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最終更新日:2023.06.20 公開日:2023.01.18

バイクに乗ると、視線は路面中心になる?|長山先生の「危険予知」よもやま話 第13回

2022年8月に逝去されるまで、JAF Mate誌の人気コーナー「危険予知」を監修されていた大阪大学名誉教授の長山先生。本連載は、誌面掲載時に長山先生からお聞きした本誌では紹介できなかった事故事例や脱線ネタを紹介しています。

話・長山泰久(大阪大学名誉教授)

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バイクに乗ると、視線は路面中心になる?

編集部:今回はバイクで右折車線を走行中、停止車両の間から車が出てくるケースです。前方の交差点で止まろうとしているので、あまり速度は出ていない状況ですが、停止車両の間から突然車が出てきたら、ヒヤッとしますね。

長山先生:そうですね。バイクであろうと四輪車であろうと、先で右折しようと右折車線を走って交差点に近づく場合、前方で停止しているトラックと信号だけ注意するでしょう。

編集部:私もきっとそうすると思います。

長山先生:そうなると、左側の車線に車が連なって止まっていることや対向車が来ていることも、あまり意識しないはずです。

編集部:そうかもしれません。特に左側の車は停止しているので、ヘタをすると動かない壁と同じで、ほとんど意識しないかもしれませんね。

長山先生:それが危険な点です。いったん壁のように思ってしまえば、当然そこから車が出てくることも、壁の一部である車が動き出す可能性も想像できません。もし、左側に危険が生じても、想定外なので対処も遅れます。さらにバイクの運転者の目線は路上や路面など下方向に向かう傾向があるので、それも危険な要素になりますね。

編集部:下ですか? 私もバイクに乗りますが、そんなに道路ばかり見て走っていますかね?

長山先生:以前、バイクのライダーの目線を調べたところ、左右方向にはあまり目線は配られず、手前の路面に集中していました。バイクは四輪車より安定性が劣り、路上の落下物で転倒するおそれがあるため、ライダーは路面状況に最も神経を配るからです。ちなみに、運転席が高いトラックドライバーの視界は広く、近くの路面より遠い周囲の状況をよく見ることができます。

編集部:トラックドライバーはそのぶん周囲の状況がよく確認できるので、安全に走れるのですね。

長山先生:基本的にはそうですが、よく見えるぶん脇見が多いようで、大型トラックは脇見による事故の比率が高いというデータもあります。

編集部:見晴らしがいいからといって、安全とは限らないのですね。

長山先生:もちろん、見晴らしがいいことは基本的に安全ですが、そこに潜む危険を自覚していることが大切です。具体的には、見晴らしがいいぶん「脇見をしたがっている自分」「脇見をしてしまっている自分」に気づいて注意することです。それに気づかず漫然と脇見をしてしまうと事故になるのです。

編集部:なるほど。ちなみに今回の場合、左側から出てきた車のドライバーが手前で停止したので、事故にならずに済みました。もし、こちらが気づくのが遅れても、相手がしっかり安全確認していれば、事故は避けられますね。

長山先生:そうですね。ただ、相手がこちらを見ていても、無理に出てくるケースもあるので注意が必要です。

“譲り合い”に潜む危険に注意

編集部:こちらを見ているのに出てくるなんて、かなりの無茶ぶりですね。

長山先生:道路形状的にはこちらが優先なので、脇道から出てくる車は停止して待つ必要がありますが、相手が急いでいるような場合、無理に出てくる危険性があります。また、「相手も気づいているので譲ってくれるだろう」と考えるドライバーもいます。

編集部:勝手な思い込みをするドライバーもいて、油断なりませんね。

長山先生:そのとおりです。特に相手がバイクだと、「譲ってくれる」とか「譲らせればいい」と思うドライバーもいるのではないでしょうか。相手がダンプカーのような大きな車では、そうはいきませんが。

編集部:“弱い者いじめ”みたいですね、それでは。

長山先生:車体の大きな車や高級車と比べると、バイクや小型の車は軽視されることがありますね。

編集部:たしかにそうかもしれません。同じバイクでも、原付バイクは特に甘く見られるような気がします。逆に言えば、バイクに乗る場合、相手の動きに十分注意して、本当に譲って停止してくれたのか、しっかり確認しないといけませんね。

長山先生:そのとおりです。バイクの場合、相手が強気で出てくる可能性がありますし、車体が小さくて見落とされる危険性もあります。一見、自分のために止まったように見えても、実は違う理由だったというケースもあるので、相手と目を合わせてお互いの意思を確認する「アイコンタクト」などを行う必要があります。

編集部:譲ったり譲られたりする行為は、ちょっと取り違えると事故になりかねないので注意しないといけませんね。

長山先生:そうです。「譲り合う」ということは日本人の優れた心根ではありますが、運転する場合にはそれなりの状況判断が必要で、周囲の状況を十分確認しないと事故になりかねません。たとえば、今回左側から車が出てきたので、あなたが減速して譲ったとします。しかし後続車にとってあなたが右折車線の途中で停止するのは想定外のことなので、追突される危険があります。

編集部:たしかにそうですね。私も以前、道を譲ろうとした前車が急に停止したことがあり、追突こそしなかったものの、「あえてここで譲らなくても!」と思ったことがあります。

長山先生:私は「譲り合う」ことを決して否定しませんが、「相手が譲ってくれる」と安易に決め込まないことが事故を起こさないための重要なポイントだと思っています。すなわち、安全は自分が確保するべきものであり、相手に期待する運転は行わないことを鉄則としています。ときどき、相手が止まったり、相手が回避するのを前提に不用意な行動をとる人がいますが、私は少しでもリスクがあれば、そのような行動は絶対にとりません。

編集部:なるほど。それが事故を起こさない慎重な行動の源になるのですね。これまで長山先生は小さい頃から危険感受性が高く、慎重な性格だったと伺っていますが、リスクを避けるという考え方も小さい頃から身に付いていたのですか?

危険を好む若者の特性が無謀事故に?

長山先生:小さい頃から身に付いていたかもしれません。ただ、今の時代でもそうかと思いますが、少年期や青年期には、男はあえて危険な行動や無茶をすることを良しとする傾向があって、「危険なことをするのが男だ」とか「怖がり屋はダメ人間だ」などという考えが支配していたように思います。

編集部:たしかにそうですね。実際は怖くてやりたくないものでも、「怖い」とか「できない」と言ってしまうと、男として認められない空気がありました。まるで通過儀礼のように、危険を冒すことができて、初めて男として認められるような風潮がありましたね。

長山先生:「いじめ」の中にも危険な行動を強いることがありましたね。私の小学校は山の上にあり、通学路が3本ありました。昔は集団登校のような制度はなく、各自ばらばらに学校に通いましたが、ある通学路ではボスを中心に通学する仲間が集まり、その集団がクラスの中でも勢力を作っていました。

編集部:そのボスがいじめを行っていたのですね?

長山先生:そうです。体の大きいA君がボスで、その他の子供達は手下になって、いろいろ彼に言われて従わされていたようです。なかでもO君はいじめられる代表でした。

編集部:体が小さい弱々しい子供だったのでしょうか、O君は?

長山先生:体は小さいほうでしたが運動神経は抜群で、皆が羨むほどでした。たぶんA君にはそれが気に入らなかったのでしょう。学校から下っていく途中、道路から2mくらい高くなった部分に墓場があったのですが、O君はA君に墓場から道路に飛び降りろと命じられ、何回もやらされていたようです。運動神経抜群のO君だから何とかなったのでしょうが、他の子供だったら大けがをしていたのではないでしょうか。

編集部:けがをしなかったからよかったものの、酷いいじめですね。

長山先生:そうですね。いじめの中にはこのような「危険なことでもやってみろ!」「そんなこともできないのか!」と、弱い立場の子供に強要することがあります。先ほども話したように、私の少年期・青年期には「危険なことをするのが男だ」などという考えが支配していて、若者の心の中には結果がどうなるかも考えず、無茶をすることを良しとする傾向があるのではないでしょうか。それは今でもあって、若者の無謀な交通事故の原因の背景になっているのではないかと考えます。

編集部:たしかに「どこそこの道路で何キロ出した」とか「ブレーキを踏まずにカーブを曲がった」とか、怖さを克服した話を武勇伝のようにする傾向もありますから、それが行き過ぎて事故が起きるのは容易に想像できますね。今回の問題は男性の利用者の多いバイクでしたが、状況的に無謀運転とは関係ないですね。

長山先生:無謀運転とは違いますが、今回のように自分が走る車線が空いていると、つい緊張感が緩んでしまう危険性はありますね。

編集部:そうですね。なまじ隣の車線が混んでいて多くの車が停止しているので、それを尻目に気持ちよく走ってしまうような気がします。

長山先生:まさにそのとおりで、自分だけスイスイと進行できる場合には快感や優越感が生まれます。緊張感は緩んでしまうので、「安全?危険?」を考える気持ちは生じず、横から車が出てくる危険性などは想像もつかないでしょう。

編集部:たしかにそうですね。今回は信号が赤でしたが、右折矢印信号が出ているタイミングなら、そのまま速度を上げて曲がってしまうでしょう。

長山先生:そうでしょうね。右折矢印信号が出ている間は対向直進車や対向バイク、横断歩道を渡る歩行者に注意する必要がないので、ドライバーは安心して曲がってしまいます。しかし、思わぬ”落とし穴”があるのです。

右折矢印信号には”落とし穴”がいっぱい

編集部:本誌で説明していた「直進車線からの進路変更」や「歩行者の横断」ですね? でも、右折矢印信号が出た際、交差側の歩行者が信号が変わったと勘違いして渡るようなケースは、本当にあるのですか?

長山先生:実際に自転車に乗った高校生が渡り始めて右折車にはねられた事例(下図)などがあります。1人でなく友人と話ながら渡って事故に遭うケースが多いようです。

編集部:なるほど。1人だと信号や右折車を自分で確認して渡りますが、友人といっしょだと話に夢中になって安全確認がおろそかになりそうですね。

長山先生:このケースで問題なのは、自転車だけでなく、右折するドライバーの安全確認もおろそかになる点です。先ほど話したように、右折矢印信号が出ている間は対向直進車や歩行者など他の交通は規制されているので、右折するドライバーは横断歩道を渡る自転車や歩行者があるとは思いもしません。予想していないので確認もせず、注意は信号だけに向いて、自転車の発見はぶつかる直前だったようです。

編集部:どちらかでも安全確認をしていれば、事故は回避できた可能性がありますが、両者の安全確認がまったく機能しなかったのですね。

長山先生:そうです。自転車などへの注意をまったくしていないうえに、右折矢印信号が出ているときに曲がろうとすると、「矢印信号が変わらないうちに」と考えるので信号ばかりに注意が向いて、速度も上げてしまいがちです。事故事例を数多く分析した結果、前方に同じ右折車がいる場合は比較的問題がありませんが、前の車と離れていたり、単独で右折車線を進む場合は、前車に遅れないように急いだり、信号ばかり気にしてしまうので、より注意が必要です。また、前方に同じ右折車がいる場合、途中で信号が赤に変わって前車が停止した際、止まりきれずに追突する危険性もあるので注意しましょう。

『JAFMate』誌 2015年12月号掲載の「危険予知」を元にした
「よもやま話」です


【長山泰久(大阪大学名誉教授)】
1960年大阪大学大学院文学研究科博士課程修了後、旧西ドイツ・ハイデルブルグ大学に留学。追手門学院大学、大阪大学人間科学部教授を歴任。専門は交通心理学。1991年4月から2022年7月まで、『JAF Mate』誌およびJAFメイトオンラインの危険予知コーナーの監修を務める。2022年8月逝去(享年90歳)。

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