吉田 匠の『スポーツ&クラシックカー研究所』Vol.17 新型フェアレディZ(RZ34型)とはどんなスポーツカーか?(前編)
モータージャーナリストの吉田 匠が、古今東西のスポーツカーとクラシックカーについて解説する人気連載コラム。第10回目は新型日産フェアレディZを特集する。今回はその前編。
日産の気概とセンス
日本で最初に「スポーツ」を名乗るクルマを発売したのは、日産自動車だったかもしれない。第二次大戦終結から7年後の1952年に、日産は「ダットサン・スポーツ」という車名の小型4座オープンカーをカタログモデルとして用意していたのだ。ただしこれは、当時のダットサンセダンやトラックと基本的に共通するシャシーやエンジンの上に、屋根のないオープン4座ボディを被せただけのモデルで、動力性能をはじめとする様々な分野で、ヨーロッパの本格的なスポーツカーとは比べ物にならないクルマだった。
しかしそれでも、大半の日本人が自家用車を持つなど考えもしなかった時代に、スポーツカーらしきものを発売した日産の気概とセンスは、見上げたものだったといえる。
その後も日産は、オープンのスポーツモデルを世に出し続けた。1958年秋発表のダットサン・スポーツS211型と、その後期モデルのSPL212型で、S211型はFRPというプラスチック製ボディ、後期のSPL212型はスチールボディだったが、いずれも当時のセダンと基本的に同じシャシーやエンジンを用いたスタイリングだけのスポーツカーだった。で、その後期モデルのSPL212に、初めて「フェアレディ」の愛称が与えられた。
やがて1960年代になると、初めて本格的な日産製スポーツカーが登場する。1962年発売のフェアレディ1500、型式名SP310がそれで、当時のブルーバードセダン用を強化したシャシーに、セドリック用のエンジンを搭載したオープン2座+補助シートの3座だった。このシリーズはやがて2座のフェアレディ1600、フェアレディ2000に発展しながら高性能化していき、レースで優勝もできる実力を備えたスポーツカーに成長した。このSP/SR系は、今日でも硬派な日本製スポーツカーとしてマニアに愛されている。
240Zがアメリカでウケた理由
そのフェアレディ2000、型式名SR311に代わる日産製スポーツカーとして生み出されたのがフェアレディZの最初のモデル、型式名S30型で、当時の米国日産社長、片山 豊の提案によって開発が始まり、1969年に発表発売された。当時も今も世界最大のスポーツカー市場であるアメリカ合衆国でウケることを強く意識して開発されたクルマで、ロングノーズ/ショートデッキの2ドア2座ファストバッククーペボディのフロントに、日本仕様では2リッターの、北米仕様では2.4リッターの直列6気筒エンジンを収めていた。アメリカでの車名に「フェアレディ」の名は付かず、単に「ダットサン240Z」と呼ばれた。
ダットサン240Zの発売時のアメリカでのプライスは$3,526と、ポルシェ911の最も安いモデルの半額に近かったこともあって大人気を博した。結果、1978年までの丸9年間で世界販売55万台という、当時のスポーツカーとしては記録的な売れ行きを示したのだった。そのうち日本国内での販売台数は8万台ほどだったから、大半が海外で、しかもその多くがアメリカで売れたわけだ。
その初代Zから数えて7代目に当たるのが2022年に登場した新型フェアレディZ、型式名RZ34だ。基本的なシャシー構成やレイアウトは2008年発売の6代目、Z34を引き継いでいるが、それから14年後の登場だけに新鮮な印象をうける。スタイリングも、ロングノーズ、ファストバックの典型的スポーツカー風プロポーションは先代を受け継いでいるが、初代のS30Zを連想させるフロントスタイルなどに新型らしさが明確に感じられる。