なぜ東京に「大正通り」はないのか? 明治・昭和があって大正がない理由を調べてみた。
東京には明治通り、昭和通りはあるのに「大正通り」を目にした記憶がない。なぜ大正通りはないのだろうか?調べてみると……
東京には大正通りがない?
東京には「○○通り」というような「通称道路名」で親しまれている幹線道路が数多く存在している(むしろ通称でないと通じないことも多そう)。これは、東京都が都内交通の利便性を向上するために、都内の主要な国道・都道(一部、区市町村道を含む)に、わかりやすく、かつ親しみやすい名称を設定しているためだ。
東京都の資料をみてみると、東京都全域(島しょ部を含む)で171の路線に「通称道路名」が設定されている。
この中には、「明治通り」と「昭和通り」という元号を冠した名称の幹線道路が存在しているが、なぜか「大正通り」はない。なぜだろうか?
明治通りの「明治」は元号ではない
大正通りの話の前に、東京都内の主要幹線道路のひとつ「明治通り」をみてみよう。明治通りは、江東区から、墨田区、台東区、荒川区、北区、豊島区、新宿区、港区を結んでいる。都心をぐるりと囲い込む環状で、山手線の外側を沿うような路線である。
その由来だが、どうも元号の明治からつけられた名前ではないらしい。なぜなら、明治期には、明治通りはまだ道路事業計画さえ存在していなかったという。整備されたのは、1923年(大正12年)の関東大震災後であり、このときに環状に整備された幹線道路が「明治通り」となった。では、なぜ明治通りなのか?
明治通りの由来は諸説あるものの、「明治神宮付近を通過するから」ではないかといわれている。地図で見てみると、たしかに明治神宮は道路添いだ。
【明治通り】
起点:港区南麻布二丁目
終点:江東区夢の島
昭和通りは元号の「昭和」が由来
では、やはり東京の主要幹線道路のひとつ「昭和通り」はどうなのだろうか。港区から台東区までつながる昭和通りは、明治通りと同じように関東大震災の復興の際に整備された幹線道路である。
こちらは、元号の「昭和」が由来といわれている。整備は大正期にはじまったが、完成時には新しい昭和の時代を迎えており、復興を象徴する新時代の道路として、都民に歓迎されたようだ。
【昭和通り】
起点:港区新橋一丁目
終点:台東区根岸五丁目
大正通りはあったが、今は違う名前になっていた!
ここまで、明治通りと昭和通りを説明してきたが、話を大正通りに戻そう。本当に大正通りは存在しないのだろうか?
調べてみたところ、 大正通りも存在していた。そう、過去形なのだ。実は、現在の「靖国通り」が、かつて大正通りと呼ばれていた道路であった。
関東大震災の復興にあたって、南北の軸となる昭和通りに対して、東西の軸となる幹線道路として整備された幹線道路は「大正通り」と名付けられたが、靖国神社の前を通過することから、戦後に靖国通りに改名したといわれる。
【靖国通り】
起点:中央区東日本橋二丁目
終点:新宿区歌舞伎町一丁目
ちなみに、幹線道路以外であれば「大正通り」は存在する。たとえば、JR吉祥寺駅の北西にある「大正通り」は、商店の立ち並ぶ買物エリアとして、多くの人々が行き交っている。
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