懐かしのレーシングカーが疾走する。昭和の日本のレース映画
レースを題材にした映画は数多くあるが、今回は昭和に公開された日本の作品に絞って紹介。昭和という時代は日本のモータースポーツ界にとって創世から発展という時期であり、さまざまなジャンルのレースを取り扱った映画が制作されている。そんな昭和の日本のレース映画で、大スターが主演したメジャーな作品からマニアックなものまでを紹介しよう。
石原裕次郎、高倉健の大スターが主演
レースを題材にした日本の映画は1960年代後半になると話題作と呼べるものが公開され始める。それは1963年に鈴鹿サーキットが営業を開始したことが要因の1つでもある。日本初の本格的なサーキットであり、そこで開催されるレースに参戦するため、多くの自動車メーカーがモータースポーツ活動に本腰を入れ始めた。同時に日本車は世界進出のため、その性能をアピールする場所として世界選手権を冠するレースへの挑戦を始める。そんな時代を反映して撮影されたのが、石原裕次郎が主演する『栄光への5000キロ』(1969年公開)だ。
『栄光への5000キロ』は、1966年の東アフリカ・サファリ・ラリーで日産が優勝したときのチーム監督である笠原剛三の著書が原作。映画は石原裕次郎が扮するレーサーが、日本グランプリやモンテカルロラリー、サファリラリーといった国内外のレースで活躍する姿を映し出している。それらのレースシーンでは、雪に覆われたアルプス山脈や赤土のホコリが舞うサファリ、富士スピードウェイの30度バンクなどがロケ地となっている。また本作は公開時に上映時間が3時間近くあったため、地上波のテレビ放送でノーカット版が放送されることがなく、さらに2013年に発売された完全版Blu-ray、DVD版までソフト化もされていなかった作品である。
モータースポーツ界の発展期に撮影
『栄光への5000キロ』が、日本のモータースポーツ界の創世記に制作されたのに対して、高倉健が主演した『海へ -See You-』(1988年公開)は、モータースポーツ界の発展期だったバブル景気の真っ只中に制作された作品だ。
題材としたレースはパリ・ダカール・ラリーで、高倉健は抜群の技量を持つメカニックを演じている。当時のパリ・ダカール・ラリーは、フランスのパリをスタートして、地中海を船で渡り、アフリカ大陸のサハラ砂漠を縦断し、セネガルのダカールでゴールするという1万3000kmにも及ぶルートを約20日間で走破するものだった。
映画のロケ地もパリダカと同じ場所で行われ、その過酷さが伝わる映像となっている。ストーリーは、その中でチーム内に起こるさまざまな人間模様を描いている。ちなみに脚本は倉本聰。監督は、高倉健が主演し110億円という当時の興行収入の記録を塗り替えた『南極物語』(1983年公開)の蔵原惟繕がメガホンをとった。上映時間は174分と3時間弱もあるため、ビデオ化されたときには上下巻に分けられていた。
映画に登場する車の写真は
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社会現象「ブーム」と連動した映画
F1ブームなどのように社会現象と呼ばれるまでに流行したモータースポーツや自動車に関する流行はいくつかある。そんなブームと連動した日本のレース映画もある。
バイクブームのピークに公開
1980年代はバイクブームと呼ばれた社会現象が起こっていた。そのピークといわれる1983年は新車販売台数が約328万台(2020年は約14万台)を記録。そしてバイクレースは国際レースである鈴鹿8時間耐久ロードレースが1978年から開催が始まる。そして「バイクの甲子園」と形容された鈴鹿4時間耐久ロードレースも1980年から始まり、「バイクレーサーになりたい」という若者が増加。その最中に、大藪晴彦の小説を原作とするバイクレース映画『汚れた英雄』(1982年公開)が公開された。
『汚れた英雄』は、草刈正雄が演じる主人公のバイクレーサーが、全日本選手権の500ccクラスでチャンピオンを争うというストーリー。レースシーンは、ヤマハや全日本選手権のライダーたちが協力し、宮城県のSUGOサーキットで撮影。車載カメラによる映像もあり、当時としてはスリリングなレースシーンをスクリーンに映し出していた。また主人公はイケメンで美女たちとの優雅な私生活を送っており、その点もバイク少年たちを魅了したのかもしれない。
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レース映画じゃないけど貴重な映像がある作品
レースがメインの題材ではないが、今では見ることのできない貴重なレース関係の映像をカラーでおさめた映画があるので紹介しよう。
開業後の鈴鹿サーキットがロケ地
加山雄三主演の若大将シリーズは、レース映画ではなく青春映画である。しかし第11弾として制作された『ゴー!ゴー!若大将』(1967年公開)は、全日本学生ラリー選手権が物語前半の舞台となる。そのラリーに出場するために若大将たち大学生が、鈴鹿サーキットで練習するというシーンがある。
映画に登場する鈴鹿サーキットは1963年の開業から数年後の姿で、「これが鈴鹿サーキット?」と思うほど今の風景とは異なる。映画では1コーナーからダンロップコーナーまでや、シケインが無い最終コーナーなどが映し出されるのだが、コースサイドのエスケープゾーンは狭く、縁石のデザインも異なり、現在はスタンドなどの観客席になっているところは、山肌に雑草が生えている斜面となっている。また鈴鹿サーキット以外に、東京都中央区にあったころの日産本社や、1963年に開通した日本初の高速道路である名神高速道路もロケ地となっており、時代の流れを感じさせてくれる。
小学生までも熱狂したスーパーカーブーム
1975年から1978年という3年間で異常な盛り上がりを見せたのが、スーパーカーブームだ。ランボルギーニやフェラーリ、ポルシェなどの高性能なスポーツカーをかたどった消しゴムや写真などが、大人だけではなく小学生までも巻き込んだブームだった。その中心的存在の1つだったのが漫画『サーキットの狼』で、同作品は映画化されている。
映画『サーキットの狼』(1977年公開)は、当時のスーパーカーがカーチェイスするシーンが多い作品だが、冒頭の舞台が1976年に富士スピードウェイで開催されたF1選手権イン・ジャパンなのだ。そのシーンで風吹真矢が演じる主人公は、バイトで観客席のアイス売りをしている。その間にF1選手権イン・ジャパンのレース映像が流れるのだ。雨によりマクラーレンのジェームス・ハントが逆転チャンピオンを決めたレースで、ほかにもニキ・ラウダ本人がパドックで歩く姿なども映し出されている。
映画に登場する車の写真は
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こんなレース映画も公開されたのを覚えています?
ここまで紹介してきた映画は、現在もBlu-rayや配信などで鑑賞できるものだったが、ここからは現在はDVDなどのソフトが販売されていない、または劇場公開のみだった作品を紹介しよう。
日本の最高峰フォーミュラを映画いた作品
当時、日本国内でのフォーミュラカーレースでトップカテゴリーだった全日本F2選手権を題材にしたのが、『F2グランプリ』(1984年公開)だ。1980年代の全日本F2選手権は、ヨーロッパ選手権を制覇したホンダのエンジンが供給されるようになりエンジンのパフォーマンスが飛躍的に向上。タイヤはブリヂストン、ダンロップ、ヨコハマがしのぎを削り、日本初のレーシングラジアルタイヤが投入されるなど、レーサー同士の戦いとともに、自動車・タイヤメーカーの戦いも激化していた時代だった。そんな激戦の時代のF2にデビューしたばかりのレーサーである主人公を、中井貴一が演じた。原作はフィクション、ノンフィクションの両方でレースに関する書籍をのこしている海老沢泰久で、当時のリアルな全日本選手権F2事情を映し出した作品となっている。
1970~80年代のグランプリサーカスをリアルに
1970年代のバイクの世界選手権ロードレース(以下世界GP)は、現在のようなオートバイメーカーによるファクトリーチームなどのプロフェッショナルな集団が参戦するものではなく、プライベーターと呼ばれるライダー個人がキャンピングカーにバイクと工具、チームスタッフをのせてヨーロッパを巡業するスタイルが多くを占めていた。そのスタイルから、彼らを巡業するサーカス団に例えて「グランプリサーカス」と呼んでいた。
そんなグランプリサーカス内での人間模様を描いた映画が『ウインディー』(1984年公開)である。渡辺裕之が演じるレーサーは、西ベルリン(ドイツが東西に分割されていた時代)でドラマーをしながら、世界選手権ロードレースの250ccクラス(現在のMoto2)に参戦するプライベーター。スクリーンには、レースシーンとともに転戦のためのキャンピングカー生活も描かれる。
原作は泉優二の小説。泉は文筆業とともに映像作家やテレビ番組の制作にも携わっており、1978年に世界GPの350ccクラスに参戦する日本人ライダー、片山敬済のドキュメンタリー番組を制作している。その経験から執筆された小説にはグランプリサーカスの生活臭が漂う作品だった。映画にも、そのテイストが反映されている。
ここまで昭和の日本のレース映画を紹介してきたが、それぞれの時代を反映したレースカテゴリーを扱っており魅力ある作品がたくさんある。レース映画は洋画だけじゃないのだ! 今こそ邦画のレース映画を観てみませんか?
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