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最終更新日:2025.04.16 公開日:2025.04.16

「ポルシェ910」「トヨタ 7」などが集結し、1960年代の熱狂が蘇る! 富士モータースポーツミュージアムで「日本グランプリ企画展」が開催。

1968年 日本グランプリ参戦車「LOLA T70 Mk. III」

富士モータースポーツミュージアムにて、「1960年代の日本グランプリで活躍した車両たち」をテーマとした「〜蘇る熱狂の60’s富士〜日本グランプリ企画展」が、4月18日(金)から8月31日(日)まで開催される。

1968年 日本グランプリ参戦車「LOLA T70 Mk. III」

文=原アキラ

写真=富士モータースポーツミュージアム

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誰もが熱狂した1960年代の日本GPを再現

富士スピードウェイに併設されている富士モータースポーツミュージアムにて、1960年代の日本における最高峰のレース「日本グランプリ」で活躍した車両をテーマにした企画展が開催される。

1963年に鈴鹿サーキットで開催された日本グランプリは、日本初となる国際規模の自動車レース。参戦した自動車メーカー各社は、レースで好成績を収めることが販売促進につながるとともに、クルマの開発に拍車がかかることを実感。集まった観衆はレースの迫力に魅了された。

1964年の第2回大会では、生沢徹が駆る箱型のプリンス・スカイラインGT(S54型)が、わずか1周ながらレーシングマシンの「ポルシェ904」を抑えて先頭を走り、あの「スカイライン伝説」の始まりとなったレースを展開。またメインレースだけでなく、サポートイベントのGTやツーリングカー・レースでも、メーカー各社の取り組みはさらに熱を帯び、プライベート・チームの健闘によって大きな盛り上がりを見せることになった。

1966年の第3回大会から開催地が同年1月に誕生した富士スピードウェイに変更。1.6kmのロングストレートと30度のバンク角を誇る第1コーナーを備えた世界屈指の超高速コースで、テクニカルコースの鈴鹿とはひと味違ったレース展開が予見され、毎回10万人を超える観客を動員したという。

1968年の日本グランプリでは、トヨタ、日産の二大ワークスチームに、実業家でジェントルマン・ドライバーの滝進太郎が結成したプライベート・チーム、「タキ・レーシング・オーガニゼーション(TRO)」が挑むという展開に。メディアはトヨタ・ニッサン・タキの頭文字から「TNT対決」と呼び大きなニュースとなった。

大排気量プロトタイプというビッグマシンが集結したこの年は、トヨタは自社製3.0L V8エンジンを搭載した「トヨタ7」、日産は5.5Lシボレー製エンジンと“怪鳥”と呼ばれた大きなリアウイングを搭載した「R381」、TROは5.8Lと6.3Lエンジンを搭載した「ローラ T70 Mk.Ⅲ」と、軽量な水平対抗6気筒2.0Lエンジンを搭載した「ポルシェ 910」を投入して覇を競った。

今回の企画展では、こうした熱狂がピークに達した「日本グランプリ」に関連する実車7台が集結。「ローラ Mk.III」「ポルシェ 910」「いすゞ ベレット R6」「ダイハツ P5」「トヨタ 7」「日産 R382」「日野 コンテッサ 900」が展示される夢の競演となっている。

ポルシェ 910|Porshe 910

1968年 日本グランプリ2位入賞車「PORSCHE 910」

1968年 日本グランプリ2位入賞車「PORSCHE 910」

1968年の日本グランプリに、滝進太郎が率いるTROから出場したポルシェ910“カレラ10”。日産R381(5.5Lエンジン搭載)や、トヨタ7(3.0L)、ローラT70(6.3Lなど)といった大排気量車の中で、2.0Lエンジン車ながら善戦。生沢徹の巧みなドライブで総合2位を獲得した実車である。

910は、64年の904、66年の906“カレラ6”に続く正常進化型としてポルシェが製作した、グループ6のスポーツ・プロトタイプ。ボディは全長4,100mm、全幅1,710mm、全高980mm、ホイールベース2,300mmでボディ重量はわずか600kg。1,991ccの空冷水平対向6気筒エンジンは燃料噴射化されてパワーアップし、最高出力220PS/6,400rpmを発生。ボディも空力面で洗練された。

展示車両(シャシーナンバー:910-012)は、ポルシェのワークスチーム車両として、イタリアのシチリア島で1967年に開催されたタルガ・フローリオに6位入賞後、同年秋に当時のポルシェ日本総代理店である「ミツワ」が輸入。翌1968年の日本グランプリへの参戦を目的にTROが購入したもの。TRO出走車の特徴であるボンネットのV字ラインが特徴となっている。

トヨタ 7|Toyota 7

1969年 日本カンナム優勝車「TOYOTA 7」

1969年 日本カンナム優勝車「TOYOTA 7」

トヨタ 7の「7」は、当時のレース車両規定であるグループ7に属したことに由来する。日本グランプリ制覇を目指して開発されたトヨタ初の本格的レーシングカーであり、1968年に自社製3.0L V8エンジン(シェイクダウン時は2.0L直6)を搭載した415Sが登場。同年のグランプリには4台体制で参戦し、福澤幸雄が駆るトヨタ7が2位まで順位を上げるものの、排気量の差もあって日産R381に惨敗。翌1969年には排気量を拡大した5.0L V8エンジンを搭載した474Sへと進化。5台体制で臨んだが、またもや最大のライバルである日産R382(6.0L V12エンジン)の後塵を拝し、3位、4位、5位、13位、リタイアという結果で終わった。

展示車は1969年のトヨタ 7で、全長3,750mm、全幅1,880mm、ホイールベース2,300mm、重量820kg。搭載する4,986ccの水冷V型8気筒エンジンは最高出力600PS/8,500rpmを発生する。

その後、同年11月下旬に開催された日本カンナムレースに川合稔のドライブで参戦し、アメリカの強豪を下して優勝を果たした。これはカンナム史上、日本製マシンおよび日本人ドライバーによる初優勝であった。ボディ前部に貼られたステッカーは、エンジン開発を担当したヤマハと、ボディの空力開発を担当したダイハツの協力を示している。

翌1970年の日本グランプリは、日産が強化された排ガス対策に注力することを理由に不参加を表明。トヨタもこれに歩調を合わせたため、日本グランプリは中止となった。結果として、日本カンナムレースがトヨタ 7にとって最後のレースとなった。

INFORMATION
日本グランプリ企画展 〜蘇る熱狂の60’s富士〜
場所:富士モータースポーツミュージアム内 1F展示エリア
展示車両:7台(6台は実車、1台はレプリカ)
展示期間:2025年4月18日(金) ~ 2025年8月31日(日)
https://fuji-motorsports-museum.jp/

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