作り手と使い手に求められる審美眼 魂の技術屋、立花啓毅のウィークリーコラム
マツダ ユーノスロードスター(1989)、RX-7(1985)などの開発者として知られる立花啓毅氏。立花氏は、人が豊かに楽しく生活するには、「審美眼」が欠かせないという。その心とは。技術者ならではの魂の叫びをお届けする。
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かつてマツダ(東洋工業時代含む)に、ヒットメーカーと呼ばれる開発者がいた。立花啓毅その人である。本人は「イチ技術屋」といってはばからないが、手がけたクルマには、例えば初代FFファミリアや初代カペラ、ユーノス ロードスター、RX-7などがある。親分肌の立花氏は言う。「クルマは一人で作れるものではないから、いかに関わっている皆の気持ちを揃えるかが開発のキモなんだ」と。自動車ジャーナリストである現在も、知見に富んだ歯に衣着せぬ物言いにファンも多い。開発現場に身を投じてきた氏は、現在のマーケティング主導のモノは限界に来ていると警鐘を鳴らす。自分が信ずるものを作れば、おのずと人の心を打つモノができる。今、モノ作りに何が求められているのか、そもそも人を幸せにするモノとはどんな存在なのかを伝えるべく筆を執る――
社会が成熟し、また人生100年と言われ、この長い人生を心豊かに暮らすには、何が必要なのだろうか。「それはカネだ!」と言われる方も多いだろう。もちろん、金はあるに越したことはないが、それではあまりに寂しいのではないか。
だが「モノを見る眼」を養えば、あなたの世界は変わってくる。モノの価値や背景、文化を知る。いわゆる本物を見抜く眼を持ち、心豊かなモノに囲まれて暮らすことだ。本物。ここでいうモノとは、絵画や壷などの美術品や、建築、家具、音楽などの”作品”だけではない。家電品や自動車などの消費財も含んでいる。
では本物とは何かというと(この表現が難しいのだが)、思うに情緒ある作り手と、情緒ある使い手が呼応し、作り手の意と顧客の満足が、高い理性によって合意されたものだと言える。突き詰めると、国宝を生み出した、江戸時代初期に活躍した画家の俵屋宗達と、当時の依頼主で非常に目利きであった皇族や大名との関係のようになる。
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作り手に求められるもの、使い手に必要なもの
作り手に求められるもの、使い手に必要なもの
まずモノの作り手に必要な物は何か。良く言われるのは、作家が絵や文章を書いても、ピアニストがピアノを弾いても、過去の経験以上の表現にはならない。いくら徹夜して頑張っても、できたモノは「その人の器」の中でしかないということだ。
使い手にとっても必要なのは、やはり審美眼である。自分の”物差し”でもあり、だんだん眼が肥えることによって、少しずつ物差しを確かなものにしていく。中にはその選択に失敗もあろう。だが、それを繰り返していことで自分なりの「なにが格好いいのか」という基準ができるわけだ。かくいう私もまだまだで、今もって勉強中なのだが。
作り手は器を大きくし、使い手は作り手の心を読む。双方に本物を愛する心があると、モノを通してお互いの心が呼応する。これが目利きであり、審美眼の楽しさだ。
冒頭から難しい話になったが、今や当たり前になったマーケティング手法が行き詰まりを呈し、世界中の商品が均一化しつつある。均一化すれば当然、魅力のない商品になる。マーケティング手法とは、お客の声を集約して、それに合った商品を作ることだ。市場調査を行い、さらにはターゲットユーザーに近い方々を集め、彼らの好みを聞く。
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マーケティング手法の落とし穴
マーケティング手法の落とし穴
具体的にクルマでいうと、開発の初期段階にデザインモデルを見せて、彼らから意見を伺う。さらには何種類かのシート生地やフロアカーペットを並べて評価を仰いだりもする。理由は開発投資に数百億円もの大金がかかるため失敗は許されないからだ。最近はAIを駆使し、より細かな情報を集め顧客の意見を商品に反映させている。どこのメーカーも同じ手法で開発するため商品は均一化しつつある。
しかしこれで本当にお客の心を満足させることができるのであろうか。
マーケティングに頼る原因は、開発者が”素人”だからである。つまり、素人が素人の意見を聞いてしまっているのだ。開発のプロというのは、ユーザーのマインドを超えたところになければならない。しかも、グローバル商品であるクルマの開発者の視点は、日米欧亜の全ての顧客の上にあるべきだ。さらには長い歴史によって培われたクルマの「文法」も理解した上で商品を提案できなければならない。人の顔を見て他人の真似をしていたのでは、いつまでも自分の日は来ないということである。
ここに今のモノ作りへの問題点がる。例えば、一流の画家はお客の声を聴いて描くことは絶対しない。それは自分の感性をキャンバスに表現することが命だからだ。こういう話をすると芸術と消費材を一緒にするな! といわれるかも知れない。言いたいのはこれからの時代、消費材でも人の心を打たなければゴミになるということだ。マーケティング手法では、顧客の声以上のものは提案できないわけで、従来と違う視点が必要である。それは職人と目利きの力を合わせたものに他ならない。心や生活を豊かにするようなモノには、必ずこうした作り手と使い手の応答があるのだ。
立花 啓毅 (たちばな ひろたか):1942生まれ。商品開発コンサルタント、自動車ジャーナリスト。ブリヂストン350GTR(1967)などのスポーツバイク、マツダ ユーノスロードスター(1989)、RX-7(1985)などの開発に深く携わってきた職人的技術屋。乗り継いだ2輪、4輪は100台を数え、現在は50年代、60年代のGPマシンと同機種を数台所有し、クラシックレースに参戦中。著書に『なぜ、日本車は愛されないのか』(ネコ・パブリッシング)、『愛されるクルマの条件』(二玄社)などがある。