2018年06月27日 00:21 掲載

くるナンデス 一切他のマネをせず。スバル360
【元自動車メーカーエンジニアが選んだ
哲学が感じられる名車たち】


スケッチを描かないデザイン手法だったスバル360

 デザイン担当の佐々木達三氏も一切の先入観を持たず、他車を見ずして自らが運転。その実感からデザインを進めた。スケッチは描かず5分の1の木型に粘土を盛り、次に実寸大まで拡大した。このスケッチを描かないやり方は、ガンディーニと同様である。デザインテーマは「飽きがこない、無駄がない、ユニーク」。それは今もクルマから伝わってくる。この一切、他車のマネをせずというのが、いかにもスバルらしい。

 富士重工業の前身は、軍用機製造の中島飛行機。戦前は25万人もの従業員を抱える大企業だった。中島飛行機は海軍技術将校の中島知久平が設立し、ゼロ戦のエンジン栄や戦闘機の隼、疾風などを生産した。ところが敗戦と同時にGHQより解体を命ぜられ12社に分割。その中の5社が再結集し、53年に誕生したのが富士重工業である。その経営を支えたのは、スクーターのラビットだった。

 戦後、技術の頂点を極めた軍用機の開発者たちは、トヨタ、ニッサン、マツダに散り、日本の自動車技術を一気に世界レベルへと押し上げた。無論、その裏には彼らに続く多くの技術屋がいたことは言うまでもない。日本の自動車技術が短期間に成長したのは、このような背景があったからだ。

 ところでスバル360の価格は、当時(58年)、給料が良いと言われた公務員の初任年俸に相当する42万5000円もした。やはり庶民には高嶺の花で、発売時の販売はわずか月に335台。それがうなぎ上りに上昇し、2年後には20倍の6000台、4年後には月に1万台も売れまくった。まさに日本のモータリーゼーションを発展させた立役者だ。その後も70年までの12年間販売され、うち10年にわたって軽自動車販売台数ナンバーワンを誇った。

 ユニークなスバル360は、VWビートルの「かぶと虫」に対して「てんとう虫」のニックネームで親しまれ、国民的アイドルだったのだ。

文=立花啓毅
1942年生まれ。ブリヂストンサイクル工業を経て、68年東洋工業(現マツダ)入社。在籍時は初代FFファミリアや初代FFカペラ、2代目RXー7やユーノス・ロードスターといった幾多の名車を開発。

(この記事はJAFMateNeo2014年1・2月号掲載「哲学車」を再構成したものです。記事内容は公開当時のものです)