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最終更新日:2018.09.13 公開日:2018.09.13

トヨタ・初代ソアラ

自動車ライター下野康史の、懐かしの名車談。「贅沢」な80年代カーのさきがけ「トヨタ・初代ソアラ」。

下野康史

イラスト=waruta

 新型車が出ると、いち早くメーカーからテストカーを借り出して試乗するという仕事を1978年からやってきた。そのあと原稿を書くという苦労も知らないで、人にはうらやましがれるその仕事をやっていて、たしかによくわかるのは、町なかや路上での”注目度”である。

 この40年間を振り返って、ギャラリーの注目を最も集めた新車が、81年2月発売の初代ソアラだったと思う。ホンダNSXもスカイラインGT-Rもユーノス・ロードスターもトヨタ・セルシオも、あるいはイタリアのスーパーカーも熱い視線を浴びたが、初代ソアラほど国民的注目度の高かった新型車はなかった。あくまで個人の感想ですが。

 ソアラは2.8リッターの高級2ドアクーペである。新開発のエンジンは、トヨタ車としては67年トヨタ2000GT以来のDOHC6気筒で、当時、国産最強の170psを発生した。ぼくが働いていた自動車専門誌のロードテストでは、180km/hのスピードリミッターを解除すると、実測で202.9km/hの最高速を記録。日本車で初めて200km/hの大台を超えたクルマとなった。

 編集長のカバン持ちでドイツへお供して、アウトバーンでも乗った。ライバルはメルセデスやBMWといったドイツ製高級クーペと謳うトヨタが”本場”にクルマを用意して、プレス関係者に試乗させたのである。それくらいの自信作だった。当時のドイツでは、アメリカ車の新型サブコンパクトクーペと思われたのか、走っていても、止まっていてもあまり注目されなかったが。

 日本の自動車史を振り返ると、高度経済成長期を走った日本車は「がむしゃら」の時代である。二度のオイルショックと排ガス対策に痛めつけられた70年代は、「耐乏」の時代である。

 そして、内需の拡大という掛け声が高まった80年代を一転、「贅沢」の時代とするなら、ソアラはそれを象徴するクルマだった。

 2.8リッターエンジンを積む国産車はクラウンやセドリックにもあったが、3ナンバーの高級遊びぐるまにこんな大きな高性能エンジンが搭載されたのは初めてだった。しかもそれをトヨタがやった。業界のリーダーが何かのタガを外してみせた。

 初代ソアラのターゲットは、40代以上の高給サラリーマンといわれた。狙い通り、その層にもアピールしたが、出してみると、それよりずっと若い世代にもアピールした。おじさんの持ち物に若者が憧れるなんて、いまでは信じられないことである。

 80年代は日本人がクルマに熱中した時代だった。その先兵だった初代ソアラに熱いまなざしが向けられたのも当然といえた。

トップグレードである2800GTエクストラは、195/70HR14サイズのミシュランXVSを履く。登場当時ドアミラーは認可されておらず、全車フェンダーミラーを装備していた。フロントピラーからルーフにかけてプレス式のドアで覆うことでボデーを面一化。これらによりCD値=0.36という数値を記録した。

運転席には、日本初となるエア式のランバーサポートを装備していた。背もたれの腰部には横3列のエアバッグが内蔵され、前席シート間にあるエアポンプでいったん空気を満たし、その後シート横にあるスイッチで、好みの張り具合まで減圧する、という仕組みだった。

メーターフード内のエレクトリック・ディスプレイ・メーターが目を引くインパネ周り。灰皿の上には、タッチ操作式のマイコン制御式オートエアコンのパネルがある。2.8リッターエンジン搭載車には、録音機能付きカセットステレオが標準装備されていた。

新開発のツインカムヘッドを載せた、6気筒2.8リッター5M-GEU型エンジン。170psの最大出力で、ソアラを200km/h超の世界まで引っ張り上げた。


文=下野康史 1955年生まれ。東京都出身。日本一難読苗字(?)の自動車ライター。自動車雑誌の編集者を経て88年からフリー。雑誌、単行本、WEBなどさまざまなメディアで執筆中。近著に『ポルシェより、フェラーリより、ロードバイクが好き』(講談社文庫)

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