傑作ホットハッチは如何にして生まれた?「ルノー 5(サンク) GTターボ」──80年代ホットハッチの名車たち(第1回)
GRカローラやシビック・タイプRの登場で、再び注目を集めるホットハッチ。その始まりは1980年代にまで遡る。なかでもルノー 5 GTターボは、ブームの火付け役として高い人気を誇り、日欧の若者たちの間で憧れの一台となった。フランス生まれの傑作ホットハッチはいかにして生まれたのか。自動車ジャーナリストの武田公実氏が解説する。
コンパクトな実用ハッチバック車をベースとする高性能モデルが、スポーツカーの新たなジャンルとして認知され始めた1980年代。この時期には本家たるヨーロッパのほか、日本からも人気の「ホットハッチ」、あるいは「ボーイズレーサー」とも称された魅力的なモデルたちが数多く登場した。今回は、かつて日欧の若者たちを魅了したホットハッチの中から、フランスを代表するモデル「ルノー・シューペル5 GTターボ」をご紹介しよう。
耐久レースやF1GPで醸成されたテクノロジーを応用
ルノー「5(サンク)」は、老舗ルノーのヒストリーを語るには欠かせない傑作。ヨーロッパ市場では、サブコンパクトのセグメントBで長らくベストセラーの地位を保持した、上質なコンパクトハッチバックカーである。
そのサンクの後継車として1984年に登場したのが、二代目に当たる「シューペル(Super)サンク」。2BOXスタイルのハッチバックボディは初代サンクの雰囲気を色濃く残す、上品かつスタイリッシュなものだった。
ただし、初代サンクが社内デザインチームの作であったのに対して、シューペルサンクは巨匠マルチェロ・ガンディーニがデザインを担当。「ランボルギーニ・ミウラ」や「カウンタック」「ランチアHFストラトス」など、いわゆるスーパーカーの分野で世界を驚嘆させたかたわら、「シトロエンBX」などの実用車に対しても先鋭的なエッセンスを盛り込んだデザインを実現したことで知られるガンディーニらしく、シンプルな面構成の美しさが際立つ、極めてモダンなボディスタイルが実現されることになった。
メカニズムは、FWDであること自体は初代と同じだったが、パワートレーンは初代のエンジン縦置きレイアウトから、ひと足先に登場していた上級モデル、ルノー「9」/「11」と同じくトランスミッション/ディファレンシャルともども横置きする、この時代の常套的な手法へと変更された。
加えて、サスペンションも完全新設計のものに一新。フロントは縦置きトーションバーを用いたダブルウィッシュボーン式から、コイルスプリングを使ったマクファーソンストラット式に変更した。また、初代ではトレーリングアームに横置きトーションバーを組み合わせ、左右でホイールベースが異なるという特異なレイアウトを採っていたリアサスペンションも、トーションバーに二重のパイプを用いて同位置に配置することで、左右のホイールベースを同一にしていた。
そしてシューペルサンクのデビュー翌年となる1985年には、初代に設定された「5アルピーヌ/5アルピーヌ・ターボ」の系譜を受け継ぐ高性能バージョン「GTターボ」が追加されることになる。
5GTターボで要となるターボエンジンのチューニングを手掛けたのは、もともとはルノーのオフィシャルチューナーとして名をはせた「ゴルディーニ」のエンジン開発部門から発展し、パリ郊外ヴィリー・シャティヨンのファクトリーも継承した「ルノー・スポール(Renault Sport)」。
総排気量1397ccの直列4気筒OHVエンジンに、米ギャレット・エアリサーチ社製ターボチャージャーおよび一基のキャブレターを組み合わせることによって、先代の5アルピーヌ・ターボから5psアップとなる115ps/5700rpmの最高出力と、16.8kgm/3000rpmの最大トルクをマークした。
ゴルフGTIや205GTIとの差別化
ここで興味深いのは、ホットハッチの開祖にあたるフォルクスワーゲン ゴルフGTIや、同国のライバルであるプジョー 205GTIが自然吸気式エンジンを搭載していたのに対して、ルノーはターボ過給を選んだことである。
それは、ル・マン24時間レースに代表される耐久レースのみならず、F1GPにおいてもいち早くターボチャージャーを導入し、ブランドとしての高性能イメージにターボチャージャー過給が直結していたルノーゆえの選択とも考えられよう。それは、モータースポーツにおける戦果やプレゼンスが、メーカーとしての営業面にも現在よりはるかに大きな影響を及ぼした1980年代ならではのこと……と推測されるのだ。
いっぽう、これも先代5アルピーヌ・ターボ時代と同じく3ドアのみとされたボディは、いかにもガンディーニらしい鋭利なデザインの大型バンパースポイラーや、樹脂製のオーバーフェンダーで武装。インテリアについても、ステアリングやシートがスポーティかつゴージャスなものに置き換えられた。
こうして「ヤングタイマー・クラシック」と呼ばれる1980-90年代に時代を席巻したホットハッチブームにおいて、プジョー 205GTIとともにフランス代表選手となったシューペルサンクGTターボは、母国フランスをはじめとするヨーロッパのみならず、極東のわが国でも大ヒットを博すことになる。
くわえて、1966年から「クープ・ナシオナル・ルノー・ゴルディーニ(通称ゴルディーニ・カップ)」としてスタートした、一連のメーカー主導のワンメイクレース選手権においても、5 GTターボは6代目の専用マシンとして、1986年から6シーズンにわたって供用。フランス、およびその周辺国の若きドライバーたちにとっては登竜門というべき存在となったことも、特筆すべきトピックであろう。
1987年にはシューペルサンク一族ともどもマイナーチェンジが施され、直4ターボエンジンは排気量もそのまま、最高出力/最大トルクは120ps/16.8kgmにアップ。ラジエーターグリルやアロイホイールのデザインなどにもフェイスリフトが施された。
そして、シューペルサンクの後継にあたる「クリオ(日本市場ではルーテシア)」が1990年にデビューしたことに伴い、クリオのホットバージョン「クリオ16S(ルーテシア16V)」にあとを譲るかたちで生産を終えることになったのである。