2018年12月12日 12:00 掲載

旧車 【トヨタ博物館 クラシックカー・フェス 2018】(2)
動画で見る1950年代の名車たち。「ミニ」など、辞典なみの情報量で紹介!


くるくら編集部 日高 保

動画3:ポルシェ「356 A カブリオレ」~モーリス「ミニ マイナー」

1950年代のクルマの走行動画その3は、ポルシェ「356 A カブリオレ」、オースチン「A50 ケンブリッジ」」(日産製)、メルセデス・ベンツ「190SL」、モーリス「ミニ マイナー」の4車種を収録。再生時間1分44秒。

「911」の前身! ポルシェ「356 A カブリオレ」

 「356」はポルシェの第1号モデルで、戦後間もない1948年から生産を開始したスポーツカーだ。長らく改良されて生産され続け、1955年末にはビッグマイナーチェンジを受けた「356 A」が登場する。この「356 A カブリオレ」は1958年式のオープントップモデル。ちなみに、「356」はスポーツカーながら、8年目に1万台生産が達成されるほどの人気車種となった。「356」で得たノウハウが、後に希代のスポーツカー「911」(※2)の誕生につながっていったとされている。

※2 ポルシェ「911」については、別記事『AUTOMOBILE COUNCIL#5 60年代から90年代まで!911大盛りのドイツ車編1』にて1960年代から1990年代の車種を紹介した。

ポルシェ 356 A カブリオレ|porsche 356 a cabriolet

ポルシェ「356 A カブリオレ」(1958年式)。同車はエンジンは5種類が用意されていた(排気量は1300cc、1500cc、1600ccの3種類)。後継モデルのポルシェ「911」でお馴染みの走りを追求した「カレラ」の名は、この「356」シリーズの時から設けられていた。

憧れの高級スポーツの弟分・メルセデス・ベンツ「190SL」

 当時、世界的な人気を博した、メルセデス・ベンツ「300SL」。SLとは"Sports Lightweight(スポーツ・ライトウェイト)"の略で、「300SL」は同ブランドの高級スポーツカーの初代である。とても高価なことから、メルセデス・ベンツはより安価な下位モデル「190SL」も開発した。同ブランドのセダン「W180」のシャシーを短くし、エンジンは排気量1897cc・120馬力の水冷直列4気筒OHVエンジンを新たに開発。「300SL」と同じシルエットを持つボディを用意し、手を出せないが「300SL」に憧れていた層の心をつかむことに成功。商業的に成功したという。

メルセデス・ベンツ 190SL|mercedes-benz 190sl

「190SL」1959年式。「190SL」は、大人気の「300SL」の弟分的存在として、1956年のニューヨークモーターショーで発表された。ちなみに、「300SL」は乗りこなすのが難しく、また整備性が低いという難点を抱えていたが、「190SL」はその点を解消していたことも、商業的に成功を収めた理由だったという。

日産がノックダウン生産したオースチン「A50 ケンブリッジ」

 1952年、英国自動車メーカーの2大巨頭であったオースチンとナッフィールド・オーガニゼーションが合併してBMCが誕生するその直前、オースチンと中型セダン「A40サマーセット」のノックダウン生産(※3)の契約を結んだ日産。

※3 ノックダウン生産:機器の全製品を本国から輸入して現地で組み立てる、または主要部品のみを本国から輸入してそのほかの部品は現地調達して組み立てる生産方式のこと

 日産は、英国本国で「A40 サマーセット」から「A50 ケンブリッジ」に切り替わったことを知ると、オースチン車の国産化計画が一からやり直しになるデメリットを覚悟で、「A50 ケンブリッジ」への切り替えを選択。当時の小型車規格いっぱいの排気量である1500ccの「A50 ケンブリッジ」の生産の方が得策というのが判断理由だという。

 日産は「A50 ケンブリッジ」のノックダウン生産を1955年2月から開始し、1958年10月には完全国産化を達成。1960年4月に「セドリック」が登場するまで生産が続けられた。

オースチン A50 ケンブリッジ|austin a50 cambridge

「A50 ケンブリッジ」1959年式。日産はタクシーや、運転手付き社用車としての使用を考慮し、独自の仕様変更を実施した。1957年にはベンチシートに、58年にはステアリングを小径化し、さらにドアの内張りを凹ませて6人乗りとした。そして59年にはリアウインドーも拡大し、日産独自の「A50 ケンブリッジ」となっていったのである。ちなみにナンバープレートも注目で、地名なしの5ナンバーとなっている。同車は、映画「海賊と呼ばれた男」に登場した。

発売初年度の初期型! モーリス「ミニ マイナー」

 1952年にBMCが誕生した後も、英国の2大巨頭オースチンと、ナッフィールド・オーガニゼーションのブランドとなっていたモーリスはブランドとして活用され続けた。1956年になると、イスラエル、英国、フランスがエジプトとスエズ運河の覇権を巡って第2次中東戦争を勃発させてしまう。ガソリン価格の高騰への対策として、BMCは燃費の優れたコンパクトカーの設計を計画する。その指揮を執ったのが、天才エンジニアのサー・アレック・イシゴニスだった。

 イシゴニスは、横置きエンジン、FF、2ボックススタイルという、現在でもコンパクトカーに採用されている組み合わせを考え出し、希代の名車を生み出したのである。さらに、トランスミッションのギアセットをエンジン下部のオイルパン内部に搭載し、ギアの潤滑はエンジンオイルを共有する2階建て構造なども考え出した。そして、モーリスブランドからは「ミニ マイナー」として、オースチンブランドからは「セブン」として発売されたのである。このは、販売初年度の1959年式で、中でもさらに初期のものだという。

モーリス ミニ・マイナー(初代・1959年式)|morris mini-minor

「ミニ マイナー」1959年式。その中でも最初期の1台だという。同車は1959年から2000年までの約40年間で、530万台が販売された。コンパクトかつ軽量ながら大人が4人乗れることから、戦後人気を博したバブルカーを一掃したという。「ミニ」は、現在は車名そのものがブランドとなり、BMW傘下で現在でも存続している。別記事「BMC・ミニ」に詳しい。

2018年12月12日(JAFメディアワークス IT Media部 日高 保)

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