモデルを意味する。フェアリングを世界で初めて量産車に搭載したのが同車で、風洞実験で空力を考慮して設計された。アウトバーンで時速200kmでもライダーを走行風から守り、今もってこれを超えるフェアリングはないという説もある。全長2130mm×全幅746mm×全高1300mm、ホイールベース未公表。車重230kg。空冷水平対向2気筒OHV、980cc、51.5kW/7250rpm。ギアは5速。
2017年7月7日(JAFメディアワークス IT Media部 日高 保)