日産「ブルーバード」の初代~3代目を集めてみた!幸せの青い鳥。
メーテルリンクの童話「青い鳥」にちなんで命名された、日産の小型セダン「ブルーバード」。 日産を代表する車種として大人気を博した同車の1~3代目を集めてみた。
初代「ダットサン・ブルーバード」(1963年式)のオートマ仕様。今回紹介する唯一の初代310型系に属する1台。なおダットサンのブランド名は、1979年11月に発売された6代目910型系まで踏襲された。お台場旧車天国2017で撮影。
これまで、ヒストリックカーや旧車の展示イベントなどで、往年のクルマの数々を撮影してきたが、今回は日産「ブルーバード」を取り上げてみる。1962(昭和37)年式から1970(昭和45)年式までの初代~3代目を紹介しよう。
「ブルーバード」は1959(昭和34)年8月、310型系が初代としてデビュー。1996年発売の10代目U14型まで長期間にわたって発売された。ちなみに初代から1979年11月に登場した6代目までは、ダットサンのブランド名が冠されていた。車名はメーテルリンクの童話「青い鳥」にちなんでおり、初代はマイカー時代に「幸せを運ぶ青い鳥」というキャッチコピーが使用された。
初代は低床式ラダーフレームとセミモノコックボディの組み合わせにより、軽量かつ高剛性のシャシーを実現。先代の「ダットサン1000」よりも大型ながら重量は約30kg軽いなど、基本性能の高さと信頼性の面で評価された。また当初のエンジンは、34馬力の1Lと、43馬力の1.2Lの2種類が用意された。
なお初代は発売後1か月で8000台のバックオーダーを抱え、日産としては乗用車で初めて月産3000台を突破。1960(昭和35)年3月には累計2万台を達成し、対米輸出もスタートした。日産にとって、戦後初めて大量生産の道筋をつけた記念碑的なクルマなのである。発売から4年間で21万台が生産されたという。
お台場旧車天国2017で撮影した1台で、フロントグリルの形状などから、3代目510型系と思われるが、スペックシートが用意されていなかったため、詳細は不明。おわかりになる方はぜひ編集部までメールやツイッターなどでご一報いただきたい。
310型系「ブルーバード」は実は初代ではない?
ちなみに「ブルーバード」は完全新規に開発されたクルマではなく、「ダットサン1000」のフルモデルチェンジとして登場した。その「ダットサン1000」も「ダットサン セダン」の後継モデルである。実は日産の戦後に開発された小型乗用車の3代目だったのである。
型番を見ると一目瞭然。「ダットサン セダン」が110型系、「ダットサン1000」が210型系で、初代「ブルーバード」が310型系という連続した型番であることから、シリーズであることがわかる。このように、「ブルーバード」とは日産の戦後に新規に開発された小型乗用車(セダン)の3代目からつけられた愛称だったのである。
「ダットサン1000」。210型系で、初代ブルーバードの先代モデルである。この時代のクルマは、まだエンジン始動にクランクバーを回していた。お台場旧車天国2017で撮影。
なお型番の3桁数字は、100の位が同社の戦後で新設計の何番目かを意味し、10の位が「1」だと小型乗用車を示し、1の位の「0」がそのクルマの最初の型であることを示す。
よって、1955年に登場した「ダットサン セダン」は日産が戦後初めての新設計を行った小型乗用車であることから110型系で、小型乗用車の戦後3番目に設計された「ブルーバード」は310型系なのである。実際には、P311やDP312といった具合で、グレードによってアルファベットがいくつか前についた。
「ダットサン15型フェートン」。1936(昭和11)年5月に登場。日産オリジナルの1台だが、戦前の設計であるため、「ダットサン セダン」の110型系から始まるシリーズとは、見た目でもわかるように系列が大きく異なる。お台場旧車天国2017で撮影。
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2代目「ブルーバード」(410型系)をまとめて紹介!
2代目「ブルーバード」前期型
続いては、2代目を年式順に紹介する。2代目ブルーバードとなる410型系は、1963年9月に発売された。1963年は乗用車の保有台数が100万台を突破し、JAFも同年2月に正式に発足するという時代。まさにモータリゼーションの黎明期だ。
2代目は1965年5月のマイナーチェンジで411型となり、エンジンが1.2LのE1型から1.3LのJ型に変更された。1966年4月にはビッグマイナーチェンジが行われ、グリルの意匠や、テールエンド、リアフェンダーのサイドなどのエクステリアデザインが大きく変更されている。
ちなみに2代目がどことなくヨーロッパ的なデザインをしているのは、実はフェラーリなどのデザインで知られるイタリアの著名なカロッツェリアのピニンファリーナが担当したことが理由だ。
1964年式「1200デラックス」(P410型)。2代目は、日産車としては「セドリック」に続いて2車種目となるモノコックボディを採用したクルマだった。エンジンは45馬力の1LのC型、55馬力の1.2LのE型の2種類。スタンダード、デラックス、当時としては非常に珍しい女性オーナー向けのファンシーデラックスというグレードがあった。お台場旧車天国2017で撮影。
1965年式「1600 SSS」(P411型)。1965年5月にマイナーチェンジして411型系がデビュー。そして「ブルーバード」の走りを追求したモデル、”SSS”こと”スーパー・スポーツ・セダン”が同年に登場。画像のクルマはSSSの初代である。スポーツモデルの先駆けは1964年3月に登場した、エンジンが1.2Lの「1200SS(スポーツ・セダン)」。お台場旧車天国2017で撮影。
1966年式を紹介!
1966年に2代目は2度目のマイナーチェンジを実施。外見の変更を伴う、ビッグ・マイナーチェンジだったため、前ページのマイナーチェンジ前の1964年式や1965年式と比較すると、フロントグリルの意匠が大きく異なる。
1966年式「デラックス」。スペックシートでエンジンの排気量について触れられていなかったため正確にはわからないが、「1200デラックス」ではないかと思われる。詳細をご存じの方、ぜひご一報いただきたい。お台場旧車天国2017で撮影。
1966年「エステートワゴン」。2代目が1963年9月にデビューした際、4ドアセダンと共に販売が始まった。現在でいうところのステーションワゴンタイプ。1966年4月には、エンジンの排気量が1.3Lのバンタイプも追加されている。お台場旧車天国2017で撮影。
2017 トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑で撮影した、1966年式の2代目。同じ1966年式でも2つ前の「デラックス」とはかなり雰囲気が異なり、グレードが異なるものと思われる。
1967年に登場した3代目510型系!
3代目510型系は、1967(昭和42)年9月にデビュー。なお、「ブルーバードは」2代目までは日産の大衆車という位置づけだったが、1966年4月に排気量1Lの「ダットサン・サニー」(最後に画像を掲載)が新たに大衆車の位置づけで発売されたことから、3代目からは中級車の位置づけとなる。エンジンは1.3LのL13型と、SSSなどの1.6LのL16型の2種類が用意された。
3代目はボディは大型化され、超音速機をイメージしたという「スーパーソニックライン」と呼ぶデザインが施された。ラインナップは、2ドア/4ドアセダン、ワゴン、バンの3シリーズ。セダンは4輪とも独立懸架式のサスペンションが採用されたが、ワゴンとバンは積載性を考慮して、リアサスはリーフスプリング型のリジット方式が採用されている。
1971年1月から販売が開始される4代目610型系とはしばらく併売期間があり、最終的に1973年1月の生産終了時にグローバルな生産台数は155万2145台を数えた。
1969年式「1600 SSS クーペ」。1.6Lの2ドアクーペは、1968(昭和43)年11月に登場。画像の1台は、SSSとしては2代目に当たる。2017 トヨタ博物館 クラシックカー・フェスティバル in 神宮外苑で撮影。
1970年式「1600 SSS」。この年、画像と同じ4ドアセダンの「1600 SSS」が、第18回東アフリカ・サファリラリーで、エドガー・G・ハーマン/ハンス・シュラーの手によって総合優勝を達成。「フェアレディZ」もラリーシーンで活躍しており、「ブルーバード」は”ラリーの日産”のイメージを世界に植え付けたのである。お台場旧車天国2017で撮影。
1966年式「ダットサン・サニー1000(B10型)」。スタンダードが41万円、デラックスが46万円という当時としては購入しやすい価格で、”本格的なマイカー時代をもたらした”といわれる。同車は、「ブルーバード」の2代目までに存在した1Lエンジン搭載グレードの後継という位置づけで、1966年4月に発売された。現在のコンパクトカー並みのサイズで、4人乗り。発売前に車名の公募を行い、約850万通の中から決定したという。お台場旧車天国2017で撮影。
2017年12月26日(JAFメディアワークス IT Media部 日高 保)