2022年07月08日 12:50 掲載

旧車 日本にはZがある「フェアレディZ/ダットサン240Z」──日本が世界に挑戦した名車たち(第1回)


文=武田公実

「Z」の由来

 このモデルの開発・販売を企画したのは、1960年代初頭から米国日産の社長を務めていた「Mr.K」こと故・片山豊氏。彼が日本の開発陣へのエールとして贈った、"勝利"の意味で使われることもある船舶信号旗「Z旗」から、フェアレディ/240「Z」の名が命名されたとも言われている。

 要となるクローズドボディは、故・松尾良彦氏の率いる日産自動車第1造形課・第4デザインスタジオがデザインワークを担当。名車ジャガーEタイプに代表される、FRレイアウトを持つロングノーズ+ファストバックのスポーツカーの定型を遵守しつつも、1970年代の嗜好性を先取りしたシンプルで美しいスタイリングを実現した。

 いっぽうパワーユニットは、すでにセドリック/グロリアやスカイライン2000GTにも搭載されていた「L20」型水冷直列6気筒SOHC1998cc+SUツインキャブの125psエンジン。ブロックは鋳鉄で、吸気系と排気系が同一の側に配されるカウンターフロー型という、当時としてもコンサバ志向のエンジンではあったものの、それゆえに堅牢で信頼性が高く、のちには高度のチューンアップにも耐えうる名機と称されることになる。
また、初期にはスカイライン2000GT-Rからコンバートされた直列6気筒DOHC24バルブ「S20」型エンジンを搭載した最上級バージョン、「Z432」も設定された。

 かくして、最大マーケットたる北米市場の嗜好性を最大限に意識して開発され、1969年10月に発表された初代フェアレディZは、日本での発表と時を同じくして「ダットサン240Z」の名で、まずはアメリカとイギリスで海外デビュー。こちらには、ボアの拡大で2393cc・150psとしたL24エンジンが搭載された。

 その後ダットサン240Zは日本国内でも発売されたほか、ヨーロッパ大陸やほかの国にも輸出。「プアマンズ・ポルシェ」などと揶揄する声を一部から受けつつも、洋の東西を問わず多くのクルマ好きは、当時の欧州製スポーツカーにも負けない動力性能やハンドリングを誇りつつ、スポーツカーの常識を超えた信頼性の高さなど、ダットサン240Zの真価にいち早く気がついてゆく。

 そして1978年に生産を終えるまでに、この種のスポーツカーとしては異例だった総計約52万台を生産。そのうち約46万台がアメリカを筆頭とする海外に送り出され、「Mr.K」のもくろみはみごとに達成されるに至ったのだ。

240Zはラリーでも強かった

日産 フェアレディZ/ダットサン240Z|Nissan Fairlady Z/Datsun 240Z
雪の上を颯爽と駆け抜けるラリー仕様の240Z。1973年の第42回 モンテカルロラリーにて。

雪の上を颯爽と駆け抜けるラリー仕様の240Z。1973年の第42回 モンテカルロラリーにて。

 ところで、フェアレディZ/ダットサン240Zの成功を支えた重要な要素として挙げるべきは、日産ワークスチームによる国際ラリーでの大活躍だろう。

 日産ワークスが出走させたダットサン240Zは、1971年および73年の「東アフリカ・サファリラリー」で総合優勝を獲得したほか、1972年には「モンテカルロ・ラリー(現WRCラリー・モンテカルロ)」でも3位入賞を果たすなど、日産、ひいては日本車のイメージを大幅に向上させることになる。

 これらの要素が相まって、初代フェアレディZ/ダットサン240Zは、日本車が初めて世界基準で認められたスポーツカーの傑作となるに至ったのである。

日産 フェアレディZ/ダットサン240Z|Nissan Fairlady Z/Datsun 240Z
奥が2022年に発表された新型Z。手前が元祖Zだ。

新型Zと元祖Zのツーショット。

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