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クルマ最終更新日:2018.06.29 公開日:2018.06.29

世界中で愛されてきたメイド・イン・ジャパン、ホンダスーパーカブC100

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「ホンダ スーパーカブ C100初期型」1958年 全長×全幅×全高:1780×575×945mm 軸距:1180mm 車両重量:55kg エンジン:4サイクル空冷単気筒49cc 出力:4.5ps/9500rpm クラッチ:自動遠心型 変速機:3速 タイヤ:2.75-17 価格:55,000円

世界中で愛されてきたスーパーカブ

 世界で最も愛されてきたバイク、それはスーパーカブだ。なにしろ1958年から56年間、今なお作り続けられ、その数なんと8500万台(2013年9月時点。2017年には1億台を突破した)。T型フォード、VW、2CV、ミニなど、社会に貢献したクルマは数々あるが、スーパーカブには敵わない。

 今でも新聞配達や郵便局、電力会社や銀行、本屋に酒屋、通勤に通学、さらには交番配備のスーパーカブもある。農村に行けば、荷台にうず高く藁をくくりつけて働いている。ホンダはそれぞれの用途にあった専用モデルも作ったのだ。

 アメリカでも「ナイセストピープル・ホンダに乗る」のキャッチフレーズとともに一大ブームを巻き起こした。それまでのバイク乗りは「ブラック・ジャケット」と呼ばれ、アウトロー的な暗いイメージが強かったが、明るく爽やかなイメージでスーパーカブを売り出した。近距離はクルマからカブに代わり、学生は通学に使うようになって、ホンダのディーラーはお客で殺到した。

 アジアの国々では、ちっちゃなスーパーカブに一家が乗って移動する。家財道具まで積む姿もあり、まさに一家に一台の必需品となった。人里離れたアフリカの奥地でも、数リッターのガソリンがあれば、かなり走ることができた。この高い利便性と超耐久性が世界中で評価されたのだ。

 TVのディスカバリーチャンネルでは、耐久性を検証する番組が組まれた。エンジンオイルの代わりにハンバーガーショップの使用済みフライヤーオイルを入れ、荷台には荷物を山積みしても何のトラブルも起きない。最後は、ビルの屋上から投げ落としてもエンジンがちゃんと掛かった。まさに神話が実証された瞬間だった。日本でもエンジンオイルの代わりに天ぷら油や灯油でも大丈夫だという都市伝説が生まれるほどである(※)。

※ここで紹介したものはあくまで逸話であり、壊れないことを保証するものではありません。また、規定のオイル以外は絶対に使用しないでください。

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スーパーカブの原点、C100の魅力とは

スーパーカブの原点C100は、燃費がよくて頑丈なだけではなかった

 一方、丈夫なだけでなく、燃費も群を抜き、1リッターで180㎞(30㎞/hの定地テスト)も走る。私自身実測したところ、郊外の空いた道では105㎞/Lを記録し、他車の2倍も延びた。ちなみにエコマイレッジチャレンジでは、市販車クラスで541.461㎞/L。競技専用車では3500㎞/Lを超える燃費を記録している。

 こうした大ヒットの背景には、考え抜かれた車体構造がある。コストを抑えたパイプとプレス鋼板を組み合わせた複合フレーム、重心位置を下げたコンパクトなエンジン、乗降性を考えたシートとレッグスペース、そして走破性のための17インチタイヤ。そこには後から手の入れようもない完成された美しさがある。C100初期型の普遍的な美しさは、新型(2012年)より素晴らしい。

 スーパーカブが生まれるまでは、自転車に補助エンジンを取り付けた原動機自転車が主流だった。ホンダも赤いエンジンと白いタンクのF型カブを出していた。

 当時、本田宗一郎の右腕だった藤沢武夫は、次の商品を考えていた。それは欧州のペタル付きモペットではなく、本格的な50㏄の実用バイクだった。それを宗一郎に説明するも一蹴されてしまった。しかし欧州視察を通して熱心に説明した結果、宗一郎は関心を持ち、プロジュクトがスタートした。

 そして宗一郎は、「そば屋の出前持ちが片手で運転できるようにせよ」という指示を出した。そのためには左手のクラッチレバーを廃し、自動遠心クラッチとロータリー型変速機が必要となった。また、そば屋は雪駄(せった)を履いていたのでチェンジレバーは押すだけでシフトできるシーソー型としたのだ(※)。このスーパーカブの成功を見て、競合各社は同様なバイクを次々に投入したことからも、いかによくできた製品だったかが分かる。

 他車の真似は一切せず、新たなモノを独自に創り出すことは、ハンパな努力では成し得ない。しかしそれを成し得るのがホンダの凄さである。

※ここで紹介したものはあくまで逸話であり、規定のオイル意外は絶対に使用しないでください。また、オートバイに相応しい服装で乗車してください。

文=立花啓毅
1942年生まれ。ブリヂストンサイクル工業を経て、68年東洋工業(現マツダ)入社。在籍時は初代FFファミリアや初代FFカペラ、2代目RXー7やユーノス・ロードスターといった幾多の名車を開発。

(この記事はJAFMateNeo2014年5月号掲載「哲学車」を再構成したものです。記事内容は公開当時のものです)

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