6輪F1マシン・タイレルP34が走る!SUZUKA Sound of ENGINE 2019
鈴鹿サーキットでは毎年晩秋に、モータースポーツのこれまでとこれからを扱うイベント「SUZUKA Sound of ENGINE」を開催している。今年のスペシャルゲストマシンは、あの6輪F1マシン・ティレル(タイレル)「P34」だ。
「SUZUKA Sound of ENGINE 2019」は、秋の深まる11月16日(土)・17日(日)に開催される。会場は鈴鹿サーキットの国際レーシングコースとパドック。チケットは9月15日(日)からの発売だ。
毎年、なかなかお目にかかれないレーシングカーやスーパーカー、そしてスペシャルゲストなどが登場するが、今年も大物だ。元F1ドライバーで”ミスター・ミナルディ”と呼ばれたピエルルイジ・マルティニ氏と、F1史上唯一無二の6輪F1マシン・タイレル「P34」である。
しかも「P34」は単に展示されるだけでなく、オーナーのマルティニ氏の手により鈴鹿サーキットを走行する予定。「P34」の実車は国内ではタミヤ模型が所有しており、展示も行われているが、「P34」の国内でのデモ走行というのはまず聞いたことがなく、早くもネット上では期待が高まっている。
タイレル「P34」はどんなマシンだった?
「P34」はどのような経緯で誕生したのかというと、前輪タイヤ径を小さくすることでドラッグ(空気抵抗)を下げようという狙いが根本にあった。F1のようなオープンホイールのレーシングカーは、むき出しのフロントタイヤの前面投影面積が大きく、それが大きな空気抵抗を生んでいる。つまり、タイヤ径を小さくできればそれだけ空気抵抗を減らすことができ、結果として速度も上がり、タイムの短縮を実現しやすくなるというわけである。
ただし、タイヤ径を小くすることによるデメリットも存在する。タイヤが小さければ回転数も増えてそれだけ摩耗しやすくなるし、接地面積が小さくなるので荷重がかかり、やはり摩耗につながってしまう。つまり、それだけタイヤに負荷がかかるということだ。そこで、前輪を2倍の4輪にすることで1輪当たりの荷重のかかり方を減らし、負荷が極力増えないようにしたのである。
このアイディアを思いついたのは、タイレルのデザイナーであるデレック・ガードナー(2011年没・享年79歳)だ。「P34」は、当時のF1マシンと比較しても大きく異なる地面を這うような”スポーツカー・ノーズ”を備えていることも特徴だった。その背後に小径の前輪タイヤを隠すように配することで、空力的に有利なデザインを現実のものとしたのである。
「P34」という車名は、ガードナーの34番目のマシンであり、当初は試作車であったことから”プロジェクト34″という意味で命名された。ただし比較テストにおいて、1976年シーズンに投入されたマシン「007」よりも速かったことから、急遽同年第4戦のスペインGPから実戦投入されることになる。
パトリック・ドゥパイエに託された「P34」は、予選でチームメイトのジョディー・シェクター(1979年の王者)の駆る「007」よりも早いタイムで3番グリッドを獲得。決勝もアクシデントに巻き込まれるまでは3位を快走した。その後の「P34」は活躍を続け、ドライバーズ・ランキングでドゥパイエ4位(シェクターは3位)、コンストラクターズも3位となったのである。
77年シーズンは、開幕前は優勝候補とまでいわれたパトリック・ドゥパイエ。チームを去ったシェクターに代わり、タイレルはロニー・ピーターソンを迎えて「P34」の2台体制でシーズンインするが、思わぬ誤算が。グッドイヤーのワンメイクだったところにミシュランが参戦したため、タイヤ開発競争が勃発してしまったのだ。その結果、「P34」専用の小径タイヤは特殊なため、リソースに余裕がなくなったグッドイヤーは開発を中止してしまったのである。
結果としてフロントのグリップ不足が顕在化し、そこから「P34」の開発は迷走してしまう。最終的に最悪の結果を迎え、ガードナーはタイレルと決別することとなり、F1界からも去ってしまった。こうして、「P34」の開発は終了となった。
その後も6輪マシンは他チームが研究を続けるも最終的にレギュレーションで禁止に
6輪マシンは、ほかにもいくつかマイナス面がある。フロントの足回りが構造的に複雑になる(=メカニカルトラブルもそれだけ生じやすくなる)、タイヤの数が増えるためにパンクしてしまう確率が増えたり、タイヤ交換に時間がかかったりするなどである。
しかし空気抵抗を減らせることは、F1マシンのデザイナーにとってはとても大きな魅力。「P34」以降、他チームも研究を続けたようだ。マーチやフェラーリなどはテストまでこぎ着けたが、残念ながら実戦デビューまでは至っていない。
また1982年末には、ウィリアムズが後輪を4輪化したマシン「FW08B」を開発し、テストで好成績を残す。しかしF1を統括するFIAは1983年シーズンからレギュレーションを改定し、マシンは4輪のみと限定(4輪駆動も禁止された)。これにより、6輪マシンがF1を走る機会はなくなってしまい、実戦を走った6輪マシンは「P34」が最初で最後となったのである。
スペシャルゲストのピエルルイジ・マルティニ氏とは?
今回スペシャルゲストとして来場するピエルルイジ・マルティニ氏は、フジテレビの地上波によるF1全戦中継がスタートして日本で空前のブームが起きた時期、”陽気な”イタリアの中堅チーム「ミナルディ」のエースとして長年活躍し続けたドライバーとして知られる。
マルティニ氏は、1984年に予選不通過ながらトールマンからスポット参戦でF1を走り、1985年に長年在籍することになるイタリア系チームのミナルディがF1に打って出た際に共に進出して本格デビュー。その後2年ほどF1参戦休止を経て、1988年の第6戦アメリカGPで同チームに復帰。そして自身初であると同時に、ミナルディにとっての初入賞となる6位を獲得した(当時は6位までが入賞圏内)。1995年の引退までに119戦に参戦し、10回の入賞と1回のファステストラップを記録している。
またF1以外では1999年の第67回ル・マン24時間レースにおいて、同じF1経験者のヤニック・ダルマス、ヨアヒム・ヴィンケルホックと組み、チームBMWモータースポーツの一員として「V12 LMR」に乗って総合優勝を獲得している。
ミナルディというチームは決して資金が潤沢なわけではなく、予備予選が行われるほど参加チーム数が多かった80年代末から90年代初頭にかけての時代には、いつその”予備予選落ち”になるかわからないほどギリギリのチームだった。
しかし、オーナーのジャンカルロ・ミナルディ氏を筆頭にメカニックのひとりひとりに至るまで、「俺たち、F1大好き!」とばかりに、趣味でF1に参戦しているような陽気さが人気だった。まだ巨額のスポンサーマネーが押し寄せていない、古き良き時代の雰囲気を残す希有なチームとして、世界中の多くのファンに愛されていたのである。そんなミナルディを長らく牽引し、”ミスター・ミナルディ”と呼ばれたのがマルティニ氏だったのだ。
今では世界屈指の「P34」コレクターに!
ドライバーの引退後は、実業家・投資家として活躍し、過去に自身が乗っていたミナルディ「M189」などを入手したことをきっかけに、レーシングカーコレクターとなる。そして、マルティニ氏にとって、15歳の時にモナコGPで見て以来の憧れだったというF1マシンが「P34」で、2017年に入手。しかもさらにもう1台、「P34/2」(「P34」の2号車)も所有するに至り、今では世界屈指の「P34」コレクターと呼ばれている(6台あるのうちの2台を所有)。
今回は自ら「P34/5」(5号車)のステアリングを握り、鈴鹿サーキットを周回。現役時代、最も攻略しがいのあるコースだったという同サーキットを久しぶりに走行する。
これを逃したら、次にその走りを国内で見られるのは、いつになるかわからないほど貴重なタイレル「P34」。そんな類例のない6輪F1マシンと、それを走らせる”ミスター・ミナルディ”ことピエルルイジ・マルティニ氏に会えるまたとない機会である「SUZUKA Sound of ENGINE 2019」。チケットの発売を首を長くして待ちたい。