レジェンドカップ19、往年の名ドライバーが富士でバトル
下は66歳から上は85歳まで、平均年齢74.7歳という往年の名ドライバーたち15人が今年も富士スピードウェイに集結し、「AIM The Legend's Club Cup 2019」で熱いバトルを繰り広げる。レジェンド レーシング ドライバーズ クラブが開催記者会見を8月21日に実施。参加予定ドライバーの半数も出席し、その意気込みを語った。
今回、「AIM The Legend’s Club Cup 2019」(以下、レジェンドカップ)の発表を行ったレジェンド レーシング ドライバーズ クラブ(LRDC)とは、モータースポーツにおけるプロ野球の名球会のような組織で、基本的に現役を引退した、以下のような条件の往年のドライバーが入会している。
●1973年(第1次オイルショック)以前の主要ワークスドライバーおよび海外挑戦者
●1973年から始まった全日本F2000からフォーミュラ・ニッポンまでの国内トップフォーミュラ歴代王者
●富士GCシリーズ歴代王者
●全日本耐久選手権/JSPC王者
●そのほか国内モータースポーツの発展に大きく寄与したレーシングドライバー
日本のモータースポーツは、欧米諸国に比べると数十年から半世紀ほど歴史が浅いのだが、それでも50年を超える。1962年に鈴鹿サーキットがオープンし、翌63年には第1回日本グランプリ(F1とは異なる)が開催。それから今年で56年になる時間が積み重ねられてきたのだ。その時に参戦したドライバーは20歳だったとしても今年で76歳である。
そんな日本のモータースポーツの歴史を支えてきたのが、レーシングドライバーたちだ。特に初期のレースは文字通り命がけだった。実際、将来を期待されながらも何人もの若きレーシングドライバーが命を落としていった。しかし、そんな危険な状況であっても逃げずに走り続けたレーシングドライバーがいたからこそ、今日の日本のモータースポーツがあるのである。そうした名レーサーを讃え、そして過去のモータースポーツの歴史を後世に伝えていく組織としてLRDCは誕生したのだ。
そして2018年11月、往年の名ドライバーたちによる「AIM The Legend’s Club Cup」を実施。非常に好評を持って迎えられたことから、2回目が実施されることになったのである。
レースは富士スピードウェイを8周
レジェンドカップの開催サーキットは富士スピードウェイ。全長4563m、国内最長の1475mのメインストレートを有する、かつてはF1が開催されたこともある国際格式のサーキットだ。10月19日(土)が練習走行および予選が行われ、翌20日(日)が決勝である。当日は、「富士チャンピオンレース」というレースイベントが行われ、その中のレースの1戦としてレジェンドカップは開催される。レースは8周で行われ、現時点で15人が参加の予定だ。スタート方式は、予選時の順番でまず隊列走行を1周してタイヤを温め、そして走りながらスタートを切るローリングスタート方式だ。静止状態からスタートするスタンディングスタート方式は接触などの危険性があることから採用されなかった。
マシンは国産レーシングカー「VITA-01」を借用
マシンは、三重県鈴鹿市のレーシングカーコンストラクター・ウエストレーシングカーズ社製の「VITA-01」のみを使用。つまりワンメイクレースである。タイヤは横浜ゴムの「ADVAN NEOVA」、ホイールもTWSWS(TAN-EI-SYA WHEEL SUPPLY)製のワンメイクだ。実はこの「VITA-01」は、女性ドライバー限定のプロレースシリーズ「競争女子!KYOJO-CUP」で使用されているマシンであり、オーナーから借りて行われる(同日、競女2019シリーズ第3戦も開催)。スペックは以下の通りだ。
全長×全幅×全高:3712×1600×1070mm
ホイールベース:2200mm
トレッド(前/後):1390/1440mm
シャシー:セミモノコックフレーム+スペースフレーム
エンジン:トヨタ「1NZ-FE」(かつて3代目「ヴィッツ」に設定されていたレース向けグレード「RS」に搭載されていたエンジン)
エンジン種類:排気量1496cc・直列4気筒DOHC
最高出力:109ps/6000rpm
最大トルク:138N・m/4400rpm
トランスミッション:「ヴィッツ RS」用5速
ブレーキ:全輪4ポッドアルミキャリパー/全輪ベンチレーテッドディスク
最高速度:時速200km弱(リミッターが作動)
そうそうたる顔ぶれの参加予定ドライバーたち
昨年は17人で競われたが、今年は15人で行われる。リザーブドライバー1名を含め、参加ドライバーは以下の通りだ。簡単ながら(4輪)デビュー年と経歴もまとめた(五十音順・敬称略)。
大岩湛矣(おおいわ・きよし)・80歳:1964年第2回日本グランプリにてデビュー。TOM’Sの共同設立者。※
岡本安弘(おかもと・やすひろ)・77歳:1967年にデビューし、マツダワークスにて活躍。ル・マン24時間レースにも挑戦。
片桐昌夫(かたぎり・まさお)・80歳:1965年デビュー。第15回マカオGPでは総合5位・クラス優勝を獲得。※
黒澤元治(くろさわ・もとはる)・79歳:日産ワークスドライバーとして1965年に4輪デビュー。73年全日本F2000王者など。後に初代「NSX」の開発ドライバーを務めた。
桑島正美(くわしま・まさみ)・69歳:1969年デビュー。72年に渡英し、欧州F3、F2で活躍し、帰国後も国内フォーミュラなどで活躍。
清水正智(しみず・まさとも)・72歳:1965年、今はなき船橋サーキットでデビュー。国内トップカテゴリーで活躍した。
関谷正徳(せきや・まさのり)・70歳:1972年にデビューし、国内トップカテゴリーで活躍。日本人初のル・マン24時間レース優勝者。
高橋国光(たかはし・くにみつ)・79歳:日本人初の2輪世界GP優勝者。1964年に4輪に転向し、2輪・4輪で通算71勝を挙げるなど、国内トップカテゴリーで大いに活躍した。
多賀弘明(たが・ひろあき)・85歳:1963年の第1回日本グランプリでクラス優勝。JAFスポーツ委員会のメンバーなども。実は現役のドライバーでもあり、現在もマイナーレースに参戦中。
武智勇三(たけち・ゆうぞう)・79歳:1965年デビュー。ダイハツ・ワークスドライバーとして、プロトタイプカーで活躍した。
寺田陽次郎(てらだ・ようじろう)・72歳:1965年デビュー。マツダワークスドライバーとして活躍し、ル・マン24時間レースには29回出場、複数回のクラス優勝を獲得。「ミスター・ル・マン」と呼ばれる。※
戸谷千代三(とたに・ちよみ)・70歳:1973年デビュー。主に耐久レースを中心に活躍した。
長坂尚樹(ながさか・なおき)・66歳:1972年デビュー。73年鈴鹿シルバーカップ王者のほか、84年全日本耐久選手権、85年・87年の全日本ツーリングカー選手権王者。
長谷見昌弘(はせみ・まさひろ)・74歳:1964年4輪デビュー。日産ワークスドライバーとしてデビュー戦に勝利。76年の「F1世界選手権・イン・ジャパン」にはコジマからスポット参戦。同クラブ副会長。 ※
鮒子田寛(ふしだ・ひろし)・73歳:1965年ホンダワークスドライバーとしてデビュー。70年からは米国など海外のレースに参戦して活躍した。LRDC副会長であり、レジェンドカップ実行委員長。 ※※
柳田春人(やなぎだ・はると)・69歳:1969年デビュー。「雨の柳田」「(フェアレディ)Z使い」として知られる。80年・83年のスーパーシルエットレース王者など。
※ 初参戦(4人)
※※ リザーブドライバー
会見に参加したドライバーのコメント
レジェンドカップ開催会見には複数名の参加予定ドライバーが参加し、レースに対する意気込みを語った。さすがに、現役当時のようにギスギスした真剣勝負は考えていないようで、お客さんと共に楽しむというスタンスである。
当初、年齢によるハンディキャップの話もあったという。しかしそれはなくなり、全員が同一条件の下に走ることとなった。参加予定の15人の平均年齢は74.7歳(リザーブドライバーの鮒子田副会長兼実行委員長も含めると、74.6歳)。往年の名レーサーたちによる熱いバトルを期待したい。