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最終更新日:2018.06.21 公開日:2018.06.21

【第86回ル・マン24時間レース】トヨタ苦節33年の末に念願の…!!

6月16日(土)・17日(日)にかけ、今年で第86回を数える伝統のル・マン24時間レース(WEC世界耐久選手権2018-19シーズンの第2戦)が、フランスのル・マン市にあるサルト・サーキット(1周13.626km)で開催された。プロトタイプ・スポーツカーが参戦するトップカテゴリー「LMP1」クラスに、唯一のワークスチームとして今年もトヨタが参戦した。

第86回ル・マン24時間レースに参戦したワークスチームはトヨタのみ。「勝って当たり前」といわれる重圧の中、7号車vs8号車の同門対決が展開。1秒以内の僅差の接近戦や、抜きつ抜かれつが展開した。

 6月16日(土)・17日(日)にかけ、今年で第86回を数える伝統のル・マン24時間レース(WEC世界耐久選手権2018-19シーズンの第2戦)が、フランスのル・マン市にあるサルト・サーキット(1周13.626km)で開催された。プロトタイプ・スポーツカーが参戦するトップカテゴリー「LMP1」クラスに、唯一のワークスチームとして今年もトヨタが参戦した。

 トヨタは、2012年のWEC参戦時からハイブリッド・パワートレインを搭載したプロトタイプ・スポーツカーで参戦している。「TS030 HYBRID」、「TS040 HYBRID」を経て、2016年からは「TS050 HYBRID」で参戦しており、2017年、2018年と、レギュレーションへの合致と改良強化を重ね続けてきた。「TS050 HYBRID」の2018年仕様は2017年仕様からパワートレインの信頼性と、冷却性能の向上が図られた。そして今回のレギュレーションの燃料規制に仕様を合致させてレースに臨んだ。

 「TS050 HYBRID」はハイブリッド・レーシングカーであることから、LMP1の中の「LMP1-H」クラスに分類される。ライバルの5チームはすべてノン・ハイブリッド車で参戦。ハイブリッド・レーシングカーは燃費や加速などに優れるため、35.1kgの燃料タンクでサルト・サーキットを11周することが可能だ。

 それに対し、ノン・ハイブリッド車は10周でピットインする必要がある。24時間の長丁場になるとそれだけ給油回数が増えてタイムロスが増えることから、性能調整でノン・ハイブリッド車が有利になっている部分もある。ノン・ハイブリッド車は車重が45kgほど軽量で、エンジンに供給できる最大瞬時燃料流量が7.7g多いのでよりパワーを出すことが可能だ。

「TS050 HYBRID(2018年仕様)」の展示車両。「TS050 HYBRID」は、WECの2016年シーズンに、トヨタがル・マン24時間レース必勝を期して投入したハイブリッド・パワートレイン搭載のプロトタイプ・スポーツカー。2016年はあと2周でまさかのストップで優勝を逃し、昨年も及ばなかった。MEGA WEBにて撮影。

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今年こそ! 最強の布陣で臨む7号車と8号車

トヨタの日本人ダブルエースに加えてアロンソも加入!

 2018年のTS050 HYBRIDのドライバーラインナップは、以下の通り。7号車と8号車に、トヨタ系日本人ドライバーのダブル・エースである中嶋一貴選手、小林可夢偉選手をそろえ、さらに8号車にはF1王者フェルナンド・アロンソを擁するという布石で臨んだ。

 一貴選手は2012年からWECに参戦しており、可夢偉選手は2013年にイタリアのチームから参戦し、2014年からトヨタに合流した。

7号車
●小林可夢偉
●マイク・コンウェイ
●ホセ・マリア・ロペス

8号車
●中嶋一貴
●セバスチャン・ブエミ
●フェルナンド・アロンソ

トヨタのドライバーラインナップ(参加全選手による集合写真から)。左からアロンソ、一貴、ブエミの3選手が8号車の3人。4人目からが7号車の3人で、コンウェイ、可夢偉、ロペスの3選手。

予選は1-2を獲得!

 予選は1回目が6月13日(水)、2回目と3回目が14日(木)に行われた。8号車の一貴選手がアタックして3分15秒377を記録し、ポールポジションを獲得した。一貴選手は、ル・マン24時間レースで自身2度目のポールだ。そして2番手は、1回目の予選で可夢偉選手がマークした3分17秒377の7号車。ジャスト2秒差というのはなかなかない記録である。

 今年は昨年よりもコースが約3m短縮されたが、レギュレーションの影響でタイムが落ちているため、昨年に可夢偉選手が叩き出したコースレコードの3分14秒791には及ばなかった。

 ノン・ハイブリッド車勢トップは、レベリオン・レーシングの1号車「レベリオンR13・ギブソン」が3位。7号車からさらに2秒以上離れており、「TS050 HYBRID」はトラブルやもらい事故などさえなければ、圧倒的な速さを見せそうな予感をさせていた。

同じトヨタの7号車にすらジャスト2秒もの大差をつけた、「TS050 HYBRID」8号車。ル・マン24時間レースにおいて、これで一貴選手は2度目のポール獲得となった。

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決勝は伝統の土曜日15時から!

決勝は現地時間16日15時スタート!

3位以下をどんどん引き離していき、事前に予想されていた通りのトヨタvsトヨタのマッチレースとなった今年のル・マン24時間レース。7号車と8号車は抜きつ抜かれつを展開。

 決勝は、8号車がブエミ選手、7号車がコンウェイ選手というスターティングドライバーで16日15時からスタート。2台の順位は入れ替わるものの、トヨタの1-2態勢は変わらないまま進行し、3時間経過時点で早くも3位以下に1周差をつける。

 緯度の高いサルト・サーキットは、この6月半ばの時期は22時半頃になってやっと日没となる。この時点で、一時は1秒以内の僅差で周回を重ね、離れても30秒ほどというトヨタvsトヨタという展開に。日が変わって深夜3時で12時間が経過。その時期に8号車が受けたのが、低速走行区間での速度違反によるペナルティ。2分半の差が開くが、3位には4周差をつけていたことから、1-2態勢を維持したままレースは続いていく。

ナイトセクションでアロンソが猛追!

ナイトセクションを走る8号車。全長13km超のサルト・サーキットは場所によっては照明が少なく、ドライバーにとっては自車のヘッドライトのみが頼りになるような部分もある。しかも、クラスによってマシンの性能差(速度差)、そしてドライバーの技量の差が大きく、抜かす方の上位クラスも抜かされる方の下位クラスも危険を伴う。下位クラスは下位クラスでレースをしているため、日中でも簡単に抜けないような場合もあり、夜間の下位クラスの追い抜きは一歩間違えると接触してリタイヤになる危険性が一気に高くなる。

 深夜の時点では2分半あった差を、約40秒まで一気に詰めたのが、8号車のフェルナンド・アロンソ選手。そしてバトンタッチした一貴選手が夜明け頃に日本人対決で7号車の可夢偉選手をパスして逆転。そして18時間が経過して危険なナイトセクションを終えた頃、8号車が296周でトップに。7号車が逆に40秒差で追う展開となる。この時点で、3位以下とは10周差と、もはやクラスの異なる状況となっており、敵はドライバーのミス、マシントラブル、他車とのアクシデントという状況となった。

 しかし、2年前の「あと2周」で優勝を逃した展開を忘れることなくトヨタチームは気を引き締めて2台とも走り続け、現地時間の17日15時、ポールからスタートした8号車が388周を走ってチェッカー。7号車は終盤に燃料使用量の上限超過違反のペナルティにより2周差をつけられることになり、386周で2位チェッカーとなった。3位には12周差をつけるという、圧倒的な差での優勝だった。

ゴールの瞬間。これはデッドヒートを展開し、トヨタの8号車を先頭に一気にゴールになだれ込んだ図ではなく、パレードラン状態でスロー走行してのゴールの図。24時間を走りきると各車の差が大きく開くことがほとんどのため、接戦で順位争いしているクルマ同士以外は、ファイナルラップの途中からスロー走行を始め、1位のクルマを先頭にクラスに関係なくパレードランのようになる。24時間戦い抜いたドライバーとクルマとチームは、順位に関係なく、観客やコースマーシャルに大いなる祝福を受け、感動のゴールとなる。1位のクルマがゴールしてしばらくすると早くも観客がコースになだれ込むため、後方のクルマは、場合によっては観客をかき分けてゴールするようなこともある。

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トヨタ、苦節33年の長い栄光への道のり!

トヨタ、足かけ33年で遂に総合優勝!

 トヨタは、通算20回目、初回の参戦1985年から数えると足かけ33年という時間の末、そして47台のマシンを投入し、それらを駆った日本人を含む数多くのドライバーらの挑戦の末、遂にル・マン24時間レース総合優勝という快挙を成し遂げた。

 そして一貴選手は、ル・マン24時間レース史上初となる、日本人ドライバーが日本車に乗って総合優勝を成し遂げるという名誉を手に入れた。また、トヨタ車は総合優勝した日本車としては2車目。サルト・サーキットで25万6900人がそのゴールを見届けた。

ゴール後、祝福を受ける「TS050 HYBRID」8号車。日本車が総合優勝を果たしたのは、1991年の第59回大会のマツダスピード(マシンはマツダ「787B」、記事はこちら)以来となり、2車目。

総合優勝した8号車の3人。左からアロンソ、一貴、ブエミの3選手。一貴選手は、日本車に乗った初の日本人総合優勝者として、ル・マン24時間レースの歴史に刻まれた。日本人優勝者としては、1995年の第63回を制したひとりである関谷正徳氏(一貴選手の師匠で、現在はスーパーGTなどのトヨタ系のチームで監督などを務める)、2004年の第72回のひとりである荒聖冶選手に次ぐ3人目。関谷氏はマクラーレン「F1GTR」で、荒選手はアウディ「R8」で優勝した。

ひとつの都市の人口にも及ぶ、25万人を超える大観衆がサーキットで観戦。33年かかったトヨタの総合優勝を祝福した。

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