なぜ「日産シルビア(S13型)」はクルマ好きを魅了し続けるのか?──歴代日本カーオブザイヤー受賞車特集(第2回)
日本カー・オブ・ザ・イヤーに輝いた歴代モデルを紹介する連載。第2回は、1988年のデビューから30年以上を経過した今も、多くのファンから愛され続ける日産シルビア(S13型)について。モータージャーナリストの武田公実が解説する。
日産シルビア(S13型)とは?
ヨーロッパでは1964年からスタートした「カー・オブ・ザ・イヤー」は、その年にデビューしたクルマの中から最も優れている、あるいは最も象徴的なモデルを選出するもので、発足以来半世紀以上の時を経た現在においても権威を保持している。
そしてわが国でも、1980年(昭和55年)から「日本カー・オブ・ザ・イヤー(日本COTY)」を制定。これまで40年以上にわたり、数多くの傑作にアワードを授与してきた。
この特集企画は、歴代の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車の中から特に印象的なモデルをピックアップし、その誕生の背景やストーリーをご紹介するものである。今回のテーマとして選んだのは第9回、1988-89年の日本カー・オブ・ザ・イヤー受賞車となった、五代目の日産シルビアである
エレガントなスペシャリティカー転じて、走り屋の相棒に
1988年5月、“アートフォース・シルビア”なるキャッチフレーズとともにデビューした五代目、S13型シルビアは、その直後から日本のクルマ好きの話題を独占することになる。
メーカー自ら“エレガント・ストリームライン”と称したボディラインは、それまでの日本製2ドアクーペの常識を覆す流麗なもの。美しいプロポーションにシンプルかつ張りのある面構成がエレガントなスタイリングを演出し、世界レベルにおいても高く評価されるとともに、日本では1988年の「グッドデザイン大賞」を授与されている。
この時代のピニンファリーナの当主、かのセルジオ・ピニンファリーナ御大が「サイズがもう少し大きければ、理想的なクーペとなったであろう」という趣旨の賛辞を贈ったとされるのも頷けよう。
シャシーは完全な専用設計で、リヤアクスルには日産自動車技術陣が1980年代中盤から行っていた「901運動」による初の成果とも言われる、マルチリンク式の独立サスペンションを採用していた。また、4輪操舵システムの「HICAS-II」も、セットオプションで選択可能とされた。
いっぽうフロントに搭載され、後輪を駆動するパワーユニットは、先代S12型の後期モデルから継承されたCA型直列4気筒DOHC16バルブ。ベーシックモデルの「J’s」および「Q’s」にはCA18DE型135ps、そして最上級版の「K’s」にはターボチャージャー付きのCA18DET型175psが搭載された。
なお、先代S12前期まで存在した姉妹モデルの「ガゼール」は、復活を見ることなく完全廃止。ボディタイプも、いったんはノッチバックスタイルのクーペのみとされたが、デビュー二か月後にはK’sをベースにオーテック・ジャパン社が架装したコンバーチブルも少数が生産されることになる。
加えて、輸出バージョン「240SX」に設定された3ドアハッチバックモデルを日本国内市場向けに仕立て直し、CA18DETエンジンを搭載した「180SX」が、翌1989年5月に別モデルとして国内デビューを果たしている。
なぜシルビア(S13型)は大ヒットした?
S13型シルビアは、当時のミドル級クーペとしては申し分ないパフォーマンスに、FRの特質を生かしたファンなハンドリング。さらには比較的リーズナブルなプライスも相まって、当時のジャーナリストら識者にも高く評価された。そして、デビューイヤーの1988年末には、日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞するに至った。
また、この種のスペシャリティカーの市場は二代目および三代目のホンダ「プレリュード」によって、既に“温められていた”感もあったが、さらにシルビアは依然としてFFに若干の偏見もあったこの時代にあって、専用シャシーのFRだったこと。そして圧倒的とも言いたくなる美しさも相まって、商業的にも大成功を獲得することになったのだ。
なにを隠そう、生意気にも学生時代からヨーロッパ製スポーツカー信奉者だった筆者自身も、S13シルビアの魅力にはすっかり平伏し、それまで乗っていたフィアットX1/9から、1800cc時代の黒いQ’sに乗り換えてしまったほどであった。もちろん購入資金は、アルバイトに明け暮れて貯め込んだものである。
それはさておき、1991年1月には、パワーユニットをJ’sとQ’sにはSR20DE型自然吸気140ps、そしてK’sはターボチャーチャーつきSR20DET型205psに載せ換えた後期型へと進化を果たした。このブラッシュアップで走行性能はさらなる向上を見たものの、エクステリアの相違点はセットオプションで選択できたリアスポイラーと、トランクのバッジが逆台形から楕円形に変更された程度。インテリアもほぼ変わらず、大好評を得ていたスタイリングの基本ラインは、生産終了まで変わることはなかったのである。
シルビアがいまも愛される理由
当初はホンダ・プレリュードを仮想ライバルとし、“デートカー”とも呼ばれるスペシャリティカーとして、大学生なども含む若年層から、ホンモノのクーペを好む中・高年層のカスタマーにも十分な訴求力を有していたS13シルビア。しかし、5年間の生産期間に約30万台がラインオフするという大ヒット作となったことから、1990年代半ば以降には大量のユーズドカーが日本国内の中古車マーケットに放出され、新車時よりもさらにポケットの軽い若年層にも浸透することになる。
特にターボモデルについては、サードパーティからチューニングパーツも数多く販売されたこともあって、公道からサーキット走行、あるいはドリフトなどに血道をあげる“走り屋”たちにとっても、絶好の相棒となってゆく。
デビューから35年の時を経た今なお、S13型シルビアが日本国内のみならず、海外のカーマニアの寵愛を受ける存在であり続けているのは、瀟洒なクーペだった新車時代の側面と、走り屋の相棒である現在の側面が、一台の格好良いクルマとして完全両立しているからに違いあるまい。
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