クルマのある暮らしをもっと豊かに、もっと楽しく

Cars

最終更新日:2023.05.30 公開日:2023.05.30

もしマツダ・ロードスターが生まれていなかったら? 小さなクルマが起こした大きな奇跡──日本が世界に挑戦した名車たち(第2回)

マツダ・ロードスターはなぜ世界で成功したのか。連載2回となる今回は「ユーノス・ロードスター/マツダMX-5ミアータ」を紹介する。

文=武田公実 写真=マツダ

記事の画像ギャラリーを見る

「ユーノス・ロードスター/マツダMX-5ミアータ」

初代「ロードスター(NA型)」。海外では「MX-5ミアータ」の名で知られる。

 今や全世界で確たる地位を築いている日本の自動車産業だが、ほんの数十年前までは挑戦者の立場にあったことは、誰もが知る事実であろう。

 国内市場における成功だけに満足するのではなく、世界最大の自動車マーケットであるアメリカや、自動車発祥の地、ある意味本場でもあるヨーロッパにおいても、その正味の実力で真っ向勝負を挑もうとしたチャレンジャー的なモデルは数多いのだが、そんな名車たちの伝説に触れるのがこの特集企画。

 第2回のテーマとして選んだのは、1990年代マツダの歴史的傑作「ユーノス・ロードスター/マツダMX-5ミアータ」である。

ロードスター誕生前夜

 今なお、日本国内はもちろん、欧米のファンの間でも熱烈な支持を受けているマツダ・ロードスターの初代モデル、「NA型」と呼ばれるユーノス・ロードスター/マツダMX-5ミアータが発表されたのは、1989年2月に開催された北米シカゴ・オートショーのこと。この時、かつて北米を中心に世界を席巻していた小型のロードスターは、既に市場からほとんど姿を消していた。

 古き良きジュリア由来のアルファロメオ・スパイダーは生産されていたものの、基本設計は1960年代まで遡るとともに、価格もライトウェイトスポーツカーとしては、かなり高価なものだった。

 そんな状況のもと、マツダでは特に北米支社の首脳陣から、往年のヨーロッパ製ライトウェイトスポーツカーを、1990年代を見据えた新世代の量産スポーツカーとして復活させようとする気運が生まれていたという。

 こうして、のちに「ユーノス・ロードスター(日本市場向け)」および「マツダMX-5ミアータ(輸出向け)」となるプロジェクトが発足。ボディデザインについては、北米カリフォルニアに「マツダR&D」が設けたデザインスタジオと、日本側のマツダ本社デザインチームなどによるコンペが行われたと言われている。

1989年2月に開催されたシカゴ・オートショーでワールドプレミアを飾った「マツダMX-5ミアータ」

ロードスターの成功を決定づけた信念に基づくコンセプト

 最終的に選ばれたデザイン案を手掛けたトム・マタノ(俣野努)氏は、まだ「東洋工業」だった時代の1983年に、マツダ北米事業部のチーフデザイナーとして入社。その後、マツダR&Dノースアメリカ社のデザイン担当副社長となった人物である。その傍ら、1960年代のイタリアで、わずか100台あまりが製作されたに過ぎない小型レーシングスポーツカー「デ・トマゾ・ヴァッレルンガ」を愛してやまない、生粋の自動車エンスージアストでもあったという。

 そんなマタノ氏はもちろん、共同でデザインを完成させた田中俊治氏が率いる日本側チームも、ともに古き良きライトウェイトスポーツカーの復活を目指して、NAロードスターのスタイリングを練り上げることになったとの由なのだ。

 そしてデビュー当時は、柔らかい曲面で構成された可愛らしいプロポーションや、リトラクタブル式のヘッドライト。あるいは楕円形のテールランプなどから、1960-70年代のロータスの傑作、初代「エラン」へのオマージュ……?とも噂され、発売直後にはエラン風に仕立てるボディキットが、複数のサードパーティから販売されることもあった。

 しかし当時のマツダが目指し、現在も継承される基本コンセプトは、生産コストや快適性を度外視しても軽量にこだわった60年代のロータス流ではなく、英国の「MGB」や「MGミジェット」「トライアンフ・スピットファイア」など、走行性能やハンドリングは「ほどほど」ながら、価格はリーズナブルで扱いやすい、また改造も施しやすいブリティッシュ・ライトウェイトスポーツカーたちの精神的な後継車とすることであった。

非常にシンプルなつくりの初代ロードスターのベアシャシー

 そこでマツダ技術陣は、前後ともダブルウィッシュボーンのサスペンションや、FR用のドライブトレーンを新規開発する一方で、同時代のファミリア「スポルト16」用とほぼ同一のチューンとなる1.6リッター直列4気筒DOHC16バルブ・120psのユニットを、縦置き用に仕立て直して搭載することにした。

 もちろん、1980年代前半から始まったパワー競争のもと、同じBF型ファミリアでもターボチャージャー付き140psとした「GT」用エンジンなど、より高出力/高トルクなパワーユニットを選ぶこともできたかもしれない。でも、安易なパワーアップを図るよりも優れたバランスを得ること、そして何より「人車一体」という確たる信念のもとに構築されたコンセプトこそが母国日本のみならず全世界のエンスージアストを熱狂させ、のちに「世界で最も売れた2座席ロードスター」として、ギネス・ワールドレコードに認定されるほどの大ヒットを博したのだ。

世界の大手自動車メーカーが日本のロードスターに嫉妬した

古き良き英国ライトウェイトスポーツカーを彷彿とさせる、初代ロードスターのインテリア。

 そして、このジャンルの元祖たる英国の「MGF」や、ドイツの「BMW Z3」に「メルセデス・ベンツSLK」。かつては英国と並ぶスポーツカー王国だったイタリアの「フィアット・バルケッタ」など、ヨーロッパの名門メーカーにも数多くの追従者を生み出させることになった。

 またアメリカにおいても「ポンティアック・ソルスティス」と姉妹車「サターン・スカイ」、およびそのOEM版である「オペルGTロードスター(独)/ヴォクスホールVXロードスター(英)」も登場。それらのすべてが、ユーノス・ロードスター/マツダMX-5ミアータの影響を受けて企画・開発されたことは、誰もが知るところである。

 現在では、SUVの流行と時を同じくして、それらのフォロワーたちは続々とライトウェイトスポーツカーから撤退してしまったものの、ユーノス・ロードスター/マツダMX-5ミアータの温故知新的コンセプトを完全継承したマツダ・ロードスターのみは確たる地位を築き、そろそろ五代目の誕生が噂される今となっても、不断の進化を続けてさえいる。

 自動車の企画・開発の現場から、エンスージアスト的な情熱が薄れつつあるとも言われる現代にあって、この孤高のあり方もまた、尊敬に値すると言えるだろう。

歴代のマツダ・ロードスターたち。左手前が現行モデルの4代目(ND)、右奥が3代目(NC)、右手前が2代目(NB)、そして左奥が初代(NA)だ。

記事の画像ギャラリーを見る

この記事をシェア

  

Campaign

応募はこちら!(12月1日まで)
応募はこちら!(12月1日まで)