直線道路日本一はどこだ!? 29.2kmのまっすぐな道路はなぜ作られたのか!
直線道路日本一の区間は国道12号の29.2kmだという。国道12号はどこにあるのか。どうして長距離直線区間となったのか。最長の直線道路を有する国道12号を深堀していきたい。
直線道路日本一は北海道にあった
これまでKURU KURAでは、日本で一番長い国道や日本で一番短い国道を取り上げてきたが、今回は日本で一番長い直線を持つ道路を調べてみることにした。
その結果、「直線道路日本一」の区間は北海道にあると判明。それが国道12号だった。
国道12号の起点は札幌、終点は旭川。実延長は156.8km(令和4年度 国土交通省道路統計年報)。北海道第1の都市と第2の都市を結ぶ主要な幹線道路のひとつである。札幌-旭川間の経由地は、江別・岩見沢・美唄・砂川・滝川・深川の各市町。居住者にとっては日常を支える重要な生活道路でもある。
国道12号の直線区間は、美唄市光珠内町292から滝川市新町6丁目までの29.2kmだ。美唄・奈井江・砂川・滝川の3市1町をまたいでおり、ちょうど奈井江町が中間となる。
しかし、29.2kmといわれても想像しにくいかもしれない。例えば、国道1号であれば、東京-横浜間がおよそ30kmだ。交差点の数や交通量などを考慮すると、クルマでの所要時間は比較できないが、距離はイメージできるだろう。
「北海道はでっかいどう」などというが、29.2kmの直線区間が生み出す道路景観は圧巻の一言に尽きる。
29.2kmの直線区間はどうしてできた?
奈井江町には、北海道開発局の「直線道路日本一」のモニュメントがある。そこには直線道路誕生のいきさつが書かれている。
明治19年(1886年)。北海道庁は中央道路(札幌―岩見沢―旭川―網走―釧路―根室の経路)の「上川道路(岩見沢―旭川間)」の開削を推し進め、幅員1.8mの道路ができあがった。道路建設事業に従事したのは樺戸集治監(現月形)の囚人であった。そして、明治22年(1889年)には、空知集治監(現三笠)の囚人によって、上川道路を幅員5.5mに拡幅した。
では、どうして直線の道路となったのか。上記モニュメントの説明によると、明治21年(1888年)の上川道路工事復命書に「成可(なるべく)直線路に為すを主とし」と記載されていることから、北海道庁の指示のもと、意図的に直線道路にしたことが伺える。
開拓地・北海道は未開の地であった。厳しい自然環境に阻まれ、満足に測量もできなかったのではないだろうか。そのため、地図上に定規をあてて直線を引いたような道路計画にしたのかもしれない。また、当時の北海道は地方部の開拓を推し進めるため、道路の整備を早急に進める必要性に迫られていたことから、曲線の連続する道路と比較して、施工しやすく工期もかからない直線の道路が推奨された可能性もあるだろう。
観光資源としても重要視されている北海道の直線道路。中間地点の奈井江町をはじめ、国道12号の沿線の自治体も「直線道路日本一」を活かした観光の取り組みをしている。北海道らしい道路景観と周辺の観光を満喫しながらドライブしてみては? ただし、直線道路だからこそ、スピードの出し過ぎにはくれぐれも注意してもらいたい。
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