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最終更新日:2023.06.14 公開日:2022.05.25

吉田 匠の『スポーツ&クラシックカー研究所』Vol.12 FIAT 500eと、愛すべきその先代たち。その2:初代FIAT 500「トポリーノ」

モータージャーナリストの吉田 匠が、古今東西のスポーツカーとクラシックカーについて解説する連載コラム。第8回はイタリアの国民車、「フィアット 500(チンクエチェント)」を大特集。今回は、トポリーノの愛称で親しまれた初代FIAT 500を紹介しよう。

文=吉田 匠

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永遠のアイコン

「トポリーノ」の愛称の元になった可愛らしいオリジナルデザインの初代500。現代の500eに受け継がれたキャンバス製のオープントップはこの時代からの伝統だ。

 最初のフィアット500が発表されたのは第二次大戦前の1936年、今から86年前のこと。当時のイタリアの大衆にも買える小型車を開発せよというジョヴァンニ・アニエッリ社長の命をうけて、後に同車の技術担当重役に昇り詰めるものの当時フィアットに入社したばかりだったエンジニア、ダンテ・ジャコーザの初仕事になったのが、初代500だった。

それは、スチール製フレームの前端に水冷4気筒569ccエンジンを置き、4段ギアボックスを介して後輪を駆動するいわゆるFRのクルマで、ボディは全長3215×全幅1275×全高1377mmとかなりコンパクトだったが、当時の普通の乗用車と同様の本格的な構造を採っていた。エンジンのパワーは13psだが、車重は535kgと軽かったので、85km/hのスピードが出たという。

ただし室内は2座と割り切られていたからスタイリングはスポーティで、しかもラジエターをエンジン後方に置く配置によって実現した丸っこいノーズも特徴的だった。そこでこの初代500、その可愛らしくも動物的なスタイリングから、「トポリーノ(ハツカネズミ)」の愛称で呼ばれてイタリアの人々に愛されることになる。

2座ボディゆえに可能になった500Aのスポーティなプロフィール。

 初代500は第二次大戦後の1948年、SV=サイドバルブという古い形式だったエンジンのシリンダーヘッドを当時最新のOHVに変更、パワーを16.5psにアップするなどの改良を経て、基本的に同じボディのままマイナーチェンジし、車名も500Bに変わった。その結果、単なる500だった初期型が500Aと呼ばれることになる。しかもその頃には、本来2人乗りなのにリアの荷室に人を乗せて走るユーザーが続出したため、フレーム後半部を延長し、リアサスペンションの型式を変更するなどの強化も施された。

この初期型ボディの500は、ヴェスパのスクーターと同じく2人の主人公の乗る愛らしい脇役として、1953年制作のアメリカ映画の名作『ローマの休日』にも登場している。

イタリアの国民車として

2人乗り初代500の最終モデルとなった戦後型ボディの500C。

 1949年になると、500Bは基本構造は変わらぬままボディスタイリングを現代化して、500Cにモデルチェンジする。独立していたヘッドライトがフェンダーの先端に埋め込まれ、グリルも横長の戦後スタイルになったフロントデザインが500Cの最大の特徴だが、室内が2人乗りなのは基本的に変わらず、エンジンも基本500Bと同じ569ccのまま、依然としてイタリア人のためのベーシックカーのポジションをキープしていた。

しかも1951年には、ボディ後半部のルーフを延長してワゴンスタイルとしたベルヴェデーレが500Cに追加される。それは500で初めてリアシートを備える4人乗りで、しかもテールゲートを備えていたから、リアからかさ張る荷物を積み込むこともできた。

こうして最後には4人乗りモデルも加わった初代フィアット500シリーズ、愛称「トポリーノ」は、1955年に登場するリアエンジンのフィアット600にその座を譲るまで、第二次大戦をあいだに挟んでイタリアの人々のための愛すべき足であり続けたのだった。

ミッレミリアと思われる公道レースを走る500C。こんな小さい大衆車でもレースに出撃するのはイタリア人の熱い血の成せる技である。

【記事の続きはこちらから!】
その1:FIAT 500e
https://kurukura.jp/car/2022-0513-60.html

その3:2代目FIAT 500「ヌォ―ヴァ チンクエチェント」
https://kurukura.jp/nostalgic-cars/2022-0609-60.html

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