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道路・交通最終更新日:2023.06.20 公開日:2021.12.25

ここの歩行者は”横断不感症”!?|長山先生の「危険予知」よもやま話 第6回

JAF Mate誌の人気コーナー「危険予知」の監修者である大阪大学名誉教授の長山先生に聞く、危険予知のポイント。本誌では紹介できなかった事故事例から脱線ネタまで長山先生ならではの「交通安全のエッセンス」が溢れています。

話・長山泰久(大阪大学名誉教授)

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ここの歩行者は”横断不感症”!?

編集部:今回の問題は、朝の通勤時に起きた歩行者の飛び出しです。問題の状況で注意すべきポイントはどこでしょうか?

長山先生の「危険予知」よもやま話 第6回|問題写真|くるくら

矢印

長山先生の「危険予知」よもやま話 第6回|結果写真|くるくら

長山先生:今回の場面では、気になる対象がたくさんありますね。大きく分けて、人、車、信号、道路状態の4つがあります。まず人については、右側の対向車線をこちらに向かって歩いてくる男性、その後ろを急ぎ足で渡り切ろうとしている女性、さらに対向車線を右側に斜め横断する男性が気になります。たった一場面でも、多くの人が好き勝手に道路を歩いているのは、オフィスに近い繁華街ならではです。毎日同じ道を通勤で使う歩行者は、この道路を渡ることに慣れきって道路を横断することに対して不感症になってしまっているようです。

編集部:不感症ですか? たしかに道路を向こう側に横断している男性は特に急いでいる感じではありませんし、対向車線をこちらに向かって歩く男性は、車道を平気で歩いている印象です。でも、なぜ車道を歩いているでしょうか?

長山先生:一見、道路を渡るタイミングを計っているように見えますが、後ろから車が来ていないのに渡る素振りがないので、歩道が歩きづらくてあえて車道を歩いているか、路上に止めた駐車車両に乗り込もうとしているのかもしれません。

編集部:なるほど。ということは、この歩行者は危険な対象ではなさそうですね。他に気になる人はいますか?

長山先生:こちらを見ているようなので危険はなさそうですが、左の駐車車両越しに見える男性も気になりますね。道路を渡ろうと車が途切れるのを確認しているのか、またはタクシーを拾おうとしているのでしょうか? その男性の左側に今回飛び出してきた男性が見えていました。この男性は走っているうえ、顔が見えません。相手がどこを見ているのかまったく分からないので、最も注意しないといけません。

編集部:車や信号についてはどうでしょう?

長山先生:駐車スペースからはみ出して止まっているトラックが気になりますが、荷下ろし中なので動き出す危険性はありませんね。また、先の信号交差点の右に見える黒っぽい車も気になります。後部が突き出た形でバックランプが点いているようにも見えます。信号が黄色から赤に変わるタイミングなので、この車の動きに神経質になる必要はありませんが、信号に意識が行きがちなので注意しましょう。

編集部:それだけいろいろ注意していては、相当、速度を抑えていないとダメですね。

長山先生:そうです。これだけ多くの注意する対象があるのですから、そのぶん速度を落とす必要があります。特に先ほど話したように、オフィス街に近い通勤ルートとなると、歩行者の乱横断(らんおうだん)が多くなりますから。

編集部:“らんおうだん”とはなんですか?

長山先生:横断歩道以外での無理な横断、無謀な横断のことです。通勤ルートで道路を渡ることに慣れてしまうと、信号や横断歩道のない所でも無神経に横断する乱横断が多くなります。時間に余裕がなく急いでいれば、なおさら危険な行為が起こりやすく、信号が赤でも、車が来ていなければ信号を無視して渡ってきたり、車が来ていても、少しでも距離が離れていれば、車の前を無理に渡ることもあるでしょう。ドライバーから見たら無法地帯と言っていいので、横断禁止場所でも歩行者が飛び出してくる危険性を常に予測しておかなくてはいけませんね。

編集部:どこでも横断してくる危険性があるとすると、ドライバーは常に緊張状態で走らないといけなくて、相当疲れますね?

長山先生:そうですね。ただ、道路をよく観察すると、歩行者が出てくる可能性が高い場所はある程度予測できます。道路の左右に狭い路地があるような場所は要注意です。路地がある所には、たいていガードレールや駐車スペースなど、人の横断を遮るものがないので、左の路地から右の路地へ人の動線ができるからです。今回、歩行者が飛び出したのも狭い路地からで、このような路地がある所を通過するときこそ、速度を抑えて人の飛び出しに備えましょう。

編集部:ただ、今回のように道路に駐車車両があると、道路を渡ってくる歩行者が死角に入ってしまい、どうしても発見が遅れますよね。ドライバーだけの注意では事故は防げないように思います。そもそも歩行者が急いで飛び出すことが事故の原因なので、そこを解決する方法はないのでしょうか?

せからしい日本?と、落ち着きのドイツ

長山先生:おっしゃるとおり、今回のような道路への飛び出しは、歩行者側の過失が大きい事例と言えるでしょう。では、歩行者に求められることは何でしょうか? 急いで走ったりしないで済むように早めに家を出ることでしょうか?

編集部:それが理想ですけど、なかなか難しいですよね。電車が遅れることもありますし。

長山先生:そうですね。そこで大切なのは、急いでいても不法な、そして危険な行動を取らない、抑制的な行動ができることです。

編集部:そんな聖人君子のような人は先生か警察官くらいかと。いや、先生でも、プライベートで急いでいるときは横断歩道以外でも渡りそうですよね。

長山先生:それはさておき、人の行動はその人の性格や考え方、行動規範によって変わってくるので、日頃から落ち着いた気分でいられる人や、自分が今「急いでいる」「焦っている」ことに気づいて、これではいけないと自分を抑制してコントロールできる人は、急いでいても危険な行動は取りません。

編集部:その辺りは人の性格に大きく依存しそうですね。先生のように思慮深くゆったりとした考え方や行動が取れる人はいいですけど、長年バタバタと慌てて過ごして来た自分なんか、おいそれと変わることはできません。

長山先生:今はゆったり落ち着いて見えるかもしれませんが、昔は私も大阪人特有のせっかちなところがあったんですよ。昔、ドイツに留学していたとき、宿舎近くのコンビニのような店で買ったものを愛用の風呂敷で包んでいたところ、近くにいたお年寄りから「ゆっくりせよ(langsam )!」と叱られたくらいです。私の包み方が「せからしい(大阪弁で気忙しいこと)」と見えたのでしょう。

編集部:他人に叱られるなんて、相当急いでいる感じに見えたのですかね? でも、自分が買ったものを急いで包んでいるだけで怒られるのも、ちょっと理不尽ですね。

長山先生:叱られてからそのことが気になって、街や公園でドイツ人の行動を観察していると、子供がちょこちょこと走ったりすると、「langsam!」と注意する場面をしばしば見ることがあり、子供を躾ける際にそのような叱り方をすることが多いようでした。小さな子を持つ若い夫婦の家に夕食を招待される機会があったので、そのことを確かめてみたところ、その夫婦は「私たちは必ずしも”langsam”というよりも、”ruhing(落ち着いて)”と言って育てます」ということでした。

編集部:「落ち着いて」ですか? あまり日本の子育てでは使われない言葉ですね。

長山先生:たしかに私の場合もそうでしたが、日本では「早く起きなさい」「早くご飯を食べて、出かけなさいよ」と、”早く早く”と急かしていることが多いのではないでしょうか。学校でも、先生たちが早く早くと、早くすることに価値を置いて急かしているような気がします。このような違いは歩き方にも見て取れます。以前に比べて少なくなった気もしますが、日本では街中や横断歩道を小走りで走る「せからしい人」をよく見かけますが、ドイツでは小走りで走る人はなく、歩幅を広く大股で歩く人が多いものです。

編集部:足の長さも関係ありそうですが、たしかに日本人のほうがちょこまかと気忙しく行動しそうですね。

長山先生:私はこの”落ち着いて行動せよ”という考え方には強く感銘を受けました。一見、「急がないで」と意味は同じように感じますが、「急がないで」というのは、表面の行動の次元に対しての教えなのに対して、「落ち着いて」は、心の在り方に対しての働きかけであり、社会の中での振る舞い方の基本を奥深い次元で教えているのです。だから、子供に対する教え方だけにとどまらず、運転者に対しても「落ち着いて運転しよう」という心の落ち着きを求めることができ、それが安全運転につながる重要な意味をもたらすのです。

編集部:たしかに「急がないで」だけですと、単にゆっくり走り、漫然運転をしてしまう危険性がありますが、「落ち着いて運転しよう」と言われれば、冷静に周囲を確認して運転する必要性を感じ、おのずと急がず、ゆっくり走るようになりそうですね。

信号無視が多いと、守る方の精神が不安定に!?

長山先生:また、この道路のように道路を好き勝手に横断する人が多いと、それにつられる人も出てくる危険性があります。今ではかなり良くなっていますが、大阪ではしばしば赤信号でも交差点を渡る歩行者がいて、皆が渡るところで一人だけ信号を守っていると、心理的に何とも言えない不安定な気持ちになるものです。

編集部:それは分かります。正しい行動をしている自分がバカみたいに感じて、周囲から浮いてしまう気持ちになりますね。

長山先生:そうですね。赤信号を無視して渡る人が大多数を占めれば、ルール的には間違った行動にもかかわらず、”皆が行っている行動をしない自分”となり、周囲の人に適応しない不安定さを感じてしまいます。以前、転勤で東京から大阪に来た人から「大阪では電車に乗るときに列を作らない」「赤信号を無視する」という話が出て、「自分にはそれはできない」と話していたのですが、1年経って再び会って話を聞くと、「自分も同じことをしてしまっている」と話してくれました。そうしないと精神的に疲れてしまうようで、その行動が正しいかどうかは関係なく、人は社会規範から外れた行動は取りにくいのです。

編集部:“郷に入れば、郷に従え”なんですかね? ただ、交通ルールのように、事故に結び付く規範にそれが適用されてしまうと、本当に無法地帯になってしまいますよね。たとえ自分で安全確認していても、安全判断の基準は人それぞれで、車を見落としていたり、車の速度を見誤っていれば、事故に直結してしまいます。また、分別ある大人同士ならともかく、安全かどうかの判断がつかない子供に間違った行動を真似される危険もあると思います。

長山先生:そのとおりです。誤った社会規範による弊害は大きく、それを止めることが重要です。それには、人の”良心”が重要な役割を果たすことを私は東北から来た女子学生に教えられました。その学生は大阪に来て、「大阪では赤信号で渡っていきますが、私の良心がそれを許しません」とレポートに書いたのです。彼女も周囲の人が赤信号を無視して横断する行動を見て、少なからず心理的に不安定な気持ちになったかと思いますが、彼女の良心がそれを上回り、現場の規範に流されることなく、交通ルールを守ったのです。通常の道路では、歩行者をはじめ、自転車利用者や二輪車、四輪車のドライバーなど、すべての道路利用者の良心があって初めて、事故のない円滑な交通となることを、皆さん忘れないでいただきたいですね。

『JAFMate』誌 2015年4月号掲載の「危険予知」を元にした
「よもやま話」です


【長山泰久(大阪大学名誉教授)】
1960年大阪大学大学院文学研究科博士課程修了後、旧西ドイツ・ハイデルブルグ大学に留学。追手門学院大学、大阪大学人間科学部教授を歴任。専門は交通心理学。91年より『JAF Mate』危険予知ページの監修を務める。

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