アスファルトの道路は紀元前600年頃にできた!? 日本で初めて使われた道路はどこ?
皆さんの日常に溶け込んでいる「アスファルト舗装」の道路。世界では紀元前600年頃にはすでに存在していたことを信じられるだろうか? 日本のアスファルト舗装の道路は、いつ、どこにできたのかも気になるところ。というわけで、アスファルト舗装にフォーカスした世界と日本の道路史を紐解いていこう。
アスファルト舗装の道路とは?
アスファルト舗装とは、道路の舗装の最上部にあたる表層と基層にアスファルト混合物を用いたものである。走行性、排水性、静音性に優れているうえ、単価も安価で短期間で施工できるため、高速道路から国道、その他の一般道や路地裏まで、さまざまな道路で重用されている。
一般社団法人セメント協会の資料から、高速道路と国道のアスファルト舗装率はおよそ95%と非常に高いことがわかる。この数字を見る限り、アスファルト舗装は幹線道路の人流や物流を支えているといえそうだ。
なお、道路舗装の種類としては、アスファルト舗装の他にコンクリート舗装があり、国によっては広く使用されている。しかし日本ではあまり普及していない。コンクリート舗装は、重量にも耐えられ、耐久性にも優れているが、アスファルト舗装に比べると走行性に劣り、施工にも時間を要するからとみられる。
アスファルトを使用した道路は、紀元前600年頃には存在していた
現在では広く道路舗装に用いられているアスファルトだが、実は、古来より接着剤や防水材として幅広く活用され、その歴史は紀元前3800年頃まで遡ることができるという。
アスファルトを道路の舗装に利用したのは、紀元前600年頃、古代バビロニア帝国の中心都市「バビロン」であったといわれている。当時は、モルタル(セメントや石膏と火山灰土を混合したもの)を用いて道路を建設していたが、いずれも、舗装された道路は軍事道路として利用していたらしい。
ただし、前記のバビロンの道路は、アスファルトを表層に使用していたのではなく、敷き詰めたレンガを接着するために使用していた。このため、アスファルトの道路とはいえないかもしれない。
近代アスファルト舗装の技術は19世紀に確立
古代メソポタミア文明の都市・バビロンで道路の一部に使われていたアスファルトだが、道路舗装にアスファルトが使われるようになるのは、近世を待たなければならない。
きっかけは、天然アスファルトのひとつであるロックアスファルトの発見だといわれる。時は19世紀、ところはスイスのロックアスファルトの鉱山。ロックアスファルトを荷車で運搬していたときに、荷車からこぼれ落ちたアスファルトの欠片が車輪に砕かれ、踏み固められた。そして、いつしか運搬路は荷車でも走行しやすいほどなだらかに舗装された状態になっていたらしい。これがアスファルト舗装された道路の第1号という話もあったりする。
その後、鉱山の技師は、人工的にアスファルト舗装の道路を施工する技術を開発。こうして、ロックアスファルトを加熱して敷き均したうえ転圧するという、アスファルト舗装が生み出された。
日本初のアスファルト舗装は明治初頭
日本初のアスファルト舗装された道路は、諸説あるものの、東京の神田にある「昌平橋」だといわれている。昌平橋にアスファルトの舗装が施されたのは、1878年、明治11年のこと。秋田産の天然アスファルトを使用したという。
その後、自動車の普及に伴って、アスファルト舗装は全国で施工されるようになった。高度経済成長期には工法も発達し、アスファルトのタンクローリー移送なども実現。アスファルト舗装区間が急速に延長されていくことになった。
現在では、一口にアスファルト舗装の道路といっても、いろいろな工夫がされている。たとえば寒冷地では耐摩耗性を強化するためにフィラー(石粉)の割合を増やすなど、道路の環境や気象の条件でアスファルト混合物の配合量も変えている。今後は環境にも配慮した、耐摩耗性の高いアスファルトなど、さらなる技術の進化にも期待したい。
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