人がモノを欲するとき、合理だけでは判断しない。 魂の技術屋、立花啓毅のウィークリーコラム
マツダ ユーノスロードスター(1989)、RX-7(1985)などの開発者として知られる立花啓毅氏。立花氏は「人がモノを欲するときの心情は、決して合理だけではない」と断言する。その心とは。
「人の心を動かすのは合理ではない」。かつてマツダで数々のヒット車を手がけた立花啓毅氏は言う。立花氏は「世が合理化を叫ぼうが、グローバル社会で合理的な判断が求められようが、人間とは本来そんなものではない」と断言する。では合理でなく何なのか。温故知新。古いモノの中に、実は人間の本質を教えてくれるヒントがあるとする。クルマの白物家電化が叫ばれて久しいが、果たして立花氏の言う本質とは何か。
新入社員の時に初任給の何倍もするロレックスのコスモグラフを買おうとした。初任給が2万円の時に、日本では14万円もした。今の基準で換算すると200万近くもしたので、いくら何でもそれを買うのは無理だった。だが、1960年代当時、在籍していたブリヂストンは、2輪の世界GP、今でいうmotoGPに参戦していた。そこで友人のメカニックに頼んで、スイスで念願のコスモグラフを買って来てもらった。値段は半分の7万円だったが、それでも私にとって大金だった。
50年以上前の話だが、私にとってこの時計は、いまだにお宝だ。というよりお守りのような存在でもあった。驚いたのは過日の新聞に、このコスモグラフの通称”ポールニューマン・バージョン”の本人所有モデルがなんと数十億円もするとして載っていたことだ。
人は合理だけで選ぶのか?
もともとモノを買う時は、妥協せず本当に気に入ったモノを買うと決め、それまでは我慢することにしていた。その選択は間違っていなかったことを実感した。その後も珍しい時計をいくつか手に入れたが、なぜか何処かに消えてしまった。恐らく心が繋がっていなかったのだろう。ところがこのコスモグラフだけは今も使い続けている。
こうした古い機械式時計は、いくら高性能で高額でも1週間に1、2分は狂う。またゼンマイを巻かないと止まってしまう。一方、広く普及するクオーツの時計は5000円も出せば手に入る。しかも時間が狂うことはまずない。さらにいうと電波時計は100年経っても正確に動き続ける。
合理性で判断すれば、間違いなくクオーツに軍配があがる。しかし人は合理性だけでは判断せず、理屈で説明がつかない魅力に惑わされる。右脳が欲しい欲しいとダダをこね、それを左脳が財布と相談しながらブレーキをかける。真に魅力あるモノと相対したときは、その天秤が右脳に傾き、後先を考えなくなる。
クルマも合理だけでは選ばれない
残念だが昨今、使い手に後先を考えずに購入させるようなモノが見当たらない。今や機能や性能ではない魅力を創り出す開発者が、いなくなってしまったからだろうか。
それはどこか電気自動車(EV)と似ているように思う。クルマと言えば、燃料を入れてエンジンの鼓動を感じながら走るもの。エンジンが発する鼓動や排気音は、クルマからの意思表示だ。当然、意思表示はエンジンの特性によって違うわけで、クルマの個性となる。それをドライバーが受け止め、クルマとの会話が始まる。まずここが魅力なのだ。
例えば、クラシックなクルマやバイクは、エンジンとの会話で天気までも当てることができる。エンジンが静かでちょっと元気がないと「今日は曇って湿度が高いのだな」と思う。それは湿度が高いと燃焼時のピーク圧が下がるからだ。逆に気温が下がった晴天の日には、ノッキングを伴いながら、すこぶる元気でトルクフルになる。こういう時に、ちょっと燃料を濃くすると、さらにパワーが出るから面白い。
これがクルマとの対話だ。しかしEVは反応がなく、黙り込んでいるではないか。クラシックカーのインテリアにある、機械式時計の秒を刻むカチッ、カチッ…… という澄んだ音もしないのだ。
いくら機能的に優れ、CO2を排出しないとしても、これだけでは人の心は動かない。本来モノとは、人の嗜好や情緒に訴えかけるものでなければならない。私はそう信じて技術屋をやってきた。結果それが多くの人に受け入れられたのだ。
立花 啓毅 (たちばな ひろたか):1942生まれ。商品開発コンサルタント、自動車ジャーナリスト。ブリヂストン350GTR(1967)などのスポーツバイク、マツダ ユーノスロードスター(1989)、RX-7(1985)などの開発に深く携わってきた職人的技術屋。乗り継いだ2輪、4輪は100台を数え、現在は50年代、60年代のGPマシンと同機種を数台所有し、クラシックレースに参戦中。著書に『なぜ、日本車は愛されないのか』(ネコ・パブリッシング)、『愛されるクルマの条件』(二玄社)などがある。